27.09.08 だ る ま NO.911
「倒れても また起き上がる だるまかな」元祖は禅宗の「達磨大師」が18年間だったかの間座禅を組
んで修行したので、足がダメになったということらしいが、およそ縁起物として選挙戦などの際に、片目
の達磨が飾られ、勝利すればもう一方の目に墨を入れて無事開眼ということになる。
でも、ただ座禅を組んでるだけでは本当に「修行」になっているのかどうかは疑わしい。 そんなことし
たって世のため人の為にちっとも役に立っていないただの自己満足に過ぎず、足が使えなくなると人様
のお世話にならなければ生活が出来なくなってしまう、はた迷惑で愚かな行為にすぎません。
10年ほど前だったか、民主党の党首「前原 誠司」氏がニセメール事件のチョンボで苦境に立った時、
古参議員の渡邉恒三氏が前原を励ます意味で郷里の起き上がりこぶし(達磨)をプレゼントした。
ところがこの達磨は転げたまま立ち上がれない。 前原の前途を予感するような「事件」でした。
さて、近年、失敗しても再チャレンジできるような社会を創ろうというようなことはほとんど言われなくなっ
ています。 一旦貧困に陥ったらそのまま這い上がれないばかりか、子や孫の代までその貧困は
連鎖する。 いつだれがそうなってもおかしくないほどに身近な問題になっている。
年金の減額・消費税の税率アップ・介護保険や医療費の自己負担増額・などなど高齢者を取り巻く環
境は日々悪化し、よほどの蓄えがない限り老後の破綻が待ち受けている。