雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森53 ル=グウイン「ダークローズとダイヤモンド」

2010年06月26日 05時41分36秒 | 本と映像の森
本と映像の森53 ル=グウインさん「ダークローズとダイヤモンド」

 ル=グウインさんの連作『大地海シリーズ』、日本語訳『ゲド戦記シリーズ』、岩波少年文庫版では、第5巻『ドラゴンフライ ーアースシーの5つの物語ー』は、6巻のうち唯一の短編集です。
 
 「ダークローズとダイヤモンド」は、今までぼくが読んできた限りでは、時代順のどこに入るのかよくわかりません。
 何か、ヒントがあるかもしれませんが、まだ読み取っていません。

 これは、恋歌です。
 ダークローズ(暗い薔薇)という若い女性と、ダイヤモンドという若い男性の恋歌です。

 「愛しい人の行くところ ともに私も おもむかん
  愛しい人の こぐ方(かた)へ ともに私も こぎゆかん

  ともに笑って ともに泣き
  ともに生きて ともに死ぬ

  愛しい人の行くところ ともに私も おもむかん
  愛しい人の こぐ方(かた)へ ともに私も こぎゆかん」

 英語の原詩と楽譜が掲載されていたので、意訳ではなく、直訳をしてみました。

 「私の恋の行くところへ 私も行こう
  彼のボートのこぐところへ 私もこごう

  私たち ともに笑って ともに泣き
  彼が生きれば 私も生き
  彼が死ねば 私も死ぬ」

 これはダークローズの歌なので、蛇足ですが、ダイヤモンドの歌も勝手につくってみました。

 「ぼくの恋の行くところへ ぼくも行こう
  彼女のボートのこぐところへ ぼくもこごう

  ぼくたち ともに笑って ともに泣き
  彼女が生きれば ぼくも生き
  彼女が死ねば ぼくも死ぬ」

 1人ひとりが、自分のボートを自分でこいで、二人で、同じ方向にボートをこぐ人生って、好きなイメージです。

 「一人ひとりが自分自身の船長」で、おたがいに針路を教え合って相談することはできるけど、その針路を操縦して維持するのは、自分しかいないのですね。
 そうですよね?N子さん。

 この浜松市内の北区三ヶ日町の「静岡県立三ヶ日青年の家」での、ボート事故がありましたが、だれかが決定したことに言いなりに従って、嵐の海に、ボートを乗り出すのはすごく危険です。
 ほんらい「学校教育」は、そういう時の判断基準をもち、判断決定のできる人間を形成するのが目標のはずと想いますが、何かが違ってきているのでしょうね。

 
 


 

雨宮日記 6月24日(木) 何が食べたい?

2010年06月26日 05時25分04秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 6月24日(木) 何が食べたい?

 夕方、N子さんを助手席に乗せて、車を走らせていました。

 「明日は、何をつくろうかな?何が食べたい?」(まだ、N子さんは職探しをしているので、時間の余裕があります)。
 「うーん(「天ぷら」って言うと「二日前に作ったばかりじゃないの!」と怒るだろうなあ)、お茶漬けか、おにぎり」
 「それはすぐできるけど、ちゃんと野菜も食べないとだめよ」
 「ぼく、青虫じゃないし、チョウチョの幼虫じゃないから、野菜は、あんまり、いらない」
 N子さんは、苦笑いして「じゃあ、私は、青虫の生まれ変わりか」
 
 (そう、たぶん、とてもキレイなチョウチョのゼフィルスのね)。

 ちょうど、右手から、「片山さつき」さん(自民党の小選挙区制7区で落選した「小泉チルドレン」にしては年の女性)の宣伝カーが、ただただ「片山さつき、片山さつきです」と連呼していました。
 なんだか、語るべき政策もスローガンもポリシーもないのか、情けない政治家ですね。あ、違うかな。政治家ではないでしょうね。単なる議員だったのかな。
 
 「名前だけしか言わないのね」
 「せめて、何々をする片山さつき、とか言えないんだねえ」
 
 文芸大の前を通る頃から、曇り空からポツポツと雨が落ち始めました。
 明日は雨かな?

 夜は、部分月食なのですが、晴れないかな?
 いちばん欠けるのは、午後8時半過ぎです。

 写真は、ある日の雨宮家の夕食。
 いちばん右の白いのはご飯です。
 ぼくの食べる量ではないです。
 ぼくの食べるのは、夕食はお茶碗1杯です。