雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社7 引佐町の龍潭寺の石庭(せきてい)

2010年04月13日 05時19分57秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社7 引佐町の龍潭寺の石庭(せきてい)

 4月11日(日)に、龍潭寺にも行きました。ここは、「井の国」=今の「引佐町」をすくなくとも平安時代(あるいはもっと前から)から江戸時代までの地域豪族「井伊氏」の菩提寺です。
 井伊氏の元祖・共保さんから40代の祖先をまつっています。

 ちょうど本堂の工事中でしたが、有名な、小堀遠州さんが設計した「石庭」は見ることができました。
 小堀遠州(こぼりえんしゅう)さんは、父親が豊臣秀吉の弟・豊臣秀長に仕え、遠州さんは茶の湯では、千利休さん→古田織部さん→小堀遠州さんという流れの宗匠です。
 さらに、建築や庭造りにも才能を発揮したマルチタレントです。

 この小堀遠州さんが企画・設計・監督した「石庭」は、龍潭寺へ来る前に見た「天白磐座遺跡」と多くの共通点があります。

 ① 自然の中に、たくさんの石が散在していること。
 ② 中心的な巨石がいくつかあること(天白磐座遺跡では、山頂の3つの石と西南の2つの石、龍潭寺石庭では両脇と中心の3つの石)
 ③ 周囲に緑の森が茂っていて、鳥の声が聞こえること
 ④ どちらも周囲に水が流れていること(天白磐座遺跡は神宮司川が、龍潭寺石庭は人工的な水の流れが)

 ここからは推理なのですが、天白磐座遺跡では、小堀遠州さんの生きていた江戸時代まで、祭祀が続いています。
 
 小堀遠州さんが、井伊家の当主の依頼を受けて、この「龍潭寺石庭」を設計したときに、地元の人あるいは井伊家当主さん自身から天白磐座遺跡のことを聞き、実際に、この天白磐座遺跡を見にいった可能性は大きいのではないでしょうか。
 あまりにも類似点が多すぎます。

 これ以上のことは、もっと小堀遠州さんのことを調べて書きたいと思います。





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