雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月20日(月)の1 少し回復、夕方、則子さんと散歩に行きました(生きました)

2015年07月20日 20時56分48秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月20日(月)の1 少し回復、夕方、則子さんと散歩に行きました(生きました)

 今日も暑い日でした。あることから少し反省し、飲む量を少なくしました。夜、寝る直前に少し飲むことにします。活動量も落とし、ストレスを減らします。

 則子さんは夜勤明けです。夕方、則子さんに「散歩に行こう」というと、「俳句の題材を探さなきゃ」と言って、2人で
歩きました。

 三浦橋のところで、30羽くらいのウスバキトンボを見て、しばらくその飛行乱舞をじっと眺めていました。

 三浦橋のすぐ北にあるコンクリの階段にこしかけて、夏の白い雲がクジラのように何頭も何頭も泳いでいくのをみました。

 「雲クジラ夏空泳ぐ涼しさ」(雨宮智彦)

 川の中でずっと立っているアオサギや、ひらひら舞っているハグロトンボもみました。

 こうして坐っていると、背後の堤防を犬と散歩する人、ランニングする人、自転車に乗っていく男子生徒など、たくさん通ります。

 

雨宮日記 7月16日(木) 戦争法案、衆議院通過、でも平和の行動は続く

2015年07月16日 21時09分02秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月16日(木) 戦争法案、衆議院通過、でも平和の行動は続く

 台風が西日本に近付き、浜松でも風が強くなって、雨もときどきザッと降ります。

 気候不安定の中、政治も不安定。ついに衆議院を「国民の理解が足りない」(安倍首相の表現です。彼は「国民の理解が足りない」のは、国民の理解する努力が足りないと言ってるんですね)なか、衆議院本会議を通過しました。

 いままで30数年間、そうでしたが、日常生活を続けながら、平和委員会活動をして、古代史や神社巡りもして、図書館に通って、ようするに「日常生活と平和運動」を両立してきました。

 そういう人をもっと増やさないと。

  ☆

 則子さんは、原水爆禁止世界大会の参加者締め切りが近付いているので、あたふた自分の携帯から電話を繰り返しています。この電話代くらい浜松市原水協で出るようになるといいのですけど。

 「個人の犠牲は間違っている」なんて即断しないでくださいね。ボクの判断は、「浜松市原水協の自己決定権」というこことです。他から判断を干渉するのは間違いです。

  ☆

 7月26日(日)に浜松では「LOVE & PEACE MUSIC パレード」が行われます。実行委員会主催

 午後5時 東ふれあい公園(裁判所・ヤマダ電機そば)でパフォーマンス
 午後6時 パレード出発 JR浜松駅前まで

 「やっぱ 平和がいいよねえ
  
  平和のうたを歌いたい
 
  右でも左でもなく、ただこの想いを伝えたい

  弁護士が中心になって、普通の市民が政党や宗教などを超えて集まりました

  高校生からお年寄りまで、「武力に頼らない平和を」という1つの思いで」



雨宮日記 7月15日(水) 戦争法案、強行採決、衆院特別委員会を通過、反対運動を続けます

2015年07月16日 20時59分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月15日(水) 戦争法案、強行採決、衆院特別委員会を通過、反対運動を続けます

 「戦争反対」「平和賛成」だけではなく「平和好きです」「戦争嫌いです」という声を発し続けます。

 やれることは、できるだけやる、ただし、自分の心と身体を壊さない程度で。

 「生ぬるい」「絶対阻止しろ」と命令口調の人もいますが、「こちら側の安倍さん」です。

 一生懸命、でもゆるゆるボクは平和運動を続けます

 (誤解無きよう、平和運動の中でも「断固阻止」の人がいてもいいんです。でも、ぼくのような人も存在を評価されるのが浜松市平和委員会です)

  ☆

 写真は、家のそばの三浦橋から見た積乱雲。それとも台風雲か。

 

雨宮日記 7月13日(月)の2 安倍首相は2つ言っている「戦争は正しい」「ぼくは戦争好きです」

2015年07月13日 18時24分31秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月13日(月)の2 安倍首相は2つ言っている「戦争は正しい」「ぼくは戦争好きです」

 「日記」は「評論」でもないし「論文」でもないので、感覚に基づいて書きます。人間の精神は、左能(悟性・論理)と右能(感性・イメージ)に別れていて、それを上部構造の理性で統制・コントロールしています。

 安倍首相の言説は、左能「戦争は正しい」+右能「ぼく戦争好き」+国会多数が相乗して、暴走状態になっていると思います。社会少数が見えなくなっている。

 ですから、いま、感性=右能「私は戦争きらいです」、悟性=左能「戦争は正しくないです」、理性=判断「戦争に反対します」ということを、できるだけ多くの人が声を上げることが最重要課題だと思います。

 ブログやネットやSNSやフェイスブックで、みんな、発信しよう。
 
 なお今日から以後、雨宮智彦のブログはすべてコピー・拡散自由です。



 

雨宮日記 7月13日(月)夕方 「暑い夏」が始まります・もちろん気候的にと政治的に

2015年07月13日 18時07分52秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月13日(月)夕方 「暑い夏」が始まります・もちろん気候的にと政治的に

 今日は朝8時に則子さんから「雨だから干した洗濯物寄せて」と電話があり、慌てて取りこんだ。夕方、帰って来たら「どうして晴れたのに、出してくれないの」と言って洗濯物を出しました。こういう時、則子さんは「智彦はだめね」とか一般化して「男はだめね」とは言いません。

 昼間は、ものすごく暑くなりました。市内を車で「平和新聞」の配達で回ったら、手の甲に塩が吹いてきました。

  ☆

 共産党の志位委員長が7月15日の党創立記念講演会を延期したそうですから、確かです。これが引き金になって、「安倍内閣倒壊」ということも
可能でしょう。国会の多数と社会の少数という大きな差が、ぎしぎしと日本社会を揺れ動かしています。

 問題は「主体形成」それも「自由な若い主体形成」ですね。個々の覚醒ではない。それができなければ、日本社会はいったん滅びます。滅びなければ、甦りません。そこまで行かないことを願うのですが。

 ここまで書いて、ちょっと怯えたのですが。あるルートが心に浮かんだので。でも、それは悲観的なので書きません。「書くと本当になってしまう」といいます。ぼくは宗教者ではありませんが、あるいは「心にイメージを描くと、本当に現実になる」ですか。

 一生懸命に、情熱的に追求しすぎると、自分の現実の位置がわからなくなる、とも。

 「ものごとには、すべて表と裏がある」「表裏一体」とも。

 

雨宮日記 7月12日(日)の2 いま「何をなすべきか?」

2015年07月12日 20時13分49秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月12日(日)の2 いま「何をなすべきか?」

 激動の季節がやってきていると思います。ただし、N夫妻宅でも4人で話したのですが、この「暑い夏」を招来した一因(多様ななかの一因です。すべてではありません)は、民主党が国民に見放され、安倍自民党が何回か勝利した国政選挙であって、それは国民の選択でした。

 もちろん、国民の「こんなはずじゃなかった」今になってみれば。選挙の時に「すでに自民党は保守の党ではなく、右翼政党になっている」「自民党は野党時代に変質して日本会議政党に転落した」という認識を革新の側がきびしく認識できなかったことが最大の原因でしょう。

 これはボク自身の自己批判的認識です。あのとき、もっと、そういう認識の人が多ければ‥‥と今言ってみても「後の祭り」です。

 「何をなすべきか?」「何から始めるべきか?」を言うなら、「どうして、こうなったのか?」という全戦後日本史の歴史を見直すこともしなければなりません。

 もちろん、「今がどういう時代なのか」と言う時代認識も。

 それを一方通行ではなく「ツー・ウエイ」で、多方向通信で始めたいと思います。「どこかから指令が下りてくる」という時代は過ぎ去りました。

 ボクは7月8日に静岡県平和委員会公式ブログ「静岡県平和委員会 平和のかがり火」を始めました。見に来てくださいね。

 自分の「平和委員会人生」、38年の人生をかけて、読むに値するブログを創ります。

雨宮日記 7月12日(日) ムチャ暑い日曜日、ヒバクシャ体験ビデオ編集

2015年07月12日 20時00分20秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月12日(日) ムチャ暑い日曜日、ヒバクシャ体験ビデオ編集

 暑い1日でした。則子さんと2人で、旧友のN夫妻宅を午後、訪問。昨年冬に撮った広島の被爆者証言の2回目、1時間以上を編集して、14分に縮める荒編集をしました。

 今日終えたのは1人分です。2回目はもう一人あります。

 やり方は、わが家でパソコンで撮影した動画を「№1」の「2分12秒から3分04秒」というようにボクが選択する部分を指定したメモを取ります。何回も見直します。

 だいたい、そのメモに沿ってNくんに編集してもらいますが、その場で修正することもたびたびで、感性を緊張して働かせないといけない編集作業です。

 さらに今日14分に編集したものを何回か見直して重複したり、いらないところをカットします。

 今回の課題は、声が何を語っているか聞き取りにくいので、前回よりはかなり大量の「文字キャプション」をつけないと、意味がわからないという点です。この作業はボクがします。

 政治情勢が緊迫して「暑い夏」になってきたので、完成は秋にずれこむかもしれません。

 今年中に第2回目と第3回目(女性の証言)は完成するのと、秋には第4回目の証言撮影をしたいと思っています。

 

浜松古代史ニュース 蜆塚遺跡発掘50周年

2015年07月11日 21時48分48秒 | 遠州古代史
浜松古代史ニュース 蜆塚遺跡発掘50周年

 浜松の縄文時代を代表し、浜松市立博物館もそこに建っている蜆塚遺跡の本格的第1次発掘から50年と言うことで「広報はままつ 7月号」が4ページの特集を組んでいます。

 7月25日(土)から8月30日(日)まで博物館でテーマ展「浜松の縄文時代」発掘調査概報「浜松の遺跡2009-2014」が行われます。博物館の観覧料があります。

 

 

雨宮日記 7月7日(火) とんでもない七夕プレゼント 川内原発に核燃料搬入

2015年07月08日 19時55分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月7日(火) とんでもない七夕プレゼント 川内原発に核燃料搬入

 九州電力は、批判をものともせぜず、説明責任も果たさず、火砕流噴火がいまおこったらどうするのか説明もせずに(説明はできません)、川内原発に核燃料の搬入を始めてしまいました。

 31キロ圏内の自治体の同意も得ていません。

 31キロ圏内の避難計画もできていません。

 厚顔無恥というか、最低知性というか。でも、絶望してはいられません。この日本社会に抗って、知性を高めていくプランを立てたいですね。

 個別対策ではなくて、総合プランですね。各分野の対応ではなくて、総合的な運動を浜松でも提案したいと思います。

 七夕なのに、雨がシトシト降り続きます。

 ヴェガもアルタイルも見えません。
 
 宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』は、切ない悲恋で、読み返すと悲しくなります。ぼくと則子さんの恋は、もうすこし楽しく展開したいです。

 「終わりよければすべてよし」というのですけど「終わり」は、いつのことなのでしょうか(参照、平井和正さん/著『幻魔大戦』第1期、全20巻



 

 
 


雨宮日記 7月4日(土) 雨がちの土曜、浜松市平和委員会総会でした

2015年07月04日 20時55分20秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月4日(土) 雨がちの土曜、浜松市平和委員会総会でした

 数日、雨模様が続き、時々、強くなります。

 何日か前、新幹線でガソリンを自分で浴びて火を付けた男?老人がいて、女性が一人まきぞえで死にました。ひどいですね。

 「ガソリンをかけて焼いたマニラの火あぶり」(栗原貞子さんだったかな?)や、横井久美子さんの沖縄の実在事件に取材した「ガソリンまみれのオートバイ」もありました。

 60年代にアメリカでベトナム戦争に抗議して焼身自殺したアリス・ハーズさんのことも思い出されます。

 いま、中国支配下のチベットで僧侶の焼身自殺が続いていることも。

   ☆

 ところで何で、小田原付近を選んだんでしょうか。ぼくは箱根火山の噴火と関係がないのかな?と。つまり、精神の不安と天変地異ですね。

 午後、浜松市平和委員会総会でした。ぼくは、浜松市平和委員会事務局長に選出されました。則子さんはご苦労なことに事務局員です。どうぞ、よろそくお願いします。

 






雨宮日記 7月1日(水) 浜松市創立何十年記念日、合併10周年記念日

2015年07月01日 20時24分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月1日(水) 浜松市創立何十年記念日、合併10周年記念日

 則子さんは早番で、午前6時版ごろ、出勤していったはず。ぼくは、その時間まだ寝ていました。

 今日は雨。時々、風雨が強まります。

 午後、市役所の共産党市議団控え室へ、小黒さんのブログ記事の取材にいきました。新聞記者が持っているような、細長いレコーダーを持って。便利な時代ですね。何百時間でも録音できました。昔は、60分・90分・120分テープでした。

 いま、NHKFMで、ベートーベン・ピアノソナタ「月光」を聞いています。いいですね。出だしの、月光が降り注ぐかと感じる部分。

  ☆
 
 ここ数日、集中して読書しているのは、宮城谷昌光さんの『風は山河より』新潮文庫版、全6巻、と『古城の風景』同じく新潮文庫版、全3巻。

 人間の質を少しづつ向上させる、それが平和を創る、基礎だという話を30日にしたんですが、この宮城谷さんの小説で学んだんですね。もちろん。宮城谷さんのだけではなくて、夏目漱石。宮本百合子、アラゴン、則子さんの俳句、ゲルニカ、ちひろさんの得、あらゆるところで学んだのです。

 学んだ目録は、もちろん膨大です。師匠の谷中敦さんや、友達から学んだこと、もちろん、妻の則子さんはボクの最大の恩人です。

 それを、自伝「青い地球とオレンジの花」で未来に書き残していこうと思って、書き始めています。完成できるのは、いつのことか。完成したら、もうこの世とも、最愛の則子さんとも別れを告げていいですね。と言うより、その日に完成するということですか。

 ぼくの葬儀の日に、則子さんに参列者に『青い地球とオレンジの花』を配ってもらうことに、たぶん、なるでしょうね。いや、ボクがそのように則子さんに手配してもらうということです。

  ☆

 浜松市平和委員会総会の準備と平行して、原水爆禁止世界大会への参加準備を進めています。則子さんといっしょに、浜松から行きたい人と話をして、参加者を少しづつ広げています。

 暑い夏、がんばるぞ。

 

雨宮日記 6月30日(火) 戦争と平和について2度目の講演しました

2015年07月01日 19時45分16秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 6月30日(火) 戦争と平和について2度目の講演しました

 浜松市平和委員会の第2回例会で、緊急学習会として、事務局長代行のボクが講師になって、ぼくとしては2回目の「戦争立法」の話をしました。

 といっても「戦争立法の問題点」みたいな話ではなく、戦争と平和の問題、戦後史と自衛隊、未来に何が来るか、立体的に、現在・過去・未来を自由に往来して「考える」お話しです。

 ぼくとしては「正解はこうです」「解決策はこうです」という「回答」を語るのではなく、「問題点はこうです」という「問題」を提出するお話しです。

 回答は、解決策はみんなで考えるほかないんですね。「私が解決しました」「こうすればいいんです」というのは偽予言者だと確信します。

 「この道しかない」では安倍さんに限りなく近付いてしまいます。

 妻の則子さんが司会でした。帰り。車中で「どうだった?」と聞くと、「なかなかよかったけど、どうして途中であんなにつっかえるの?」と言いました。いままで、「よかった」などとは言わなかったので、ぼくは則子さんが珍しく褒めてくれて、嬉しかったです。「立て板に水の講談調ではウソっぽい。自分の実体験も踏まえて、考え、考えながらやるお話しですから」と答えておきました。

 参加者10人で、平和委員は5人。平和委員の参加率が悪かったしても、再建途上ですから。市民の参加者が5人もいたということに、ボクは満足しています。

 「知らせる」ためにブログ「ピース浜松」を再開しようと思います。