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ベッテルハイム【6】

2022年02月07日 00時03分36秒 | 日記

  ベッテルハイムが琉球で宣教を開始した時

36歳 妻エリザベスは26歳だった

 

自宅で日曜礼拝 路傍伝道するが聞く人はいなかった

宣教活動は上手く行かなかったが

 

無料診療所を開設し 医療活動などする

琉球語をマスターし 聖書の翻訳に没頭する

 

1853年5月26日 マシュー・ぺりー 率いる艦隊那覇港に入港

7月2日まで滞在する(その後7月8日浦賀に来航 有名な黒船到来)

 

ベッテルハイムは米国との仲介役となり

翌年 1854年7月11日に 琉球と米国の修好条約が締結された

 

ぺりー 艦艇でベッテルハイムは 7月17日家族と共に米国に行く

米国に移住し シカゴ、ニューヨークで長老派教会の牧師を務める

 

後にイリノイ州に住み 南北戦争で北軍の軍医として参加

後にミズリー州ブルックフィールドに移り住み 

 

1870年2月9日 死去 58歳だった

生れた国 ハンガリーの史料では1869年9月11日没したとている

 

ベッテルハイムは沖縄に大きな足跡をのこした

 

医療の教を受けた医師たちの 子孫は那覇市、宮古島で

現在も医療に従事している

 

1926年ベッテルハイムが滞在した護国寺に

来琉80周年の記念碑が 建立されている

 来琉80周年記念碑  記念碑の背後に渋沢栄一が贈呈した記念樹が植えられた

 

1939年ベッテルハイム博士 来島90周年蔡挙行され

その時 孫のプラット夫人が参列した

 

1966年5月来琉120周年記念式典行事が

沖縄キリスト教協議会

県医師会  宣教会の共催で行われた

 

1996年 全沖縄キリスト教会、

日本聖書協会共催で

 

ベッテルハイム来琉150周年記念 

聖書展が開催された

 

現在でも ベッテルハイムの功績は高く評価されて

ナンミンヌ ガンチョーと呼ばれ 今も慕われている

 

 

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2 コメント

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Unknown (goodkaeru)
2022-02-07 11:00:43
今日は。沖縄にも 外国の方の偉人が おられるのですね この宣教師さんのことは 全然知りませんでした 語学、医学、宗教・哲学などに秀でた ものすごい才能に恵まれた方でしたね 58歳で逝去とのこと もう少し 世界の平和のために働かれたらと 惜しい感じがします いつも 心に残るお話を ありがとうございます ではまた 蛙 🐸
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来訪コメントのお礼と今朝のMyブログにお誘い~ (ひろし曾爺1840)
2022-02-09 08:47:51
◆👴◆来訪コメントのお礼とブログにお誘い!
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