小言コウベイN

日々感じた風刺等について書いています。

失踪

2017-03-23 19:44:46 | 日記

   29.03.24      失    踪      NO.1473

  家人などが突然わけもわからずに居なくなって消息が途絶えることで、わが国では

年間に届け出があるものだけで約8万人、届出がないものを含めると10万人にもな

ります。 そのうち短期間に見つかるものは約70%ありますが、長期にわたり・ま

たは永久的に見つからない人は2万人ほどあります。

つまり2万人ほどの人は毎年「蒸発」しているのです。 そのうちにはどこかで死亡

して見つからない人もありましょうが、生きているのか死んでいるのかということが

からないままの人の数が年々累積しています。

そうすると、残された家族としてはその人の健康保険料・介護保険料・生命保険料・

その人が所有する不動産に対する固定資産税などの負担がかかりますから困ったこと

になります。 そこで、生きているか死んでしまったのかは解らないけれど、一定の

条件を満たせば、法律上は「死んだことにする」という制度があります。

それを「失踪宣告」といいます。

通常の状態では、不明になってから7年間消息が分からない場合、東日本大震災など

のような事故・または海難事故・飛行機事故などに場合は1年間消息不明ならばなら

ば、裁判所に申し立てて「失踪宣告」を受ける、つまりその人が生きているのか、ま

たは死んでしまったのかどうかは分からないけれども「死んだことにする」ことがで

きるのです。   ・・・続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒業式

2017-03-22 19:35:59 | 日記

    29.03.23      卒  業  式      NO.1472

 最近小学校の卒業式は、どこでもそうなのかどうかは解りませんが、常軌を逸して

いるんじゃないかというようなものがあるそうです。

卒業生の多くが羽織袴姿で、BGMが流れ拍手の中男女二人づつが入場する。 

もし二人が手をつないでいたら結婚式のリハーサルと見まがうような「式典」だった

という  甲斐性のある親だけがわが子を着飾らせ、あたかも愛玩動物みたい寵愛し

て、ご満悦なんだろうけれども、それってちょっと違うんじゃないの?と言いたくな

るとのこと。 (「高槻マジッククラブ通信」4月号 原口 勇氏 投稿より)

そういえば最近人生の卒業式(葬儀)で、老女(の屍)に角隠しにお化粧を施し、花

衣裳に着飾って納棺するという、ちょっとグロテスクなことをする遺族がいるとい

う。 そんなことを考えつくのは葬儀屋の金儲け主義の窮余の奇策なんでしょうけれ

ど、そこまでやるとはちょっと薄気味悪い。

なんでも人がやってることをマネしたい国民性を鑑みると、この先どうなることや

ら・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行列

2017-03-21 18:13:26 | 日記
 

 29.03.22    行   列        NO.1471

 

 新大阪駅構内に出店がある「蓬莱」の豚まんを買うには、長い行列に並んで30分は待たなければ買えません。

たかが豚まんのために30分も待つなんてばかばかしい限りですが、ちょっとしたお土産として豚まんは最適なので、皆さん仕方なく並ぶことになります。  行列(というより待ち時間)といえば病院です。 

 殊に大病院は3時間待ちの3分医療と言われるほどに混雑していて、この待ち時間は馬鹿になりません。

私はこの待ち時間を貴重な読書の時間にしていますが、待ち時間を少なくする合理的な取り組みをしている医院があります。

耳鼻咽喉科・アレルギー科の中村医院です。 診察の予約はパソコンからできて、診察番号があと12番目になると電話がかかって来て知らせるシステムで大変に便利です。

日赤病院の定期健診も医師がパソコンで検索して、一年先の日時まで予約ができて、無駄な待ち時間の削減を実現しています。

待ち時間などの非生産的な無駄を省くために、どこの病院にもこういうシステムを採用するように義務付けるべきではないでしょうか?

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道徳

2017-03-20 20:02:26 | 日記

   29.03.21       道   徳          NO.1470

 戦前の教科にはあったのでしょうが、終戦時小学校2年生だった私には習った記憶が

ありません。 親に孝に 兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、夫婦相和し・・・つま

り、親には孝行をしなさい・兄弟は仲良くしなさい・夫婦はお互いに和やかに慈しみ

会いなさい、までは良いとして「忠臣愛国」、「君」は天皇陛下ですから、天皇には

忠誠を誓い・国のためならば命を投げうてということになると、主権在民の国として

はまことにおかしい。

父親が命を投げ打った(というより投げ打たされた)ために妻子を貧困のどん底に陥

れ、母子家庭・貧乏人と蔑まれなければならなかったわが身を顧みると、国が言う

「道徳」って実に馬鹿ばかしいインチキに過ぎない話です。

親孝行しようにも天皇や国(という得たいに知らないお化け物)に命を捧げていたの

では、孝行のしようもありません。

もちろん国が言う「孝行」なんてものもインチキで、吉宗が親孝行を奨励して孝行者

に褒美を出したのは、救恤*費用を抑制するための高等政策だったといわれていま

す。  因みに、親不孝は「勘当」によって戸籍からはく奪するという罰則が用意さ

れていました。  いま、その「道徳」掲げる教育勅語がすばらしという、稲田さん

や安倍さんは、ちょっと時代錯誤じゃないんでしょうか?

*救恤(きゅうじゅつ)貧困者・罹災者などを救い、恵をあたえること。

  今でいえば生活保護のようなもの。

*勘当(かんどう)親子・主従・指定などの関係を切って追放すること。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017-03-19 19:32:05 | 日記

  29.03.20         母             NO.1469

 

人間だれしも自分の母を敬愛するものです。 私の母も夫を戦争で亡くしたために4人の子供を女手一つで育てたという事実に対しては尊敬します。  でも、どうにも納得がゆかないことがありました。 それは宗教です。 食べるものも着るものもろくにない貧困家庭なのに、貧困の苦しみから精神的に逃れたいのでしょうか宗教に傾斜して、なけなしのお金をどんどん宗教につぎ込むのです。

宗教にすがったって、本人は精神に安らぐのかもしれませんが、家族の空腹が満たされ・生活が豊かになるわけがありません。

母は子供に対しては絶対服従を強いていましたから、抵抗の仕様もありません。

私は子供の時に頭にできものが出来て、その跡に大きなハゲが出来まして、みんなにからかわれて恥ずかしくって仕方がありませんでしたが、散髪代が高くつく長髪(禿を隠し)さえも認めらませんでした。

この人とはもう付き合いが出来ないと判断して、20歳になると同時に「家出」同然の形で独り住まいを始めたのです。

今時の子供だったらこういう母親にだまってついて行くのでしょうか?

いまだって、宗教者を見ると庶民からなけなしの金銭を貪る詐欺インチキ・ペテン師と映ります。

 
 
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする