雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2014年1月1日(水)元旦 新年の始まりです、門松たーてて…

2014年01月01日 21時45分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2014年1月1日(水)元旦 新年の始まりです、門松たーてて…

 あけましておめでとうございます。新年の始まりです。

 なぜか戦後生まれなのに、戦前の「小学唱歌」を覚えていて歌えます。

  年の始めの例(ためし)とて
  終わりなき世のめでたさを
  松竹(まつたけ)たてて門(かど)ごとに
  祝う今日こそ楽しけれ

 つまり「門松」ですが、これは「鳥居」と同じ機能を持っていて、「門松」の場合は家の玄関の両側に立てて、お正月に家に迎える「年神さま」の門になるのです。

 これがなければ年神さまは、家に入ることができません。

 「年神」さまは、別の漢字では「歳神」さまで、そのトップがわが家の近くの東区天王町にある「大歳神社」なのだと思います。

 「歳神」と書くと、訓読みでは「としがみ」ですが、音読みでは「さいかみ」となります。つまり「幸」の神です。

 「さ」は日本古来の稔りの神で、さち(幸)となると、「さ」神よりもっと旧い「ち」神と融合した由緒ある名詞です。

 「さ」+「ち」ですね。

 「ち」は、「おろち」「かぐつち」、出雲神話の「おおなもち」「てなづち」などのように旧い神の系統です。

  ☆

 今日は、中区十軒町から、則子さんの実家の北区初生町まで車で行ったので、その途中、助手席の則子さんに沿道でどれくらい「門松」が立てているか観察してもらいました。

 結果は、車で約20分ほどの行程で、住宅街も商店街もありましたが、門松を立てていたのを確認できたのは、民間住宅1軒だけでした。

 「罰当たり!」と非難しているのではないですよ。雨宮家も、いつから門松を立てなくなったのか、そもそも門松を立てたことはないのか、記憶にありません。

 ミカンとワラを玄関に飾っている家は、かなりありました。数割、それも、2割か1割でしょうか。

 ☆

 今日は、朝、ぼくと則子の年賀状「初春新報 35号」の原案を打ち出して、則子さんに赤ペンで校正してもらい、その修正で、プリンターでプリントしました。当面100枚弱。

 


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