雨宮智彦哲学経済学メモリー 21 20200317 資本論の学習 4 商品の交換価値(現象形態)と価値 20100315
「資本論の学習 4 商品の交換価値(現象形態)と価値
2010年03月15日 04時08分26秒 | 人間・生命・宇宙
「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第4回目です。
今回から価値とその「現象形態」である「交換価値」の考察に入ります。
マルクスさんは言います。
「交換価値は、さしあたり、1つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち、比率として現われる。それは、時と所とともに絶えず変動する関係である。」(新日本新書①p62)
そして「ある特定の商品、たとえば」300リットルの「小麦は、X量の靴墨、Y量の絹、Z量の金などと、要するにきわめてさまざまな比率で他の商品と交換される。」
「それゆえ、こういうことになる。
第1に、同じ商品の妥当な諸交換価値は1つの等しいものを表現する。
しかし、第2に、交換価値は、一般にただ、それ【交換価値】とは区別されるある内実の表現様式「現象形態」でしかありえない。」(p63)
「さらに、2つの商品、たとえば」300リットルの小麦=akgの鉄「この等式は何を意味するか?
同じ大きさの1つの共通物が、2つの異なった物のなかに、すなわち」300リットルの小麦のなかにも、akg「の鉄のなかにも、実存するということである。したがって、両者は,それ自体としては、一方でもなければ、他方でもないある第3のものに等しい。」(p63)
注)原文の「ブッシェル」では現代の私たちにはぴんとこないし、イメージできないので「300リットルの小麦」という表現をしてみました。
「この共通なもの【第3のもの】は、商品の幾何学的、物理学的、化学的、またはその他の自然的属性ではありえない。・・使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、1原子の使用価値も含まない。」(p64)
正確に雨宮流に翻訳して「使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であり、相異なる量かあるいは同じ量であるが、交換価値としては、なによりもまずまったく同じ質であり、相異なる量である」という風になりますか。
つまり 使用価値は 異なる質 異なる量か同じ量
交換価値は 同じ質 異なる量か同じ量
交換価値で「同じ質、異なる量」と私が規定するのは、等号「=」で結んだ等式「300リットルの小麦=akgの鉄」という場合には、小麦の交換価値と鉄の交換価値は、等式の左右で同じ量でなければならないからです。
この交換価値の「質」をマルクスさんは、次のパラグラフでこう解説しています。
「そこで、諸商品の使用価値を度外視すれば、諸商品にまだ残っているのは、1つの属性、すなわち労働生産物という属性だけである。」(p64)
やっと、労働生産物という、商品を生産する労働の問題が出てきました。以下、続きます。
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