遠州古代史 三方原古墳群出土の「七鈴鏡」は関東「鈴文明」との関係?
浜松楽器博物館で開かれている古代琴の展示を見に行ったら、音の出る楽器つながりでしょうか、三方原古墳群出土の「七鈴鏡」が展示されていました。
この「鈴鏡」は周囲に鈴が7個ある「七鈴鏡」ですが、各地で出土する「鈴鏡」の鈴の数は3個から9個と、変化します。
鈴鏡の7割は関東に、とくに北関東の「上野」国と「下野」国に集中しています。
考古学的な分布観からいえば、こういう「鈴鏡」分布から、「鈴鏡」文明があり、その中心は「北関東」にあったというのが普通の結論だろうと思います。
ところが学会では、鏡は 日本列島の一定の中心地で独占的に輸入あるいは作られ、① 輸入の舶載鏡、② 国産の鏡、③ 国産の鈴鏡の順序でつくられ、それが東日本に一番遅れて供給されたから、見かけの中心地が北関東になるのだということのようです。
ネット「考古学データの“裏”を読む ~「ある・ない」論の墜とし穴~」公正徹箭。「古墳時代、関東に「鈴の文明」圏があった?」参照
あるいは、鈴鏡が好きな関東人がヤマトから輸入したとか。
そんなの、ありでしょうか?
普通の考えでは、これらの鈴鏡は、北関東を中心にしたどこかで作られた、というのが理知的でしょう。
そして鈴鏡の最盛期である5世紀の関東古墳史を分析することが大事だと思います。
もうひとつだいじなのは、「鈴」は、鏡だけではなく、馬具についた鈴がたくさんあります。つまり鈴のついた馬との関連も、これから考えたいと思います。
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浜松人にとってだいじなのは、古墳時代に、関東と浜松など東海地域が強く結びついていることです。
なお、写真はピンぼけでした。ごめんなさい。