雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

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『落葉松』「文芸評論」 ㉓ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 2」

2017年09月19日 19時13分44秒 | 雨宮家の歴史

『落葉松』「文芸評論」 ㉓ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 2」


 十一年四月の『まんだら』以来『落葉松』『はりはら』『アカシア』と引きつがれて、足かけ四年半に亘った大正歌人群は、雪膓が大正末年に自由俳句に転向した為、指導者を失い、城西の「犬蓼短歌会」へと移っていった。

 『犬蓼』二百五号(大正十五年一月)の編集余録に東城の筆にて、大正十四年の総勘定として「新人彗星の如く出現す。曰く亮一、曰く源一郎、曰く福男云々」とある。それぞれ松浦亮一、長谷川源一郎、中谷福男の諸氏のことである。

 『落葉松』が創刊された大正十二年七月と同じくして、青塘社同人の山本さとるによって『処女地』が発刊された。

 『谷島屋タイムス』20号(大正十二年八月)(文献②)にも、アララギ歌風の浸透を伝える史料、平松東城・小松東幹・近藤用一・中谷福男・山本さとる・高杉幸次郎・鈴木登志夫の七名の短歌作品を収める。いずれもアララギ歌会である。平松、中谷は城西の門下、とある。

 「犬蓼」会員は又「アララギ」会員でもあった。『アララギ』三巻六号(明治四十三年)の巻頭を飾った木村秀枝と佐藤綠郎の作は『犬蓼』二十三号所載(中編参照)の歌であり、『アララギ』四巻八号(明治四十四年)の「子規十周年記念号」に城西の作二首を見る。

 くれないの蚊帳の釣り手を目守りつ
うつろ心にいめに入るかも

 さみだれの夕晴れくれど花摘の葉の
たまる水かわきあへずも

 城西のふる里の風土を愛する秀歌抄の一つ。

西来院に築山御前の墓所を訪ふ
 しのび立つおくつきどころ荒れにけり
         松葉もつもり玉垣の上に

 西来院はわが家の菩提寺であり、藤の花の名所で、「咲きながら のびすすむなり 藤の花」の松島十湖の句碑があり、少年時代は遊び場であった。築山御前の墓所も荒れ放題で土塀なども崩れたままであった。戦後寄付する人あり、修復されてよみがえった。

 「アララギ」初期の郷土歌人を「アララギ二十五周年号」(昭和八年)に見ると次の如くである。
  初出号
 柳本城西 一巻二号 明41
 山下愛花 一巻二号 明41~六巻五号 大2
 木村秀枝 一巻二号 明41~八巻三号 大4
 槇不言舎 一巻二号 明41~十六巻六号大12
 奥島欣人 一巻二号 明41~二巻一号大4
 佐藤緑廊 一巻二号 明41~八巻二号大4
 川下静夫 三巻五号 明43~八巻三号大4
 大塚唯我 三巻六号 明43~十巻二号大6
 加藤雪膓 五巻三号 明45~十八巻四号大14
 伊藤紅綠天 五巻三号明45~七巻十一号大3
 平松東城 十三巻十二号大9
           ~十四巻一号大10
 奥村晋 十五巻五号 大11
           ~十六巻6号大12
 中谷福男 十五巻七号 大11
 近藤用一 十五巻十二号 大11
        ~十七巻七号 大13
 蒲清近 十五巻四号 大11
        ~十五巻5号 大11
 御津磯夫 十七巻十一号 大13
~二十二巻八号 昭4
 細田西郊 十九巻十号大15
~二十二巻十一号 昭4
 細田仲次 二十一巻十二号 昭3
~二十五巻九号 昭9
 安中新平 二十三巻三号 昭5~
 斉田玉葉 二十四巻七号 昭6~
 佐藤房一 二十四巻二号 昭6~
 太田進一 二十四巻二号 昭6~

 このあと、鈴木喜之輔、大竹玄吾、紙谷庭太郎、加山俊。前田道夫などの俊英に引き継がれていった。

< 続く >


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