初代英祖王の数々の業績と盛徳によって
国は富み、国は平和に治まった英祖は1299年に他界し
長男大成が二代目中山王に即位し
1308年62歳で死去
1309年大成の次男英慈が三代目として即位
この時代までは平穏な時だった
1313年46歳で死去する
1313年英慈王の四男玉城が四代目として即位するが
玉城王は国政を顧みず、酒、色欲、道楽に溺れた生活
そのため家臣、民衆は彼から離れ
国は三つに分裂し英祖王統滅亡の一因となった
勢力地域は中山王として
現在の読谷、北谷、中城、那覇そして浦添地域を支配した
それより北側は北山王と呼ばれた今帰仁按司(領主)が支配
南側地域は南山王と呼ばれた大里按司が支配
その頃の琉球は争い事の絶えない戦国時代となって行く
1336年玉城王41歳で死去
1336年玉城王の世子西威が五代目を十歳頃即位
だが先代が崩した国威は回復することなく
英祖王統は滅亡へと向かう
1349年西威王は22歳で死去
後の跡継ぎを一部の臣下が5歳の世継ぎを
即位させようとしたが
多勢は、国の安寧のため世子制を廃止し
民衆から信望の厚かった察度を擁立した