尚忠(1392~1444年)は父巴志王が
北山城(今帰仁城)を攻め落とし
北山城(北部地域)の初代監守に任じられ
父巴志王の逝去後
琉球国中山王三代目に即位1440年の事である
尚忠は巴志王の次男 母親は眞鍋金 妃は勝連按司の娘
1444年に逝去五十四歳、在位五年 世子は恩達
尚達王の世子である、恩達(1408~1449年)が
1445年四代目に即位するも1449年逝去
在位五年だった
母親は勝連按司の娘 妃は浦添按司の娘子供無し
尚金福(1398~1453年)は
四代目恩達王に世継ぎがいなかったため
1450年に五代目に即位
父親は巴志王の五男、尚達王の弟になる、妃は?
金福王の治世の時に離島の那覇浮島を貿易港として整備し
懐機(国相)に命じ安里川から那覇港まで
約1キロに及ぶ長虹提を建設させ首里との道路を繋いだ
1453年逝去五十六歳、在位4年 世子は思魯
尚氏王統王位は何故か短命である