27.09.10 だ る ま 屋 NO.913
昭和31年に「売春防止法」が施行されて、私が住んでいた花街「住吉新地」にあった97軒遊女屋の
紅灯が消えました。 当時この街で「ウナギ」専門料理を営んでいた親戚のおじさんの店も、街に
閑古鳥が鳴き始めると商売が成り立たなくなってしまいました。
捨てる神あれば拾う神ありといいますが、ちょうど近所にあった会社の社員食堂の経営者が老齢た
めに商売がきつくなってきたので、手放すという話があって、渡りに船でその店を譲りうけたのです。
ところが、おじさんはもともと高級料理旅館で修業をした、腕利きの板前で大衆向きの料理なんかプ
ライドが許さないのでとてもできない。 焼き魚だってほとんど焼け目をつけないで焼き上げる達
の域でしたが、そういう料理を庶民はあまり食べたことがないので、おっさんこれ焼けてへんやんか!
と文句を言われる。 どう説明してもわかってくれない。 おじさんは1ケ月もしないうちにとうとう頭
にきて「もうやめじゃ!」と匙をなげたのです。「だったらおれがやる!」・・・と私が経営を引き受けました。
パートのおばさんと総勢5名で、フライを揚げたりジャガイモや玉ねぎの皮をむき6ケ月間頑張りまし
たが、忙しい割にあまり儲かる商売でもなく、そのうち公務員試験に受かったし、パートに来ていたお
ばさんの一人が希望したので経営を譲りました。 19歳でした。 その社員食堂の名前が「だるま屋」
でした。 空腹から解放されたのと貴重な経験をしたという思いがあります。