雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松台風情報① 9月14日(土)23時00分 まだコオロギが啼いています

2013年09月14日 23時02分19秒 | 雨宮日誌

浜松台風情報① 9月14日(土)23時00分 まだコオロギが啼いています

 まだ起きています。いま午後11時。予報では、南から台風の雲が北へ上がってきていて、そろそろ降り出しそうな感じですが、浜松市中区十軒町では、まだ降り出していません。

 西側の窓の外で「りりりりりり」とコオロギが啼いています。鳴いています。

 でも、大気が蒸し暑くい感じは、台風が接近して熱帯の空気が近づいているのを、みんな感じています。

 予測では、これから雨が降り出して、いちど15日朝に「強雨」になりますが、それから夕方まで「弱雨」で、夜は「強雨」になります。

 15日深夜からは台風が去っていく16日お昼頃まで「暴風」でしょうね。以上は、現段階での「予報」です。

 Yahoo!の「天気」では、浜松市内はほとんど曇りですが、すでに雨が降り出したところもあるようです。

 今回の台風情報① を終わります。いま23時11分です。次は、雨が降り出すなど、返歌があったら送信します。

 

 


雨宮日記 9月14日(土) 「資本論 第2部」講座でしたが明日は台風

2013年09月14日 22時14分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月14日(土) 「資本論 第2部」講座でしたが明日は台風

 夜は月1回の「資本論 第2部」講座でしたが、自分の認識のなかで、だいぶ進展がありました。最近、社会科学的なことは、あまり書いてないので、書ける余裕ができたら書きたいと思います。

 ☆

 明日から2日間、台風が来そうで、しかも東海地方を直撃しそうな「大雨台風」なので、たいへんです。

 さっき、次女は。日月休みなのですが、「わたし、買いだめしたよ」と言ってました。何があっても、自分の食料は確保したということでしょうか?きみは偉い!

 夜中から降り出すという予報ですが,現在、午後10時18分、まだ、リリリリリリリ、とコオロギの声が聞こえていて、雨は降り出していません。

 今回も、停電やパソコンダウンがないかぎり、このブログで、「台風速報」を浜松からお送りします。なにしろ、16日午前に、浜松付近を直撃しそうで、こわいです。

 馬込川決壊しないでしょうね?

 古代にも、大雨や地震で堤防の決壊がありました。天竜川の堤防の決壊もありました。古代から今まで,自然災害も、社会災害も続いています。

 現代のこういう災害をまったく直視せずに、古代史の研究だけをしているわけにはいきません。古代人の苦闘を直視するなら、自分が現代人として苦闘しなければならないと思っています。

 古代研究の比重は、もうすこし増やしたいとは思っていますが、古代から現代まで、宇宙から人類まで、ぜんぶひっくるめるボクのブログの意味は,少しはあるのではないかと思っています。

 

 


雨宮日記 9月13日(金) 浜松市議の傍聴と図書館へ「はだしのゲン」を借りに

2013年09月14日 22時02分25秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月13日(金) 浜松市議会本会議の傍聴と図書館へ「はだしのゲン」を借りに

 市民として市政に関心を持たねばと、ちょうど浜松城広場の芝生の放射線問題で質問があるので、本会議の傍聴に行きました。

 午後1時からなので30分前から受け付けます。則子さんと2人で受付に行ったら、ちょうど前の男性が「写真はいいんですか?」と聞いていて「携帯はだめですがデジカメならいいですよ」と市職員が言ったのでビックリしました。

 ずっと録音も写真もダメと思い込んでいたからです。それで、いつも持ち歩いたけど、きょうは邪魔になるだけなので持ってこなかった一眼レフ型デジカメではなく、ポケットに入れていた小さなデジカメで撮影しました。あまり画像はよくないかも。

  ☆

 1時間ほどで傍聴は終わり、その足で図書館へ。借りた本を2人とも返して、ぼくが「「はだしのゲン」予約したいんですけど」と言うと、職員(社員?)がパソコンを操作してくれて「中央図書館にはないんですけど、他の図書館の予約だと、いちばん少ない数で18人、多い数で30何人予約してますね」と言うので「来年、ほとぼりが覚めた頃、借りますね」ということになりました。

 それにしても、「松江教育委員会」の功績(?意図してではないけど)は大きいのではないでしょうか。「良い本か、悪い本か」まず読まないと…といくのは、正しいことです。

 誰かがどこかで「良い本か、悪い本か」決めるというのが一番悪い方法です。

 ぼくは「良い本も,悪い本も、ふつうの本も、ぜんぶ子どもに読ませないと、正常な判断力はつかない」と思っています。「子どもに正常な判断力などいらない」という立場なら別ですけどね。