雨宮日記 5月19日(月) 久しぶりに則子さんと馬込川を散歩しました
今日は則子さんはお休みです。午後2時から、それぞれ別々の用事があったのですが、お昼を食べてから、久しぶりに則子さんと馬込川を散歩しました。
もう初夏なので、冬鳥はもういません。オオバンたちは東日本へ、ヒドリガモたちはシベリアへ移動してしまって、川面は寂しいです。
と思ったら、ウが1羽、潜ったり浮いたりして魚を食べていました。
見た鳥は、ツバメ、カラス、スズメなど。
見た植物は、ナズナ、タンポポ、チガヤ、コバンソウなど多数。もう花の名前も思い出せないのもいっぱいあります。里山時代が懐かしいです。あのころ、午後、別の予定がなければ、浜北の里山に1人で車を走らせてましたね。10年近く。自伝「青い地球とオレンジの花」で書きたいと思います。
もちろん「青い地球」はぼくのことで、「オレンジの花」は則子さんのことです。
あのころのことは、草の匂い、鷹の飛翔、タマムシのきらめき、風のざわめきのように、記憶に刻まれています。幸せな時代でしたね。でも、いつか、それに別れを告げて、爆弾が炸裂し、精神が殺されていく残酷な社会の戦場に戻っていかないといけないのですね。
その決断を則子さんと共にした時が、ぼくたち2人の長く続いた浜北との関係を切断する、とても悲しい決断の時でしたね。
どんなに魅力的で素敵な場所であっても、そこにくっついてしまう憑依霊になってはいけないという判断でしたね。
いつでも、そこでたたかうか、そこから別の場所でたたかうか、自由な判断ができるようにしていたいと思います。
「そこでたたかえ」「逃げるな」というような素朴単細胞な判断は、たぶん間違うことになると思います。つねに間違いとは言えませんが。
いま、次女が、そういう決断を迫られているようで、いろいろ話をしています。決断をするのは次女で、ボクではありません。
ぼくは次女の決断を判断できません。自分のことではないですからね。ぼくのできることは、支援とアドバイスだけです。
自分で考えて、最善と思う決断をすればいいと思うよ、と言うだけです。
「がんばれ」とも「頑張るな」とも言えません。親というのは、苦しく、さびしい存在です。子どもを幸福に出来るというのはウソです。幸福になるかどうか、子どもの権利と責任ですから。親は介入できませんし、介入したら、子どもの行為になりません。
これからはTさん(長女)やアイさん(次女)の時代です。ぼくや則子さんは指図も命令もしません。できません。同じ世代のひとたちと、力と知恵を合わせて、新たな未来を創造してください。それを望みます。
そのために必要なものは、徹底的な客観性です。それに、ぼくのファイルが役立つといいのですが。