ベッテルハイムが琉球で宣教を開始した時
36歳 妻エリザベスは26歳だった
自宅で日曜礼拝 路傍伝道するが聞く人はいなかった
宣教活動は上手く行かなかったが
無料診療所を開設し 医療活動などする
琉球語をマスターし 聖書の翻訳に没頭する
1853年5月26日 マシュー・ぺりー 率いる艦隊那覇港に入港
7月2日まで滞在する(その後7月8日浦賀に来航 有名な黒船到来)
ベッテルハイムは米国との仲介役となり
翌年 1854年7月11日に 琉球と米国の修好条約が締結された
ぺりー 艦艇でベッテルハイムは 7月17日家族と共に米国に行く
米国に移住し シカゴ、ニューヨークで長老派教会の牧師を務める
後にイリノイ州に住み 南北戦争で北軍の軍医として参加
後にミズリー州ブルックフィールドに移り住み
1870年2月9日 死去 58歳だった
生れた国 ハンガリーの史料では1869年9月11日没したとている
ベッテルハイムは沖縄に大きな足跡をのこした
医療の教を受けた医師たちの 子孫は那覇市、宮古島で
現在も医療に従事している
1926年ベッテルハイムが滞在した護国寺に
来琉80周年の記念碑が 建立されている
来琉80周年記念碑 記念碑の背後に渋沢栄一が贈呈した記念樹が植えられた
1939年ベッテルハイム博士 来島90周年蔡挙行され
その時 孫のプラット夫人が参列した
1966年5月来琉120周年記念式典行事が
沖縄キリスト教協議会
県医師会 宣教会の共催で行われた
1996年 全沖縄キリスト教会、
日本聖書協会共催で
ベッテルハイム来琉150周年記念
聖書展が開催された
現在でも ベッテルハイムの功績は高く評価されて
ナンミンヌ ガンチョーと呼ばれ 今も慕われている
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