遠州古代史 遺跡・寺社・地名 112 北区細江町中川の陣座ヶ谷古墳
浜松の中心街から北西へ、追分を通る261号線(姫街道・本坂道)を北西へ、大谷・湖東を越えた辺り、ちょうど前方に山があってその山を右へ道が迂回していく、その山の頂上が陣座ヶ谷(じんざがや)古墳です。
姫街道から山裾を車で上っていく道はあるのですが、軽自動車でやっと登れるような右は崖で、どこかへ車を置いて歩いて登るのが賢明かと思います。
ぼくたちは近くのスーパーへ車を止めて、もちろん買い物をしてから、道を10分くらい歩いて南東へ、山道を登りました。
実際に登ってみると、これは普通車ではとてもムリ、自分のスズキ・アルトでもギリギリ、車で来なくて良かったとゾッとしました。
裏から車で回る道もあるようなので、次回、行けたら報告します。
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登り切ると、古びた標識も立っていて、その標識のすぐ後ろが円墳、その後ろに前方後方墳の陣座ヶ谷古墳があります。
全長55m、後円部直径42m、前方部幅20mで、埴輪が巡らされていました。5世紀後葉の古墳ですが、この都田地域の北、「井の国」で北岡大塚古墳 → 馬場平古墳 → 谷津古墳 と3代古墳が築造されたあと、この都田地域に古墳築造が移ります。
これをどう見るか、また書きたいと思いますが、「井の国」の最初の古墳・北岡大塚古墳も、この陣座ヶ谷古墳も、前方部から後円部を見ると真東向き、つまり「太陽の出る方向」を向いていることは、注目すべきことだと思います。
陣座ヶ谷古墳から北側は都田川の平野が一望できて、まさにこの古墳に葬られた主が「都田平野の主」であることを実感できます。
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いま後円部の突端、東はじっこに木が生い茂ってしまい、古墳の「景観」をだいなしにしているのは興ざめです。
本来、古墳に生えているはずのない木は、まあ「木の毒」ですが、移植するかして「本来の景観」を取り戻していただきたいと思います。
写真は西の前方部のはしっこから東の後円部を見ています。後円部の向こうに見える緑が問題の「邪魔な木」です。