雨宮日記 7月8日(日)夕方 映画館「シネマイーラ」で日系ブラジル人の青年たちの映画
則子さんは、午前中「行動」です。
午後起きてから、ぼくは父の自伝のパソコン入力をしました。以前から使っている日本語ワープロ「一太郎」で編集すれば出版社でそのまま出版原稿にしてくれるので、文字からレイアウト・図表など全部自分で打ち込むことにして、今110ページくらい打ち込んでいます。
8月くらいには打ち込みを終えて、来年3月に自費出版したいと決めています。
☆
午後6時過ぎに、則子さんと電車に乗って中心街へ。「第一通り」駅で降りました。どうしても「だいちどおりえき」にしか聞こえません。
駅で次女のIさんと待ち合わせて、映画館へ。小劇場の映画館「シネマイーラ」でで、午後7時から映画「孤独なツバメたち ーデカセギの子どもに産まれてー」という映画を3人で観ました。
映画は日系ブラジル人の若者たちを、経済危機でどんどん解雇されるブラジル人たちがブラジルに帰る中、日本で育ったり、日本で生まれた若者たちの「選択」を追っています。
映画館から出て3人で歩いている時の話で、3人が3人とも一致したのは、彼らの方が純日本人(もちろん純粋日本人なんていません、日本人は歴史的に雑種民族ですが)の純粋培養の若者たちより逞しくて賢いのではないかということでした。
とくに映画で16才~18才の少女パウラさんについて、次女は「あの年で、あんな賢い日本の女の子はいないよ」と自分の生徒体験を込めて言ってました。そうでしょうね。
「閉鎖病棟」じゃない「閉鎖学校」「閉鎖社会」=その頂点が「原子力村」に住んでいる私たちは、彼らのように「どうすればいいか」悩まないのじゃないでしょうか。いや、悩まないのが基本で、悩んだら、「村の住民」ではいられません。
チラシに「強く生きる青年たち」「デカセギという運命に翻弄されながらも、明るく、逞しく生きる日系人の若者たち」と書いてありましたが、ぼくは「強く」も「明るく」も「逞しく」もない日本の若者たちの未来を思うと、なんだかげんなりしてきました。でも、原発反対での若者たちの行動を見ると、そこに未来はあるのでしょうね。
帰り道で「日本人の若者たちに、レポーターをしてもらって、自分たちのテーマとして考えるプロセスを映画に撮影したら、二重の視点で、もっと映画が深まったと思うけど」と言ったら、則子さんが「そんな気力のある青年達が見つかるかしら」と言うので、アチャーでした。
ぼくが大好きな、60年代の映画「若者たち」を思い出しました。あれくらい、ちゃぶ台をひっくり返すくらいの、気力があればね。ボクはありますけど。則子さんが20年くらい前に言ってました。ぼくが聞こえてないと思って、聞こえちゃいました「ノブカズくんは、しつこいんだから。ずっと追求するの」と(東京・夢の島にて)
文化という問題でも、ストリートダンスとその軽快なブラジル的音楽が凄く印象的でした。
それと、街頭ダンサーでブラジルに帰ったコカさん(22才)のその後の取材映像で、「住民が不法占拠して家を勝手に建てた街」で周囲の青年を誘って、ダンス仲間を組織した映像がすごく印象的でした。
踊りで、文化で、若者たちを誘って、悪の道に踏み込まないような活動をしている、って凄いことだ感動しました。それは、浜松での映像でも同じです。
写真は映画終了後の監督など挨拶で踊ってくれた、映画の中でも出演したストリートダンサーで日本に一人だけ残った青年のダンスです。
映画「孤独なツバメたち」は7月13日までやってます。見て、何かしら、得ることがある映画だと思います。まあ、ぼくが精選したからと言って何の権威もないですが、観るといいですよ。
気になっているのは、大麻を吸ってしまい、入管から強制退去勧告を受けたのに出頭せず、日本国内のどこかに逃げている佐竹エドアルドさん(19才)がどこにどうしているのか、分からないことです。エドアルドさん、キミはどこにいるの?
まだ感動の延長で、あまりまとまらない文章になりました。
少女パウラのことを、次女のIさんは、しきりに話していました。自分の同じ年令の頃の苦労がよみがえってきたんでしょうか。日本でパウラさんは、両親の虐待もあったみたいで(ぼくらは違いますよ)、リストカットやなどをしていたと。
でも体験や苦しみが深ければ深くても、それを自分で受け止められる基礎ができていれば、それは自分を深める契機(モメント)になるんですね。
単純に苦しみが深いだけでは、自分の人格や心が耐えられなくて崩壊してしまいますが、自分の中の人格形成が思春期までに少しはできていれば、その苦しみは、自分を鍛え直すバネになると思います。
この前、十軒町で自死した中学2年生は、そういう人格・自我・心が形成されていなかったのではないかと、いう気がします。
見かけの社会の、見かけの「正常」さではなくて、一人ひとりの心・人格・自我が、何よりも尊重され、おたがいに温かく信じ合える社会になれるでしょうか。
「なれる」かどうかは、わかりませんが「なりたい」という努力は、一致できる人たちと手をつないで努力していきたいと思います。
則子さんは、午前中「行動」です。
午後起きてから、ぼくは父の自伝のパソコン入力をしました。以前から使っている日本語ワープロ「一太郎」で編集すれば出版社でそのまま出版原稿にしてくれるので、文字からレイアウト・図表など全部自分で打ち込むことにして、今110ページくらい打ち込んでいます。
8月くらいには打ち込みを終えて、来年3月に自費出版したいと決めています。
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午後6時過ぎに、則子さんと電車に乗って中心街へ。「第一通り」駅で降りました。どうしても「だいちどおりえき」にしか聞こえません。
駅で次女のIさんと待ち合わせて、映画館へ。小劇場の映画館「シネマイーラ」でで、午後7時から映画「孤独なツバメたち ーデカセギの子どもに産まれてー」という映画を3人で観ました。
映画は日系ブラジル人の若者たちを、経済危機でどんどん解雇されるブラジル人たちがブラジルに帰る中、日本で育ったり、日本で生まれた若者たちの「選択」を追っています。
映画館から出て3人で歩いている時の話で、3人が3人とも一致したのは、彼らの方が純日本人(もちろん純粋日本人なんていません、日本人は歴史的に雑種民族ですが)の純粋培養の若者たちより逞しくて賢いのではないかということでした。
とくに映画で16才~18才の少女パウラさんについて、次女は「あの年で、あんな賢い日本の女の子はいないよ」と自分の生徒体験を込めて言ってました。そうでしょうね。
「閉鎖病棟」じゃない「閉鎖学校」「閉鎖社会」=その頂点が「原子力村」に住んでいる私たちは、彼らのように「どうすればいいか」悩まないのじゃないでしょうか。いや、悩まないのが基本で、悩んだら、「村の住民」ではいられません。
チラシに「強く生きる青年たち」「デカセギという運命に翻弄されながらも、明るく、逞しく生きる日系人の若者たち」と書いてありましたが、ぼくは「強く」も「明るく」も「逞しく」もない日本の若者たちの未来を思うと、なんだかげんなりしてきました。でも、原発反対での若者たちの行動を見ると、そこに未来はあるのでしょうね。
帰り道で「日本人の若者たちに、レポーターをしてもらって、自分たちのテーマとして考えるプロセスを映画に撮影したら、二重の視点で、もっと映画が深まったと思うけど」と言ったら、則子さんが「そんな気力のある青年達が見つかるかしら」と言うので、アチャーでした。
ぼくが大好きな、60年代の映画「若者たち」を思い出しました。あれくらい、ちゃぶ台をひっくり返すくらいの、気力があればね。ボクはありますけど。則子さんが20年くらい前に言ってました。ぼくが聞こえてないと思って、聞こえちゃいました「ノブカズくんは、しつこいんだから。ずっと追求するの」と(東京・夢の島にて)
文化という問題でも、ストリートダンスとその軽快なブラジル的音楽が凄く印象的でした。
それと、街頭ダンサーでブラジルに帰ったコカさん(22才)のその後の取材映像で、「住民が不法占拠して家を勝手に建てた街」で周囲の青年を誘って、ダンス仲間を組織した映像がすごく印象的でした。
踊りで、文化で、若者たちを誘って、悪の道に踏み込まないような活動をしている、って凄いことだ感動しました。それは、浜松での映像でも同じです。
写真は映画終了後の監督など挨拶で踊ってくれた、映画の中でも出演したストリートダンサーで日本に一人だけ残った青年のダンスです。
映画「孤独なツバメたち」は7月13日までやってます。見て、何かしら、得ることがある映画だと思います。まあ、ぼくが精選したからと言って何の権威もないですが、観るといいですよ。
気になっているのは、大麻を吸ってしまい、入管から強制退去勧告を受けたのに出頭せず、日本国内のどこかに逃げている佐竹エドアルドさん(19才)がどこにどうしているのか、分からないことです。エドアルドさん、キミはどこにいるの?
まだ感動の延長で、あまりまとまらない文章になりました。
少女パウラのことを、次女のIさんは、しきりに話していました。自分の同じ年令の頃の苦労がよみがえってきたんでしょうか。日本でパウラさんは、両親の虐待もあったみたいで(ぼくらは違いますよ)、リストカットやなどをしていたと。
でも体験や苦しみが深ければ深くても、それを自分で受け止められる基礎ができていれば、それは自分を深める契機(モメント)になるんですね。
単純に苦しみが深いだけでは、自分の人格や心が耐えられなくて崩壊してしまいますが、自分の中の人格形成が思春期までに少しはできていれば、その苦しみは、自分を鍛え直すバネになると思います。
この前、十軒町で自死した中学2年生は、そういう人格・自我・心が形成されていなかったのではないかと、いう気がします。
見かけの社会の、見かけの「正常」さではなくて、一人ひとりの心・人格・自我が、何よりも尊重され、おたがいに温かく信じ合える社会になれるでしょうか。
「なれる」かどうかは、わかりませんが「なりたい」という努力は、一致できる人たちと手をつないで努力していきたいと思います。