雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

国破れて山河あり

2013-11-27 02:29:08 | 願い
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす......



......最近の教科書にもまだ載っていたりするのでしょうか。
中国が「唐=とう」と呼ばれていた時代。
日本は奈良時代の末期頃。
「杜甫=とほ」が著した
「春望=しゅんぼう」という書に記されている冒頭の句です。
杜甫は中国文学史上最高の詩人として「詩聖」とも呼ばれている偉人。
日本では誰もが知る詩人「松尾芭蕉=まつおばしょう」が
最も影響を受けていた詩人でもあります。
芭蕉が詠んだ多くの句を少し思い出してみると、
そんな杜甫に通じる感覚というものを
誰でも感じ取れるのではないかと思います。



「夏草や
兵(つわもの)どもが
夢の後」



この芭蕉の句も、
そんなコトが良くわかる詩の一つではないでしょうか。



最近、
「福島第一原発の使用済み核燃料を取り出す作業が始まりました......」
というニュースが連日流れて来ています。
......もう、あの事故から二年半以上の月日が経ちました。
原発周辺地域は未だに人々が住むことが出来ない状況が続いています。
もうしばらく前のことですが、
京都大学原子炉実験所助教である小出裕章さんが書かれた
「原発は未来犯罪」という文書の中で、
以下の様なことが述べられていました。
まとめて記すと「大体」こんな感じです——————



=================================
福島第一原発事故で、
1号機2号機3号機は炉心が溶け落ちて、
その炉心がどこにあるのかもわからない。
どうしたらいいのかもわからない。
その中で何次もの重層構造で下請けさせられる原発労働者たちが
作業にあたっているという状態。

4号機は爆発で建物が吹き飛んでしまい、
「使用済み燃料プール」という中に未だ大量の放射性物質を抱えていて、
いつこのプールが落ちてしまうかもわからない困難な状況の中にある。
このプールにある放射性物質は
広島型原発に換算すると一万四千発ぐらいに相当するもの。

2011年の暮れに当時首相だった野田さんが
「事故の収束宣言」
などというものを出したが、
残念ながら事故はまったく収束していない状況。

解け落ちた炉心が何処にあるかも分からない1号機2号機3号機は、
ただひたすら水を入れ続けて
冷やすしかないという作業を2年半にわたり、
今日までやってきている。

水を入れてしまえば汚染水が溢れ出るのは当たり前。
2011年3月11日からずっと汚染水は流れ出ていたのです。
これからも何十年もこうした作業を続けなければいけない
困難な状況なのです。

では今まで一体どれだけの放射性物質が環境に漏れてきたのでしょうか?
IAEAという国際的な原子力組織に日本政府が出した報告書によれば、
既に広島原爆の168発分のセシウム137(放射性物質)を
大気中にばら撒いてしまった。。と書かれています。
少なくとも政府はそれを認めているということです。

しかし私見ではこの数字は過小評価だと思っています。
犯罪者が自分の過失を過小報告にしがちな様に、
この報告は最小限の報告だと思われます。
おそらくこの2倍か3倍が大気中に放出されたと私は思います。

つまり、
福島原発事故は広島原爆が放出した放射性物質の400倍~500倍を
「既にまき散らしてしまった」
という大変な事故なのです。

現在の法律に照らし合わせるのであれば、
福島県を中心に東北地方、宮城県の南部と北部、岩手県の一部。
関東地方、群馬県の西部、茨城県の南部、
千葉県の北部、東京の一部も
「放射線管理区域」にしなければなりません。
これは本来私のような、
ごく特殊な人間だけが立ち入ってもいいと許される区域なのです。
それがこうした広さですでに生じてしまったということになりました。

1年間に1ミリシーベルト以上の被曝はしてはいけないし、
させてもいけないという法律がありましたが、
今や広い地域の多くが
1平方メートル当たり6万ベクレルを超えて汚染されているのです。

「大地そのものが全部汚れてしまった」

のです。
日本ではこれまで58基の原子力発電所が作られてきました。
そのすべては自民党政権が「安全性を確認した」として作ったのです。

その原子力発電所が事故を起こしているのに、いま自民党政権は
「安全性を確認して、いま止まっている原発を再稼働させる」
と言っている。
まさに正気の沙汰ではないと私は思います。
さらに安倍さんは「新しい原発をつくる」。
そして「海外に原発を輸出する」ということまで言っているわけです。

福島のニュースはどんどん少なくなってきて、
被災者の方々がどれだけ苦しんでいるのかということについても、
マスコミ報道はほとんどなされなくなってきていると思います。

そうであれば、私たちに必要なことは
「福島を忘れない」ということです。

私は原子力を研究する人間として、
原子力は徹底的に危険だと思います。
原発や核兵器などを作ってはいけません。
加えて私が原子力に反対しているのは単に危険だからではありません。
原子力というのは他者の犠牲の上にしか成り立たないものです。
他者の犠牲の上で、差別にもとづかなければ
原子力は成り立たないというものに私は反対しています。

原子力発電所で働いている被曝者の9割以上は
下請け孫請けの労働者が担ってきました。
事故が起きたら大変だということで
都会を離れて過疎地に原発を押し付けてきました。
そこで事故が起きてしまえば、
そこの人たちが本当に苦難のどん底に突き落とされて、
そして事故の収束に行く下請け孫請けの労働者達がまた
被曝をさせられてしまうということになります。

仮に事故が起こらなくても、
原子力を使う限りは核分裂生成物という放射性物質を生み出してしまい、
その放射性物質を無毒化する力を私達は持っていないのです。
100万年にもわたってどこかに隔離をしなければいけない。
そんなことができる道理が無いのです。

私が死んでも、
皆さんが死んでも、
自民党政権なんて存在しなくなっても、
無くならない毒を残していくことになるのです。

いま私たちが原子力を選択することに対して、
子共達には何の決定権もありません。
何の決定権も持たない未来の子どもたちが
毒物だけを押し付けられるということになります。
「未来犯罪」とでも呼ぶべきことだと私は思います。
=================================



ざっと、ですが、まとめて記せばこのような文章でした。
この文の中で小出さんは
「国破れて山河あり」
という詩をこんな風に引用されていました。
ここは「原文のまま」記します——————



=================================
かつての戦争で日本は負けました。
負けたけれども「国破れて山河あり」だった。
国家なんていうものが負けたって、大地があれば人々は生きられる。
しかしもう人々が生きることすらできない
汚染地域ができてしまっているのです。
戦争が起きたって、こんなひどいことは起きないということが、
今もうすでに発生してしまっています。
=================================



——————国が破れて、山河も破れて。
「国破れて山河無し」
そんな時に、僕等は一体何が出来るというのでしょうか。
」に何か出来ることがあるのでしょうか。



「国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」



様々な苦労を乗り越えて、
国の役職に就けて、
「さぁ!これから!」
と思ったら、クーデターが起り。
職も家も国も追われ。
食べることもままならず。
自らの国が乱れ、
人々が理性を失っていくさまを見せつけられて......
絶望に打ちひしがれ、そして......
そんな中で詠まれた杜甫の詩。

こんな詩さえも詠めない世界とは......

いったい......

どれほど酷い世界なのでしょうか。

僕等にとってどれほどの価値がある世界なのでしょうか。

福島第一原発の事故処理が少しでも進み、
より良い未来へ皆の力や心が舵を切っていける様に、
また、日々自分に出来ることを頑張ろうと思います。
応援だけでも、祈りだけでも、
そんなことだけでも捧げていこうと思います。

いつか、また、

あの大地を僕等の手にとり戻せますように。

たとえ国が破れても、

山河がそこにありますように。



この場所は、八ヶ岳。高原大橋から望める大好きな風景。
冒頭にある写真はこの場所から振り返って眺めた
富士山と南アルプス。
未来にも山河がそこにあります様に。


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