人生黄昏時

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沖縄の仏教 【31】

2017年12月20日 00時04分57秒 | 日記

 1609年薩摩藩が沖縄に侵攻し、その支配下に置かれた結果

浄土真宗を禁教とし、他の宗派も制限された

 

集会を開いての説法・俗家の訪問・修行・留学などの制限

寺院の新築、保修などの自由が制限された

また僧侶の活動も著しく制限された

 

薩摩藩の侵攻後、琉球国の財政は破綻した状態だった

それまでの沖縄仏教界は官寺であり官僧であった

 

寺院毎に知行高や扶持高が決められ

公費で保障された官寺制度であった

 

そのため僧侶は布教や教化に対して、熱心ではなかった

一般の信者はなく、檀家もなく、財源は王府に依存していたが

 

王府は仏教全体、官寺・官僧への支出を制限し

国家仏教でありながら、そのような状況ではなかった

 

羽地朝秀が、1666年摂政の地位につき政治改革を行う

行政機能強化・財政改革・そして聞得大君を始めとする

神女組織の簡素化・無駄を廃止して改革を行った

これらの政策は仏教も対象になって、知行高を減らされた

 

1728年祭温が三司官になり、羽地朝秀の政策を継続して

ヒキ制度の解体、トキ・ユタの禁止・祭祀、儀礼の見直し

 

寺院を王府の管理下に置き、新たに僧侶の身分制度や

装東の規定、知行高も新たに制定を行った

 

大幅に消滅された、仏教界は財政てきに困窮し

多くの寺院が廃寺となり

沖縄の仏教は加速を増して衰退していった

 

羽地・祭温の政策は仏教の衰退の一因となったと言われている

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