雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

飛騨高山徒然 10

2024-10-28 00:02:35 | 面白い...パワスポ寺社
ということで。
飛騨高山の徒然話は、
最後にこの一件で確信を得た
「私的なことでない部分」
を記し残して一旦仕舞おうかと思います。
もう一回だけ続かせていただきます。






日本最古の書と言われる「古事記」。
「日本書紀」に遡ること8年前、712年に完成された古書。
現在に至るまで「大部分」史実が記されている
歴史書としての価値も認められています。
編纂(へんさん)の始まりは、
天武天皇が焼失してしまった「天皇記」や「国記」に代わる
国史の書の作成を命じたことで、
その編纂方法は、
当時28歳で高い識字能力と記憶力を持っていた
「稗田阿礼(ひえだのあれい)」
に「帝紀」や「本辭 (ほんじ)」などの多くの文献を
誦習(しょうしゅう=読み聞かせる)させ、
その後「太安万侶(おおのやすまろ)」が
阿礼の誦習したものを聞き取りながら編集し、
完成させたものと伝わっています。



——————聞き覚えられたものを、
聞き取りで編纂したという書————————



当時、稗田阿礼の天才的で驚異的な記憶力と頭脳は
とても高い評価を得ていたようで、
一度聞いたことは全て記憶してしまう人であったそうです。
古事記の序文にはこんなことが記されています。



===========================
そのとき、一人の舎人(とねり=宮使えの人)がいた。
姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。
聡明な人で、
目にしたものは即座に言葉にすることができ、
耳にしたものは心に留めて忘れることはなかった。
すぐさま(天武)天皇は阿礼に

「帝皇日継(ていおうのひつぎ。帝紀)と
先代旧辞(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」

と命じた。
===========================



この「天才」と称された稗田阿礼さん。
僕としては、ですが。
稗田(ひえだ)でなく、
飛騨の阿礼さんです。



今に至るまで性別すらも確認されていない謎に満ちた人物ですが、
僕的には女性。
巫女職的な方。
元々は飛騨の地で神の言葉も降ろす、
畏怖される才能を持つ巫女さんとして住まわれていた方であって。
その評判が都の造営建築のために呼び寄せられ、
都に移り住んでいた多くの飛騨の木工職人さん達から
権力組織の中枢にまで及び伝わり。
それで時の天皇より直々に
都に招き寄せられたのではないかと思われます。
阿礼(アレ)とは巫女を表す呼称でもあり、踊り、神懸る
天鈿女(アメノウズメ)」さんの血脈を示す名でもあります。
それがポンチキな僕の個人的理解であり認識。
そして、今回の飛騨高山の徒然なるお話は、
極私的なこと以外の部分では、ずっと、
その稗田阿礼さんの影響下での動きでもありました。
阿礼さんは、今、
この国の天地自然の動向や状態をとても心配しておられるようです。
その辺はねーさんの方に細かい言葉が降りているかと思いますが、
僕に関してはとても大雑把な理解。感覚。



「6」の記事の中で、神様が

「富士と飛騨は繋がっている」

と言っていた部分は、おそらく、
この列島の成り立ちに関係していて。
太古の日本周辺の学術的地殻変動図を
書籍やネットで探し見てみるとこんな感じで......





拝借させていただいた上の図では2段目、
1700万年前~600万年前頃の移行図などがわかりやすいでしょうか。
白山から飛騨高山にかけての一帯は太古の昔から海上に出ていて、
その後、富士山周辺の造山活動が活発化するとともに、
600万年前ぐらいまでに両地は繋がっていきます。
どちらもとても古い時代から海上にあった地であり、特に、
より古い飛騨高山の地には他の動物や生命と共に
人々も早くから住み着いていたことも想像できます。

以前も「白山徒然」という記事で記していましたが、
白山は山容を見れば、
以前は4000メートル級の山であったことも想像できますし、
乗鞍岳も相応の高さをもつ霊山です。
飛騨地域も含めたこの一帯からは恐竜はもちろん
日本最古の化石も出土しています。
それぐらい古くから動植物の営みが刻まれている地。
自然に考えても大和朝廷が全国支配を進めた以前に
なんらかの有力な独自国家や王朝的なものがあった可能性は
非常に高いと思います。


稗田阿礼さんはそんな頃の出来事や神話なども記憶していて、
神々の言葉も降ろしていたりしていたのではないかと。
天皇から白羽の矢を建てられたということは、
焼失してしまった重要文献などにしても
一部記憶していた人なのかもしれません。

古事記編纂時には飛騨の地への愛着ゆえに、
その辺の言葉も意図的に混ぜ入れた......
もしくは、自覚無しに自然と混ざってしまった......
可能性もあるのではないかと僕は思っています。
その中には、
当時の朝廷が最も消したかった神「ニギハヤヒ」の
飛騨における痕跡なども含まれているかとも思います。
古事記の話の中には部分的に古(いにしえ)の飛騨国の話も
含まれている可能性がある......ということです。
僕らポンチキーズの認識では、
ニギハヤヒさんは「古代富士王朝」建国の祖である
スサノオさんの御子息神。
当然、その頃から飛騨と富士との関係はあったでしょう。

同様に、
国を統一せんとしていた頃の天皇家と古代飛騨国も
特別な繋がりがあったのではないか......ということです。
歴代天皇が権威象徴ともしていた笏(しゃく)を
位山(くらいやま)の一位(イチイ)の木と定めて来たことにも
理由があるはずなのです。
材質の良さでは他所のイチイにしてもあるはずですし。

水無神社(みなしじんじゃ)の創建にしても、
実のところ全くわかっていないという部分には、
古代の有力な地域王朝が関係している可能性も考えられますし、
飛騨地域の古い神社の祭神をつぶさに見ていけば、
その王朝にニギハヤヒさんが絡んでいた可能性は強くあります。
ココでは過去幾度も記して来てますが、
大歳神や大物主神、金比羅、金刀比羅などは、
「場合により」ニギハヤヒの別名として使われ来てもいますので。



今回の徒然旅の最中には、
稗田の.....飛騨の......
阿礼さんはそんなことを僕に伝えんともしていました。
自宅に帰ってきた時の空は、なんだか、
とても沢山の神々が手を振ってくれていたように、
勝手に思っていたりなんかします。(^^)







今回で一旦仕舞うはずだった飛騨高山の徒然話ですが、
折角なので、大好きな高山の街の美味しいものでも
記し残しておこうかと思いつきまして。いま。
ええ。ええ。
もう一回だけ。追加で♪(^^)



☆シリーズ過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
飛騨高山徒然 2
飛騨高山徒然 3
飛騨高山徒然 4
飛騨高山徒然 5
飛騨高山徒然 6
飛騨高山徒然 7
飛騨高山徒然 8
飛騨高山徒然 9


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