雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 5月30日(金) 平和行進第3日。ぼくは無職でも充実している

2014年05月31日 22時31分33秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 5月30日(金) 平和行進第2日。ぼくは無職でも充実している

 浜松の平和行進の第3日。則子さんは平和行進事務局長・現場責任者として、きのうに続いて今日も現場へ行きました。

 朝から夕方まで歩いたり、集会の司会をしたりして、午後6時頃帰宅。やっと終わったという感じです。今年も、いろいろてんやわんやはありましたが、だいたいうまくできました。

 明日は湖西から愛知県へ引き継ぎです。

  ☆

 ぼくは、午前中、図書館へ。本を7冊借り、2冊、予約。もう1冊、最近出た「コロポックル絵物語」という本を、ラジオで著者有川さんとの対談をしていたので、アッと思い借りようとしたら「予約が130人ついています。131人目ですけど」というので、さすがにやめました。131人目ということは、1週間で返してくれても、131×7=927日=2年と197日(6ヶ月半)、つまり2年半後にやっと借りられる。みんな2週間借りると、5年後・・・・恐ろしい話です。

 お昼(父とぼく)の支度をして、今度は共産党の地区委員会へ行き、則子さんが集金している日曜版読者の減紙手続きを2部しました。1部は読者が亡くなり、もう1部は読者からの「悪いけど」という申し出です。

 今月から赤旗日曜版は1部「823円」になり、「しんぶん赤旗」日刊紙は1部「3497円」になり、集金する方も、読者の方も小銭が必要で面倒ですが、「823円」出してくれる方もあり、減紙はほとんどありません。

 午後、知久屋へ行って、父用に「サバの味噌煮」を買い、家へ戻る。自分用にナスとタマネギで野菜炒めをつくり、あとは則子さんが朝作ってくれた煮物で、夕食を食べる。

 洗濯物を取り入れ、お風呂を洗った後、則子さんが返って来る。

 ここに書いていないあいまは、ほとんど本とパソコンに向かい、重要なことや事実を一太郎文書に書き抜いて、パソコン上で赤線や青線を引いたり、書き抜いた文書の表題をつけたりする。

 夜、もう何もないときは、「キリンのどごし生」350ミリリットル1本と、お酒(サークルKで買う「淡麗辛口」を数杯(則子さんが「数杯?」と言ってますが)か飲みながら、パソコンで上記の作業をして寝る。

 テレビは番組表を見て「これはいい番組」「これは重要な番組」というのしか見ない。

 むかし「忙しいと言うな。充実してると言いなさい」と年賀状「初春通信」に書いたような気がします。


ブログ初期に書いた「資本論の学習」より

2014年05月31日 18時28分47秒 | 人間・生命・宇宙

ブログ初期に書いた「資本論の学習」より 

資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

2010年02月10日 04時14分49秒 | 人間・心・社会・科学

 

資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

 「第1編第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の続きです。
 テーマは「商品の使用価値」とは何か、です。
 よくある誤解は「使用価値」とは、その語感から言っても、「使用することの価値」なのだから、その商品を使用するときの「効用」あるいは「満足感」とか、主観的なものではないかという誤解です。

 マルクスさんは、こう書いています。

 「ある物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値ままたは財である。」(新日本新書版①p60ー61)

 つまり、ある商品の「使用価値」とは、固いその商品体そのもののことです。
 だからこそ、ある商品の使用価値は「見える」のです。

 

資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品 2010年02月18日 22時01分16秒 | 人間・心・社会・科学

資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品

 「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第3回目です。

 まず哲学の学習で書いたことを繰り返しますが、本文は第1行目で「商品は、なによりもまず、その諸属性によってなんらかの種類の人間的欲求を満たす1つの物、1つの外的対象、である」としています。
 また「このような物はどれも、多くの属性からなる1つの全体であり、それゆえ、さまざまな面から有用でありうる。」
 
 この「属性」について、山本広太郎さんは『差異とマルクス ー疎外・物象化・物神性ー』(青木書店、1985年)で、以下のように述べています。

 「属性 Eigenschaft とは物 Ding の属性であり、物のうちで自立性を喪失し、観念化され、したがって「互いに分離して」いないものだからである。分離しておれば、属性ではなく、要因 Faktor (因数分解の因数はこれ)である。」(p173)

 商品の属性とは、たとえばコップが① ガラスでできている、② 透明である、とか、③ 上から見ると円形である、④ 横から見れば長方形である、⑤ 液体を入れておくことができる、などのことです。
 
 それに対して商品の要因の1つである「使用価値」とは「鉄、小麦、ダイヤモンドのような商品体そのものが、使用価値または財である」と述べているように「商品体」そのものを指しています。

 そして、商品が、価値と使用価値という2つの要因に分解できるからこそ、その独立した要因同士のからみあう運動によって、新たな「貨幣」という現象が生まれてくるのだと思います。
 『資本論』では、そのような、見た目には1つのプロセスが、それぞれの要因で、二重の意味をもって二重な結果をもたらすという「二重性」が大事だと思います。

 第1行目に戻りますが「資本主義的生産様式が支配する諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現われ、個々の商品はその富の要素形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。」とあります。

 ですから、「個々の商品」「諸社会の富」「の要素形態(独 Elementarform)」であり、要素である「個々の商品」が、また、2つの要因(独 Faktren)に分かれるということです。

 この「要素」と「要因」はマルクスは使い分けていますが、同じものなのか、違うものなのか、私にはまだわかりません。学習していきたいと思います。」

 以下、「資本論の学習7」まで書いたようです。4年も経つと書いた本人も忘れていました。

続きも書きたいと思っています。


本と映像の森 300 カール・マルクス『資本論 Das KapItal』

2014年05月31日 18時15分04秒 | 本と映像の森

 本と映像の森 300 カール・マルクス『資本論 Das KapItal』

 記念すべき「300」回目は、「もしキミが無人島へ持って行く1冊だけ」の本を選べ、と言われたら、という問いです。この前、辞書作りを描いたテレビ番組で「大辞林」を描いてましたが、冒頭でそういうシーンが出て来ます。

 やはり、これでしょうね。カール・マルクス著『資本論』、全3部で、この新日本上製版では、残念ながら「1冊」にはなりません。新日本新書版だと13冊、これだと5冊。
 無人島へ持って行くには重いですが、自宅に置くには、これと別に「索引」があるので、ボクのおすすめです。

 現代社会を理解するにも、弁証法哲学を理解するためにも、最良の書です。内容については、また紹介する機会があると思います。

 小さい学習会とかやりたい方は、ぜひご相談ください。チューターやります。

 第1部 資本の生産過程 1319ページ 

 第2部 資本の流通過程(というタイトルですが実際は違う) 

                                  857ページ

 第3部 資本の総過程  1596ページ
              合計 3772ページ
 

 なおドイツ語の原題では「Das KapItal」ですので、「Das」というのは単なる定冠詞であって「資本」というのが正解で、ドイツ語の授業だったら「資本論」というのは、誤答になると思います。

 


本と映像の森 299 映画「ターミネーター2 審判の日」

2014年05月31日 18時03分56秒 | 本と映像の森


本と映像の森 299 映画「ターミネーター2 審判の日」

 TERMINATER  JUDGMENT DAY

 現代都市の車の氾濫
 そして、公園で遊ぶ子ども達の楽しい映像が白くなった後
 暗い夜の、衝撃的な廃墟の映像が現われ、ボロボロになった車や
 たくさんの骸骨。
 そしてクレジット「30億の人命が核戦争で失われた1997年
 8月29日 生存者は この日のことを
 “審判の日”と呼んだ 彼らの悪夢は さらに続いた
 機械との戦争である」

 人類抵抗軍に手を焼いたロボットたちは、
 過去の歴史に手先を送り込んで、人類抵抗軍の歴史を抹殺しようとする。

 その目標は

 敵の頭脳 コンピュータの“スカイネット”は
 2機の殺人機(ターミネータ-=終末機を過去に派遣、
 殺害の目標は「ターミネータ-1」では人類抵抗軍のリーダー
 ジョン・コナーの母親サラ、
 そして「2」では10才になったジョン自身。

 主人公は、以下の「4人」でしょうね。「4体」かな。

 生い立ちもあって、かなり屈折してませている少年ジョン・コナー
 精神病を疑われ病院に患者として入管されている母親サラ・コナー
 人類抵抗軍から過去に送り込まれたロボット「ターミネータ2」
 人類を絶滅しようとする未来のロボット勢力から送り込まれ警察官などに化身するロボット


 夢のなか、幻想のなかで、ジョンの父親、死んだ夫のカイルがサラの目の前に現われる
 「目を覚ませ」
 「カイル?死んだのに」
 「あの子はどこだ」
 「無理矢理奪われたの」
 「奴らが狙ってる 君が守ってやるんだ」
 「守るって どうすればいいの?あの子はもう私を頼っていない」
 「君は自分で考えているより強い女だ 立って戦うんだ 君を愛している 永遠に」
 「私もよ」
 「君を見守ってる 忘れるな 未来を切り開くのは 運命じゃない 君自身なんだ」
 「行かないで」
 「世界の最後が近い」

 夢のなかで夫カイルを追ったサラは、公園で遊ぶ子どもたちの映像に直面する。
 それは、毎晩、サラが夢に見た核戦争の悪夢。
 「世界は、滅びるのよ!」

 滅亡を必然とした世界に、未来からの干渉で、世界を変える可能性が発現します。

 「ターミネーターは片時もジョンから目を離さず
  彼を守る
  どなったり酔うこともなく
  ジョンを見守ってくれる
  そして いざとなれば 命を捨てて
  ジョンを守る  
  父親代わりの男は大勢いたが
  本当にその役を果たせるの
  このマシーンなのだ 
  この狂った世の中で
  唯一確かなことだ」

  
 「“運命ではない”
  “人生は自分で築く”
  パパが残した言葉だ
  未来の僕がパパに教えたんだけどね
  とにかくこういう事だ
  未来は運命が決めるものではない
  自分の手で切り開くんだ
  母さんは未来を変える気だ」
  
 「言ったろ!
  人を殺すのはよせ
  たとえダイソンでも
  命の尊さを分かってないんだ
  人間は傷つくし恐怖を感じる
  君も それを学ばなきゃ」

 さあ、人類はもう夕暮れで、これから夜になるのか