雨宮日記 6月1日(火) 「ある人生」と「する人生」
『ゲド戦記3 さいはての島へ』<岩波少年文庫>を読んでいます。
その最初の方、71pに、こう書いてありました。
「よくよく考えるんだぞ、アレン。大きな選択を迫られた時には、まだ若かった頃、わしは、ある人生とする人生のどちらかを選ばなければならなくなった。
わしは鱒がハエに飛びつくように後者【する人生】に飛びついた。だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。
ひとつの行為がつぎの行為を生み、それがまた次を生む。
そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる。
ひとつの行動とつぎの行動の間の隙間のような、するということをやめて、ただ、あるという、それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何物だろうと、考える時間をね。」
それは凄く共感します。
『ゲド戦記3 さいはての島へ』<岩波少年文庫>を読んでいます。
その最初の方、71pに、こう書いてありました。
「よくよく考えるんだぞ、アレン。大きな選択を迫られた時には、まだ若かった頃、わしは、ある人生とする人生のどちらかを選ばなければならなくなった。
わしは鱒がハエに飛びつくように後者【する人生】に飛びついた。だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。
ひとつの行為がつぎの行為を生み、それがまた次を生む。
そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる。
ひとつの行動とつぎの行動の間の隙間のような、するということをやめて、ただ、あるという、それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何物だろうと、考える時間をね。」
それは凄く共感します。