本と映像の森 235 園子温監督、映画「希望の国」浜松上映、見ました
今日は12月22日、冬至の次の日ですが、映画「希望の国」の浜松上映の初日に、則子さんと見に行ってきました。「シネマイーラ」にて、12月22日から1月4日までは、午後3時50分からと、午後8時5分からの2回上映です。上映は1月11日までです。則子さんと、午後8時5分からの上映を観に行きました。
2人で「反原発」「原発ゼロ」「脱原発」の活動をしている「夫婦で反原発」ですので、先入観があるかも知れませんが、それにしてもリアルな、鮮烈な映像に、心がすごく揺すぶられました。自分たちの市民運動の「深さ」を問われているような映画でした。
以下、ネタバレがありますので、予感を持ちたくない人は、以下を読まずに、観てください。雨宮夫妻、全身で推薦します。
福島第一原発事故後の、日本のある県、「長島県」という設定で、原発事故の強制避難地域の線が自分の自宅の庭を通り家は区域外となったA家と、その筋向かいで区域内に入ったB家の設定で、それぞれ老夫婦と若夫婦・若カップルの2家族4組のカップルで物語は進行します。
牛飼いのA家の老夫婦の奥さんが認知症で、いつも「かえろうよ」「かえろうよ」と言って、だんなが「どこに帰るんだ」とつぶやくのが、とても切ないです。それが映画の通奏低音だと思います。一度壊してしまった故郷は、もう帰れないですね。
監督は、たぶん被災地を現地ロケしたと思うのですが、「放射能廃墟」に立ち入る老夫婦と、「津波廃墟」に立ち入る若いBカップルの映像が、すごく心に響きます。
そこに残ろうとするA夫婦の奥さんが「盆踊り」の幻聴を聞いて、雪の放射能廃墟を盆踊りを踊りながら歩いて行くシーンと、B家の若カップル(未婚)が、津波のきた廃墟をさまよっていて、幼い兄妹が「流された家にあったビートルズのCDを探しています」と2人に告げて、すぐ消えてしまうシーンです。
カップルの女性が「一歩、二歩、三歩」と言って歩いたのに対して、幼い兄は「一歩、一歩、一歩」だよと歩いていって、消えてしまいます。
女性は、その消えた子どもたちに「おーい!」「おーい!」とどこまでも、泣き出すほどに呼び掛けます。
ぼくの解釈では、あの小さい兄妹は、若いカップルが創造した幻想なんだと思います。あの2人は、これから若いカップルが産むことになる子ども、兄と妹ではないか、と。
津波で亡くなった人たちのために、新たな命を生みださないと、という若いカップルの決意が産んだ、幻想の幼い兄妹ではなかったのか、と。
つまり「2人の子どもが欲しい」という、未婚の2人の、お互い、恥ずかしくて口には出せない欲求が、生みだした幻想ではないかと。
若いカップルの男性は、それに励まされるように、彼女に、津波の廃墟で求婚して、受け入れられます。
あまり語りすぎると、映画の面白さをそぐので、このあたりにしておきます。
「燃える木と花」の映像は強烈でした。
蛇足 バックで流れているマーラーさんの『交響曲第10番』、いいですねえ。
みなさん、ぜひ、観てください。