雨宮日記 1月2日(木) 今日で則子さんのお休みも終わり、明日は仕事
年賀状「初春新報」を送ってない方のために、ここに主要部分を再録します。
「秋の灯ともして
高架電車は
銀河鉄道になる
則子
昨年から絵手紙と自由律俳句を始めました。楽しいです。近くの介護施設で十月から働き始めました。新たな出会い・発見がいろいろあります。 則子
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「雨宮智彦のブログ」(75万ヒット)書き続けてます。古代史・戦争・宇宙など、買えない本は図書館で借りて探求してます。仕事は止めて家事手伝い。浜岡原発永久停止裁判も続きます。 智彦」
今日は、雨宮則子原水爆禁止浜松市協議会事務局長(もう18年目ですね)は、お昼前後、「被爆者支援」で浜松駅前に「被爆者募金の訴え」ででかけました。
荷物がかさばるので遠鉄電車曳馬駅まで、ぼくが車で送りました。
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午後、則子さんが帰って来たので、いっしょに浜北へ、昔からの旧友夫妻のところへ、届け物と集金にいきました。
ぼくが「うちの長女が出産です」と言うと、彼は「うちは大学と高校受験のダブルです」と言って「おたがい大変ですね」と同情しあいました。
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いま「歌劇 沖縄」を聞き始めました、なつかしいです。若かった、あのころは、沖縄・琉球の歴史的・民俗学的な位置、戦争=平和での位置も意味も知らなくて、無知でしたね。
いまは、ザン(ジュゴン)や珊瑚礁や、にらいかないのこと、あるいは沖縄の生きものたちが気になります。
今の沖縄の政治的=戦争的=平和的な袋小路を打開できるのは、たとえば、折口信夫さん、谷川健一さんの本の中をさぐること、あるいはザンやヤンバルクイナの声を聞くことが、どうしても必要だと思います。