遠州古代史 イナサと小国神社と「国譲り」神話
「古代史の本」で紹介した「池田潤著『古事記のコード 太陽のラインと隠された古代地図』戎光祥出版、2011年」に解明されていたことを紹介します。
新浜松市の北区に「引佐町」があります。この「いなさ」「引佐町」は合併前からの古い町名です。この「引佐」に関連した点です。
まず出雲神話で高天原からの遠征隊が出雲に降り立って、出雲の王者「大国主(おおくにぬし)」に「国譲り」を迫った歴史的な事件です。この時点で、日本列島の支配権が出雲国家から新しい「天孫族」に移ったわけです。
この遠征隊が降り立ったのは「稲佐の浜」でその真東に大国主の大神殿「出雲大社」があります。この国譲りは有名な話しです。
ところがあまり知られてない、別の国譲りの話しが伊勢にあります。『伊勢国風土記逸文』によれば西から進撃してきていったん敗戦で南から大和に侵入したイワレ彦(後世名、神武天皇)が天日別命(あめのひわけみこと)に、ここから東へ行けと命令されて兵を率いて伊勢へ行き、土着の伊勢津彦という神を「国譲り」させ、追い払って(信濃に移住したとあります)伊勢をヤマト国家の領土にしたという話です。
そしてこの伊勢の地にヤマト国家が創った伊勢神宮が、じつはヤマトのいなさ山の真東にあるのです。
つまり、2ヶ所で「いなさ」は天孫族による土着の国つ神へのお「国譲り」と関連しています。そして「いなさ」と重要な神社は東西線に乗っています。とすると、浜松の「引佐」も、そういう関連を予測することができます。遠州は出雲系の神々が多いところです。
遠州の一宮は森町の「小国神社」です。祭神は出雲系のオオナムチ命です。大國主と同一視されますが、それが正しいかは別にしても出雲系であることはたしかです。
さらに「大国主」「大きい国」にたいする「小さい国」「小国」は呼び方が合っているのではないでしょうか。
しかも、小国神社から西に延ばした東西線は、引佐町の中をつっきっています。何か、この線の上に重要な山や神社があるでしょうか?あるいは古墳?
今日発見したのですが、この線をさらに西に延ばすと、西隣の「三河国」の一宮である「砥鹿(とが)神社」が同じ線上にのってきます。祭神は同じオオナムチ命です。
漢字にすると「大己貴命」です。
ネット「ウィキペデイア」で見ると、小国神社は北緯34度50分51秒。砥鹿神社は北緯34度50分51.59秒。わずか0.59秒の違いしかありません。基準点は不明ですが、偶然の一致ではないと思います。どうでしょうか?
考えられるのは、この遠州にも他の2カ所のような「国譲り」の神話が本来存在して、弥生の出雲系の在来勢力をヤマトから来た新興勢力が征服した実話と物語があったのではないでしょうか。