雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月7日(土) 第2シリーズ原発学習会の第2回

2013年09月07日 22時17分02秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月7日(土) 第2シリーズ原発学習会の第2回

 今日の午後は、浜岡原発裁判静岡県西部の会主催で、第2シリーズ原発学習会の第2回でした。会の副代表の渥美邦夫さん(静岡大学工学部元教授)の「「除染」は幻想、原子力「発電所」は、海洋「熱汚染所」というタイトルです。

 朝、タイトルの拡大コピーに近くのセブンイレブンへ。まあ、こんなもんかなあ…

 会場は「曳馬協働センター(3月までは曳馬公民館)」で、家から近いので「則子さん、歩いていく?」と聞いたら「智彦くん、ムリよ!歩くだけで智彦くん、疲れて準備できないから車で行こ」と、ハナから拒否されました。

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 渥美先生は、パソコン・プロジェクター持ち込みで、図表を駆使して、わかりやすい講演でした。

 わかりにくい部分は、やはり、東電・政府が調査しないのか、調査しても公開しないのか、私たちには不明なところなんですね。

 原子炉へ流れ込む冷却水が1日360トン、原子炉地下へ流れ込む地下水が1日400トンだそうです。だとすると原子炉から循環している総量が1日760トン無いと、その差が原子炉建屋から地下へ流出していることになります。ところが、その部分があいまいなんですね。

 ボクは福島第1の1号機から3号機は、どれも「底の抜けたバケツ」状態になっていないか、疑っていますが、発表はありません。

 いま、「汚染水」対策で出されている話は、① 原子炉から離された汚染水タンクの汚染水と、② 原子炉建屋自体の地下水汚染、この2つを両方とも解決する対策が必要だとおもいます。

 そんな対策ができるか?できないでしょうね。たぶん。

 だからこそ「絶望の国」であり、そこでどうやって「希望の国」を作れるか、ということでしょうね。

 いまできる最良の汚染水対策は「未来の」、つまり「福島第1」以外の汚染水対策でしょうね。

 いま、すべての原発を止めて、2度と動かさないこと、それが汚染水対策で、まず行うことです。

 「再稼働反対」とは,ボクは言いません。漢字ばっかり使う運動は好きではありません。ぼくは「原発を2度と動かさないでください」と言います。

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 曳馬協働センターへ行ったときに、リサイクルで,プリンターのインクと、以前に壊れたノートパソコンを所定の箱に入れてきました。

 この家電リサイクルで、パソコンやデジカメや時計や、あとなんだっけかな、小さい家電をそこで処理してくれる事業は、非常にありがたいですね。

 これは、浜松市をほめてあげたいですね。え?ボクだって、つねに浜松市をけなしているわけではないですよ。変なことをすればけなすし、いいことをすれば褒めます。

 ただ、浜松市は、いいことをなかなか…してくれないので…ほめる機会がないんです…もっとほめたいんですけど…

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 浜松市中区放射線情報 再開第2回 9月7日(土)午前9時20分、

 雨宮家自宅2F屋内 0.038μSv/h

 原発問題・放射線問題が「風化」しているという記事もあったので、「風化」しないための、ぼくたちの努力の1つとして、空間線量測定公開を再開します。

 午後、原発学習会の曳馬協働センター2F303は、0.071平均でした。やはりコンクリの建物は「高い」です。

 


雨宮日記 9月6日(金)の2 昼間は袋井で親戚の告別式に行きました

2013年09月07日 21時31分54秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月6日(金)の2 昼間は袋井で親戚の告別式に行きました

 則子さんも、まだ仕事を見付けていないので、ぼくの父方の親族で、父より1学年下の89才の方が亡くなったので、2人で電車ででかけました。

 暑いので、浜松駅までタクシーで、浜松駅からJRで袋井駅へ。地図で見たら,袋井駅のすぐ南西にjあるので「袋井駅の南口へ下りて歩いて数分だな」と思っていたら、なんと、袋井駅には「南口」がなくて、北口しかありませんでした。

 歩く道もよくわからないので、しかたなく、袋井駅前でタクシーに乗って「すみません…近いけど…セレモニアJAへ」と言ったら,運転手さんが、「みんな、あそこはわからないんですよ」と、車で大回りして、途中「帰りはこの地下道を通ってくればいいですから」と教えてくれました。

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 最近の告別式は、故人の書や絵などの「作品」や、故人のスナップ写真を展示しています。ぼくらも準備しておかないといけないですね。 

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 お孫さんの「おじいちゃん」へのお別れの言葉があったり、心打たれる告別式でした。初めてあったみなさんとも、いろいろお話しして、帰って来ました。

 疲れました。むしろ、「主催者」なら、あれをして、ここを考えて、臨機応変に則子さんと相談して…ぜんぜん疲れないけど、なにもせずにじっと待っているのが疲れるんだと思います。

 

 


雨宮日記 9月6日(金) 写真の「整理」を始めたら…

2013年09月07日 20時27分27秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月6日(金) 写真の「整理」を始めたら…

 則子さんが「写真アルバムも整理して」と言うので(なお現代日本語に訳すると「写真も早く捨てて」という意味です)、プリントを入れて整理するフォルダーアルバムから写真を出して、内容でまとめて輪ゴムでしばり、アルバムは捨てる…という作業を始めました。

 かなり「体積」は減りますね。1970年代後半から、カメラで写真を撮っていたので、30数年間のネガとプリントと、10年くらい前?からのデジカメ写真のパソコン内ファイルが残っています。

 2015年完成目標の「平和年表」が一段落したら、「写真ファイル」を分野ごとにCDーRにして残したいのですが。

 ネガだけのものはモノクロも含めて膨大にあるので、それはスキャナーで取り込めるかな、と思っています。

 1979年2月11日の、2人の結婚式と新婚旅行の写真が出てきました。誰かが取ってくれた結婚式(自分で自分の結婚式の写真は撮影できませんね、残念ながら)のカラー写真(色あせてます)と、自分で撮った沖縄新婚旅行の写真(モノクロは色あせませんね、新鮮です)が出てきました。

 これは「未来に残したい」「歴史的価値」とは思いませんが、娘たちが「見たい」という希望があれば、お見せしますけどね。

 でも、この「労政会館」が今はすでにない(伊場へ移転してしまった)ことを考えると、写真としての「歴史的」価値はあるのかも?

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 空間放射線量測定数値公開 再開第1回 2013年9月6日(金)午前8時40分

 雨宮自宅2F南の部屋にて 0.041μSv/h (測定器機はつねに堀場PA1000)