大航海時代 欧米諸国の多くの艦船、商船が
琉球近海を航行していた 台風の多いいため
艦船、商船が遭難、座礁多くあった
その度に琉球の人々は救援、援助し必要な食料、物資など提供し
異国人に対して友好的で武器もなく平和的に暮らし
全てにおいて寛大であると言う イメージが形成された
こうして琉球は世界において最後の楽園であると
特にヨーロッパで言われ 流布され 定着していた
来島前のベッテルハイムも 琉球に関してそのような認識を持ち
香港で観 聞きした不正確な情報持って琉球に上陸し
琉球の人々に携えて来た物 全を与え尽くしたいと思い
大歓迎で迎えくれるものと 期待していた
ところが 冷たく拒絶され 上陸さえ拒否された
琉球は幕藩体制下の中に組み込まれ
キリスト教禁令政策を行っていた
ベッテルハイムの琉球伝道に託した夢の計画は
厳しい禁止令の政治体制で もろくも崩れ去った
だが ベッテルハイムは官憲の厳しい監視下でも
燃えるような 信仰と 信念の 精神で
布教活動を 8年余り 遂行していく
前回の投稿にコメント頂き有難う御座います
大変励みになります
💻今月も先月同様にお付き合いを宜しくお願い致します。
(^_-)-☆今日もコロナや風邪に気を付けて元気で頑張りましょ~ネ!
🔶来訪コメントのお礼と月初めのご挨拶・それではまた明日👋👋!
海の果ては、滝になって奈落の果てに落ちるなんていわれていたのですから・・・。
あるいは、三角波に襲われて難破した船もあったでしょう。