尚氏王統始祖は思紹(1354~1421年)である
佐敷(現在の南城市)を拠点に勢力拡大していた
思紹(ししょう)は1402年に南部地域を支配していた
島添大里按司を攻め滅ぼし現在の知念、玉城まで支配した
4年後の1406年に中山武寧を攻め滅ぼし
武寧の逝去を、自分の父親として
明国に薨去したと報告し、請封し、恩紹は正式に中山王に即位した
長男の巴志を佐敷按司に任じた、巴志二十一歳の時である
1416年北部地域を(現在の恩納村から国頭村)
支配していた北山王(今帰仁城)攀安知を
巴志を総大将に任じ、攻め滅ぼし巴志の次男忠を
北山城の監守として北部地域を抑えにした
尚氏王統は初代恩紹から七代続いて、64年(1406~1469年)
中山王として琉球国を治めた
その間、沖縄本島、奄美群島や宮古、八重山諸島を制圧し
琉球国を始めて統一国家にした
首里と那覇を結ぶ長虹提約1キロの海中道路、龍潭池など築造した
明国とは朝貢関係、日本、高麗・東南アジア諸国との貿易を
行い経済や文化(宗教など)取り入れ琉球国を繁栄させた