雨宮日記 8月11日(木) 「何ができるか」でなく…
則子さんは保母なのに、「ピアノはできないし(前は弾いたけど、ずっと弾いてないので)」「車の運転は出来ないし(普通免許は持ってるけどバイクしか数十年間乗ってないし)」「パソコンは出来ないし」と、職場で上司に「非難」されたようです。
「わたしはピアノも、車の運転も、パソコンもできる」と自慢する個人もいるようです。
(この書いたことについて、その内容は、すべて雨宮智彦に責任があります)
でも、問題は,個人個人の限定された能力ではなくて、集団として・組織として・運動として、みんなで、どう能力を発揮するかと言うことだ思うのですが。
何かの本で読んだ名文句「エジソンは数学者を雇えるが、数学者はエジソンを雇えない」
「何ができる」ということと「何ができない」ということを比較すれば、すべての個人が「できない」方が多いのはあたりまえです。
ぼくは車の運転ができますがバイクは運転できません。則子さんは、対人活動や保育はじょうずですが、ぼくは対人活動はにがてです…その他その他。
最大の問題は「できる」「できない」ではなくて、その「できる」能力を誰のために使うのか、ということだと思います。
その能力を、自分の幸せのためにだけ使うのではなくて、他人のために使えるかどうかが、その人の人生がプラスかマイナスかを分ける分水嶺のような気がします。
自分と他人とを、つねに比較する「偏差値人生」は、ものすごくつらい、地獄の針のむしろですよね。
ボクと則子さんは、いつも2人の能力をどう組み合わせて、他人ために使うか,使えるかを考えてきたような気がします。
「他人のために使う」という決意だけでは足りないと思います。「他人のために、自分たちの能力を実際に使えるかどうか」をテストして、点検しないといけないと思います。