雨宮日記 5月10日(金) すごい!「アトランティス」大陸か?だそうです(笑)
雨宮ブログ開設から1278日、だそうです。つまり365日の3倍は1095日、4倍は1460日で、3年と数ヶ月、よく書いてきたな、と思います。
ブログのいいところは、紙の「日記帳」と違って、ネット上で「単語」をいくつか入れて「検索」すれば、自分がそのことを書いたかどうか、すぐわかるということです。
さて、ラジオニュースや新聞では、ブラジル沖に「かって陸地だった大陸の証拠」発見とあり、しかも、それがプラトンで有名な「アトランティス」大陸に関連づけて、報道されています。
最初にボクが聞いたNHK①のラジオニュースでは、ご丁寧に、プラトンに始まって、ジュール・ヴェルヌ「海底2万里」や、日本の現代アニメ「不思議の海のナディア」まで語っていました。
そもそも、年代が違う!プラトンのいう「アトランティス」文明は、1万2千年前の話で、ブラジル沖の「かって陸地だった大陸地殻」が海に沈んだのは「5千万年前」です。
つまり、ほ乳類の「新生代(7千万年前から)がようやく始まった時代の「陸地」です。人類の始まりは、せいぜい数百万年前、クロマニヨン人の新人類は数万年。とても無理です。
理路整然と言うと、ブラジル沖「海底大陸」の発見と、アトランティスとは、何の論理的つながりもない、論理的つながりはありえない話なのです。
でも、こういう話は大好きなのは、「市民科学者」「市民ジャーナリスト」としては不謹慎でしょうか?
SFとマンガの融合の傑作、というよりSF作家の原作を見事に漫画家がコミックで描いた傑作「百億の昼と千億の夜」を思い出しました。
原作はボクのだいすきな光瀬龍さん、そして漫画化も、ぼくのだいすきな萩尾望都さん。
まあよくよく考えてみれば、とんでもない小説で、主人公は3人、ギリシアの哲学者プラトンとインドの宗教者シッタータ(つまり仏陀)とインドの伝説の悪神阿修羅(興福寺の阿修羅像そっくりです)の3人が歴史とは、神とは、正義とはを探索する3人組で、この3人に敵対する悪神の手先がなんと、あのイエスキリスト、というのですから奇想天外です。
光瀬龍さんは、よく「冒涜罪」「侮辱罪」で仏教国やキリスト教国で裁判にかけられなかったな、と思うし、ひそかに「死んでもらいやす」と暗殺者が深夜来てもおかしくないくらいだと思います。あの、「裁判」や「暗殺」が正当、と言ってませんよ。それくらい、光瀬龍さんの精神が、何も恐れない、大胆不敵、ということを高く評価して言ってます。
SF作家というのは、本来、そういうものです。小松左京さんが同じSF作家の星新一さんのことを書いた小説で、星新一さんの話芸、というより風刺・皮肉・批判は、ものすごい絶品で、話の対象にされた人や団体が実際にそれを聞いたら、「死んでもらいやす」と刺客を送ってくるくらいの、ものすごいものだった、と。
当時、関西にいた星新一さんが、東京にたむろしていた、売れないSF作家たちのところに上京してくると、みんな、最優先でかけつけたといいます。つまり、その場にいないと、星さんの絶妙の揶揄・風刺・批判の対象にされてしまうので、みんな、必死にその場にかけつけたといいます。
かなり、話がそれました。おやすみなさい。
☆
補足。細身だし、若いことは確かだけど、少年とも少女ともわからないのが、興福寺の「阿修羅」像だと思います。この阿修羅像をモデルに、萩尾望都さんは、魅力的な「阿修羅」を描きました。
マンガ版を読めば、仏陀が天界を訪れて逢った、天界の軍神帝釈天が語った「この荒廃の原因は阿修羅」という話に「阿修羅と対話することができないのですか」と反問し、実現したのが、仏陀と阿修羅との「邂逅」です。
萩尾マンガでは、どうみても少女阿修羅は、天界の軍神帝釈天のかっての恋人です。帝釈天は夜空に輝くオーロラを共に見ながら、釈迦に言います。「美しいものであろう。あのものの心のように揺れ動く」(というようなボクの記憶です)
天界のなかで阿修羅だけが、天界に外からやってきて支配していく「弥勒」に疑問をもち、軍をあげて抵抗している、という設定です。
日本人、とくに青年の必読書だと思います。