そして、僕らはこの後、今まで見たことのない
「剣の空」なるものを目の当たりにすることになるのです......
次回「10」に続きます(^^)
安土城で買った信長さんの鍔。
それと、お酒とミカンとお花。
それらを全て揃え、劔神社の奥宮とも言えそうな「猿田彦神社」の前で
アマテラス祝詞を捧げた僕とTさん。
神々と約束していた全ての所作を追えると、辺りには風が渦を巻き、
風が止んでも紙垂(しで)や鈴の綱が不可思議な動きを続けていて、
少し曇っていた空からは眩いばかりの光が
大きな柱の様な形で差し込んできました......というより、降りてきた、
という表現の方が正しいでしょうか。
「やったね。Tさん。サイン来たよ(^ν^)」
「た、倒れそうっすけど。。なんか、軽くなった!(@_@)」
「だよね。この土地全体がそうなってるでしょ?光も増してる。わかる?」
「や、ヤベェっす......眩しい......」
そうして、僕らは本殿前の広場に戻り、
上空から降り注ぐエモ言われぬ力の方を改めて見上げてみました。
すると......
「そ、空が......斬れてる......」
天を見上げると、
神社の上空一面にだけ集まった異様な叢雲(むらくも)に、
何か鋭い刃物で切ったかの様な跡が......
一条の、真っ直ぐで細い線が......入っていました。
その切り口の鋭さと綺麗さは、割れた、切れた、では無く
「斬った!」
のだ、と。間違いなくそんな感じ。
天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)とは......時に、こういうこと!?
劔神社......とは、忍熊王やスサノオさん、劔を祀っている神社とは......
信長さんが大切にしていた神社、とは......
熱田神宮も、とは......
そゆこと!?
僕はこの様子を写真に撮って、
その場からみゆきちゃんやプリリンねーさん達にもラインで送りました。
「天に集まった叢雲をスパッ!と真っ直ぐに斬っちゃった。。スゲー......」
Tさんはこの後、妙にハイテンションになり、
社務所にいた宮司さんと何やら楽しそうに話し出していました。
「uzmetさーーーーん!これ!宮司さんにもらったよー。
uzmetさんのもー。
お祭りのときにしか配らない神社のパンフレットだって!うれしい!」
僕等はそのパンフレットを有り難く受取り、
宮司さんからは神社の歴史などを丁寧に、
とても詳しく聞かせてもらったりもして。
最後にお礼を言って、僕等は神社を後にしました。
また福井市内へと、お仕事に戻るわけです。
めでたし、めでたし!な、感じで(^^)
が!
ここで!
緊張感が解けたせいか、
パワーアタリに耐えていたTさんがとうとうグロッキー状態に。
僕の運転するレンタカーの助手席に座った途端、
そのまま動かなくなってしまいました。
「uzmetさん。。ちょっと、休んでいいですか......こんなの初めてっす。
スゲー力っす......」
「大丈夫?だから言ったべ?ハンパないハズだよって。
Tさんはカンがあるからなぁ。。
ま、夜の食事会までまだ少し時間あるから、ホテルに入って少し休もうか?」
「すいません。。ほんと。こんなの初めてっす。動けないっす。
ホテルで少し休ませてください......」
「でも、スゲーもの見れたね(^ν^)」
「ハンパないっす......(*´ω`*)グデッ......」
と、こんな感じで、Tさんと僕は福井市内のホテルにチェックイン。
Tさんは「夜のお仕事」まで、プツン......と、
行方不明になってしまいました( ̄+ー ̄)ニヤリ
そして僕の方はと言うと、
Tさんと別れたた後、ホテルに入りテレビをつけると、
ちょっと「流すことが出来ない」ニュースが。
僕はしばらく、呆然としてそのニュースを見ていました......
備忘録的に残しておいたスマホ画面のニュースを載せると......
劔神社で天に集まった叢雲が斬れた、マサニその日。
その時の出来事。
「過去最大クラス?Xクラス!?太陽フレア?......
ま、偶然、と、言うことで......」
こんな最中に、また、アイヌの神様(ウミの神=産みの神)から
プリリンねーさんの方に言葉が降りました。
======================================
ウミの神だ。
今から、600年前に沢山の人が、移動して来た。
北海道の始まりだな。アイヌの戦いでもあった。
白龍は、◯◯◯◯◯の神の使いだったから邪魔だったのだ。
今は、もう和解しているが、神達も混沌としていたのだよ。
神達の混沌が、人に写っていたのが、戦国時代なのだな。
魂は、写しだからな。
だから、織田信長にはスサノオノミコトが憑いていたし、豊臣秀吉にも憑いていた。
徳川家康に憑いていたのは、アナの神だよ。ハデスだ。
徳川家康は、戦国時代の塞ぎのためにいたのだ。
======================================
◯◯◯◯の神からも......
======================================
日本の戦国時代は、神達の戦国時代でもあったのだ。
仏教の名のもとに、寺は力を持ちすぎたからな。
だから、織田信長は焼き付くしたのだよ。
庶民は、それで楽になったのだぞ。知られていないことだがな。
つまり、人は権力を持つと、大事なものがわからなくなってしまうのだな。
しーーーーんーーーーの和解は難しいが......
(ココで強い邪魔が......入ります......以降、解読不能)
======================================
翌日、二日目の仕事もシッカリと!終えた僕とTさんは、
福井から東京に戻りました。
家に帰った僕は、
みゆきちゃんやプリリンねーさん達から届く様々な言葉をまとめつつ、
今回の一連の出来事を少し整理して自身の理解を深めようとしていました。
きっと、信長さんや秀吉さんは
この列島の原住民族の御魂(ミタマ)の流れを汲む偉人。
その原住民族の御魂の流れは縄文の民へと遡れ、
その民達の大王、
スサノオさんの御魂の系譜にも入っているのではないかと。
スサノオさんの御魂(ミタマ)の系譜は、
記紀神話にも書かれている様に、
並ぶモノの無い様な強大な「神力」を持っていて。
故に、後の為政者達にとっては「ナニカト」邪魔なチカラでも有り、
封じられたり、虐げられたり、隠されたり。
正確な「神通信」には妨害を入れたり......
しかし、そんな力は時代のポイントポイントで、
押し込められていたマグマが地表に大きく噴出するかの様に世に現れても来て。
多くの場合、この国を糺す(ただす)ために
使われて来たりしている様にも思えます。
そこに、正誤、善悪の議論は不毛......とも思われますが......
そんなスサノオさんの御魂の系譜は、明治天皇しかり、
豊臣秀吉しかり、
織田信長しかり。
更に辿れば、坂上田村麻呂もそうかもしれません。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)も、きっとそうです。
どれも、全て、この国を一つにしなければいけない時。
変えなければいけない時。
そうしなければ全てが立ち行かなくなっている時......でしょうか。
そんな畏れ多きスサノオさんの御霊の系譜。チカラ。
忍熊の神=忍熊王=忍熊皇子にしても、
もしかしたら神話に書かれている様な謀反者と言うことでなく、
スサノオさん同様、
史実を捻じ曲げられて伝えられているのかもしれなくて。
むしろ正当なる王位継承者は神功皇后派ではなく、
忍熊王という見方も不可能ではなく。
もし、そんな仮定をすれば、むしろ神功皇后の方が王位簒奪者であり、
自己正当化のために書き換えられた諸事が後世に伝られているのかも!?
しれず。またソレは、皇后自身が行ったというわけでもなく、
その側近達がそうしたのかも?しれず。
「大化の改新」の様な出来事は、
それ以前の弥生や縄文の昔にも一度や二度でなく、
この国の歴史の中で幾度も繰り返されて来た様な話なのかもしれません。
忍熊の神とは、祀られている劔神社の地を発展させた王であり、
現在の福井県、越前の地の基盤を造った王である可能性も。
そうなると忍熊王は、現在、同地を開拓、発展させた王とされ、
「現天皇家の直接的な始祖はこの天皇では無いか!?」
とも言われている「継体天皇」とも何か深い関わりがあるのかもしれません。
継体天皇は、神話には「応神天皇5世の子」とだけ記され、
その出自や血脈が曖昧に消えている謎の天皇となってもいますが、
忍熊王は、その祖先!?なのかもしれない......
なんていう、そんな妄想も湧いて来たりします。
そんな妄想の先には、
現天皇はスサノオさんの血脈とも言えるのでは......なんて。
禁断の!?物騒な!?コトまで言えてしまう可能性すらも出て来ます。
なんにせよ、この「アイヌと鍔」の物語の裏には、スタートした時から
「大王スサノオ=素戔嗚=須佐男さんがいた!」
ということだけは間違いのないことで。
そしてそんな物語は、いよいよ最終章の富士山へ!と向かうこととなります。
当初、摩周湖(ましゅうこ)に行った頃には、まさか、
この物語が富士山とリンクしてくるとは思ってもいなかったのですが、
その辺りの関連性に関しても、
富士山に向かっていた日の朝に自然と理解する事が出来たのです。
その日は2017年9月11日と12日。
今度はTさんとはまた別の、
登山好きの某スタッフさんにスケジュールを勝手に押さえられ、
休暇迄取らされ、家に迎えに来られ、
気がついたら山に登らされていた!......という日。
時期的には富士山は完全に閉められ、しかも当日の天気は大荒れ。
山中には山小屋関係者の人達すらもマッタクいなくなっていた......
なんていう日。
次回から始まる「鍔とアイヌ」の最終章は、
その辺りの話から始めたく思います。
回数はなんだかんだで「11」に。
もう少しでエンディング。
どか、よしなに(^^)
「剣の空」なるものを目の当たりにすることになるのです......
次回「10」に続きます(^^)
安土城で買った信長さんの鍔。
それと、お酒とミカンとお花。
それらを全て揃え、劔神社の奥宮とも言えそうな「猿田彦神社」の前で
アマテラス祝詞を捧げた僕とTさん。
神々と約束していた全ての所作を追えると、辺りには風が渦を巻き、
風が止んでも紙垂(しで)や鈴の綱が不可思議な動きを続けていて、
少し曇っていた空からは眩いばかりの光が
大きな柱の様な形で差し込んできました......というより、降りてきた、
という表現の方が正しいでしょうか。
「やったね。Tさん。サイン来たよ(^ν^)」
「た、倒れそうっすけど。。なんか、軽くなった!(@_@)」
「だよね。この土地全体がそうなってるでしょ?光も増してる。わかる?」
「や、ヤベェっす......眩しい......」
そうして、僕らは本殿前の広場に戻り、
上空から降り注ぐエモ言われぬ力の方を改めて見上げてみました。
すると......
「そ、空が......斬れてる......」
天を見上げると、
神社の上空一面にだけ集まった異様な叢雲(むらくも)に、
何か鋭い刃物で切ったかの様な跡が......
一条の、真っ直ぐで細い線が......入っていました。
その切り口の鋭さと綺麗さは、割れた、切れた、では無く
「斬った!」
のだ、と。間違いなくそんな感じ。
天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)とは......時に、こういうこと!?
劔神社......とは、忍熊王やスサノオさん、劔を祀っている神社とは......
信長さんが大切にしていた神社、とは......
熱田神宮も、とは......
そゆこと!?
僕はこの様子を写真に撮って、
その場からみゆきちゃんやプリリンねーさん達にもラインで送りました。
「天に集まった叢雲をスパッ!と真っ直ぐに斬っちゃった。。スゲー......」
Tさんはこの後、妙にハイテンションになり、
社務所にいた宮司さんと何やら楽しそうに話し出していました。
「uzmetさーーーーん!これ!宮司さんにもらったよー。
uzmetさんのもー。
お祭りのときにしか配らない神社のパンフレットだって!うれしい!」
僕等はそのパンフレットを有り難く受取り、
宮司さんからは神社の歴史などを丁寧に、
とても詳しく聞かせてもらったりもして。
最後にお礼を言って、僕等は神社を後にしました。
また福井市内へと、お仕事に戻るわけです。
めでたし、めでたし!な、感じで(^^)
が!
ここで!
緊張感が解けたせいか、
パワーアタリに耐えていたTさんがとうとうグロッキー状態に。
僕の運転するレンタカーの助手席に座った途端、
そのまま動かなくなってしまいました。
「uzmetさん。。ちょっと、休んでいいですか......こんなの初めてっす。
スゲー力っす......」
「大丈夫?だから言ったべ?ハンパないハズだよって。
Tさんはカンがあるからなぁ。。
ま、夜の食事会までまだ少し時間あるから、ホテルに入って少し休もうか?」
「すいません。。ほんと。こんなの初めてっす。動けないっす。
ホテルで少し休ませてください......」
「でも、スゲーもの見れたね(^ν^)」
「ハンパないっす......(*´ω`*)グデッ......」
と、こんな感じで、Tさんと僕は福井市内のホテルにチェックイン。
Tさんは「夜のお仕事」まで、プツン......と、
行方不明になってしまいました( ̄+ー ̄)ニヤリ
そして僕の方はと言うと、
Tさんと別れたた後、ホテルに入りテレビをつけると、
ちょっと「流すことが出来ない」ニュースが。
僕はしばらく、呆然としてそのニュースを見ていました......
備忘録的に残しておいたスマホ画面のニュースを載せると......
劔神社で天に集まった叢雲が斬れた、マサニその日。
その時の出来事。
「過去最大クラス?Xクラス!?太陽フレア?......
ま、偶然、と、言うことで......」
こんな最中に、また、アイヌの神様(ウミの神=産みの神)から
プリリンねーさんの方に言葉が降りました。
======================================
ウミの神だ。
今から、600年前に沢山の人が、移動して来た。
北海道の始まりだな。アイヌの戦いでもあった。
白龍は、◯◯◯◯◯の神の使いだったから邪魔だったのだ。
今は、もう和解しているが、神達も混沌としていたのだよ。
神達の混沌が、人に写っていたのが、戦国時代なのだな。
魂は、写しだからな。
だから、織田信長にはスサノオノミコトが憑いていたし、豊臣秀吉にも憑いていた。
徳川家康に憑いていたのは、アナの神だよ。ハデスだ。
徳川家康は、戦国時代の塞ぎのためにいたのだ。
======================================
◯◯◯◯の神からも......
======================================
日本の戦国時代は、神達の戦国時代でもあったのだ。
仏教の名のもとに、寺は力を持ちすぎたからな。
だから、織田信長は焼き付くしたのだよ。
庶民は、それで楽になったのだぞ。知られていないことだがな。
つまり、人は権力を持つと、大事なものがわからなくなってしまうのだな。
しーーーーんーーーーの和解は難しいが......
(ココで強い邪魔が......入ります......以降、解読不能)
======================================
翌日、二日目の仕事もシッカリと!終えた僕とTさんは、
福井から東京に戻りました。
家に帰った僕は、
みゆきちゃんやプリリンねーさん達から届く様々な言葉をまとめつつ、
今回の一連の出来事を少し整理して自身の理解を深めようとしていました。
きっと、信長さんや秀吉さんは
この列島の原住民族の御魂(ミタマ)の流れを汲む偉人。
その原住民族の御魂の流れは縄文の民へと遡れ、
その民達の大王、
スサノオさんの御魂の系譜にも入っているのではないかと。
スサノオさんの御魂(ミタマ)の系譜は、
記紀神話にも書かれている様に、
並ぶモノの無い様な強大な「神力」を持っていて。
故に、後の為政者達にとっては「ナニカト」邪魔なチカラでも有り、
封じられたり、虐げられたり、隠されたり。
正確な「神通信」には妨害を入れたり......
しかし、そんな力は時代のポイントポイントで、
押し込められていたマグマが地表に大きく噴出するかの様に世に現れても来て。
多くの場合、この国を糺す(ただす)ために
使われて来たりしている様にも思えます。
そこに、正誤、善悪の議論は不毛......とも思われますが......
そんなスサノオさんの御魂の系譜は、明治天皇しかり、
豊臣秀吉しかり、
織田信長しかり。
更に辿れば、坂上田村麻呂もそうかもしれません。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)も、きっとそうです。
どれも、全て、この国を一つにしなければいけない時。
変えなければいけない時。
そうしなければ全てが立ち行かなくなっている時......でしょうか。
そんな畏れ多きスサノオさんの御霊の系譜。チカラ。
忍熊の神=忍熊王=忍熊皇子にしても、
もしかしたら神話に書かれている様な謀反者と言うことでなく、
スサノオさん同様、
史実を捻じ曲げられて伝えられているのかもしれなくて。
むしろ正当なる王位継承者は神功皇后派ではなく、
忍熊王という見方も不可能ではなく。
もし、そんな仮定をすれば、むしろ神功皇后の方が王位簒奪者であり、
自己正当化のために書き換えられた諸事が後世に伝られているのかも!?
しれず。またソレは、皇后自身が行ったというわけでもなく、
その側近達がそうしたのかも?しれず。
「大化の改新」の様な出来事は、
それ以前の弥生や縄文の昔にも一度や二度でなく、
この国の歴史の中で幾度も繰り返されて来た様な話なのかもしれません。
忍熊の神とは、祀られている劔神社の地を発展させた王であり、
現在の福井県、越前の地の基盤を造った王である可能性も。
そうなると忍熊王は、現在、同地を開拓、発展させた王とされ、
「現天皇家の直接的な始祖はこの天皇では無いか!?」
とも言われている「継体天皇」とも何か深い関わりがあるのかもしれません。
継体天皇は、神話には「応神天皇5世の子」とだけ記され、
その出自や血脈が曖昧に消えている謎の天皇となってもいますが、
忍熊王は、その祖先!?なのかもしれない......
なんていう、そんな妄想も湧いて来たりします。
そんな妄想の先には、
現天皇はスサノオさんの血脈とも言えるのでは......なんて。
禁断の!?物騒な!?コトまで言えてしまう可能性すらも出て来ます。
なんにせよ、この「アイヌと鍔」の物語の裏には、スタートした時から
「大王スサノオ=素戔嗚=須佐男さんがいた!」
ということだけは間違いのないことで。
そしてそんな物語は、いよいよ最終章の富士山へ!と向かうこととなります。
当初、摩周湖(ましゅうこ)に行った頃には、まさか、
この物語が富士山とリンクしてくるとは思ってもいなかったのですが、
その辺りの関連性に関しても、
富士山に向かっていた日の朝に自然と理解する事が出来たのです。
その日は2017年9月11日と12日。
今度はTさんとはまた別の、
登山好きの某スタッフさんにスケジュールを勝手に押さえられ、
休暇迄取らされ、家に迎えに来られ、
気がついたら山に登らされていた!......という日。
時期的には富士山は完全に閉められ、しかも当日の天気は大荒れ。
山中には山小屋関係者の人達すらもマッタクいなくなっていた......
なんていう日。
次回から始まる「鍔とアイヌ」の最終章は、
その辺りの話から始めたく思います。
回数はなんだかんだで「11」に。
もう少しでエンディング。
どか、よしなに(^^)
役割りが日本人にはある気がします
くらさんがブログコメントでおっしゃっていたように役割りは肉体・世代を超えて
引き継がれていくように思います
人の都合で創られた世界は
分断・取捨選択の時を迎えています
都合のいいモノに囲まれていると
自分も人も信じられなくなり
和も無くなっていきます
分断すべきは
自分と
自分に都合のいいモノ
なのではないでしょうか
皆様
よきセンタクを
四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)
---空海
狂人は囚われない
カミは
囚われないに囚われない
タオについて少しお勉強してみます。
次回の記事も楽しみにしてます(^-^)/
僕には冒頭部分が全てを表している様にも思われちゃいます。
道可道、非常道(道の道とすべきは、常の道にあらず)
スゲーっす(^^)
かつぶろに出てくる「絶対はない」という言葉にも繋がっていきますか?
なるほどでした。
ありがとうございました(^^)ノシ
タオ思想(老子)は達観的な世界観でもありますし、捉え方によっては「仙人的思想」になったりするのかもしれません。
個人的には宇宙の根元法則的なモノを、哲学的且つ叙情的な言葉で、詩的に、優雅に表現したもの.....という感じで捉えていたりもしますが、
非の打ち所がなく、凄まじく素晴らしい言葉達だと敬服したりもしてます。
そんな見方や捉え方が万人万解の全天球的なものとなっている様なところにも宇宙的な懐の大きさを感じたりもしますが、しかし、ソレ故に、
百鬼が夜行するこの地球世界において、そのまま持ち込めない部分があるところもなんだかトテモ悔しく、実感も湧いてくるトコロでもあって、孔子の「論語」辺りと合わせ持って心に仕舞っておくことが「バランス」を生んでいくことにもなるのかな、と。
そんな風に思っていたりもします(^^)
スクラップが信長の役目なら、塞ぎとBuildは家康の担当だったのでしょうか。
これは私の全くの感覚ですが、信長は家康と二人で天下を治めるつもりだったような気がしてならないのです。四方八方敵だらけの信長に部下としてではなく、同盟者として裏切らずに手を取り続けたのは家康だけだったし、弟を殺し、一族の敵を排して当主になった信長にとって幼少期に人質として織田家で仲良く遊んだとされる家康は誰よりも信頼できる「弟」だったのではないかと。
家康にとっても今川から解放される機会を作ってくれた信長についていくしか選択肢がなかったという事情だけでなく、どこか兄を慕うような思いがあったのではないかと思うのです。将軍や公家衆にすら傍若無人な態度だった、あの信長が家康に対しては徳川殿、徳川殿と必死に接待。長い間の同盟関係を通じて信長と家康には相当な絆があったと思えるのです。
ところが、本能寺のあと天下人の座に秀吉が座るとは、信長は考えてもみなかったのではないかと思うのです。あの世で信長は「サル、出過ぎたことを」と思っていたのでは。
秀吉については墨俣の一夜城、高松の水攻めなどはまさにスサノオ様の奇魂の息吹を感じさせますが、それも信長の下での働きだったからこそで、晩年はまったくスサノオ様の息吹が私には感じられない。朝鮮出兵など、今だに反日の理由づけにされる始末で最悪でしょう。どこかでスサノオさまが秀吉から離れてしまったのかもしれませんね。そして戦国を塞ぐお役目の家康にバトンが渡るためには豊臣家は消えねばならなかったのでしょう。
信長も秀吉も晩年は何故か狂ってくる。信長については、桶狭間、長篠の戦い、比叡山焼き討ち頃までで、その後は何かが違って見えます。京都の公家衆を利用するつもりが逆に謀られ追い詰められていく様は見ていて苦しくなりました。
鎌倉時代にも源義経が、いわゆる公家衆の「位うち」に翻弄され頼朝に滅ぼされています。義経の戦いにもまさに「奇魂」を感じるのに。
京都は伏魔殿なので、信長もまっこう勝負するしかなかったのかも。そしてスサノオ様が信長を通じて本当に破壊したかったのは、この朝廷、天皇家だったという気がしてならないのです。家康の江戸幕府がその後、約300年続き、現在の東京の発展に繋がったカギとして、幕府が京都から物理的に離れ、朝廷の力を削いだことも大きいと思えます。
公家衆得意の「位うち」に幕末まで対抗できたからだと。
家康がこれを成しえたのは鎌倉幕府というお手本があったからだと思えます。家康を見るとき、私には同時に源頼朝が浮かんできます。家康が尊敬し、憧れて止まなかった頼朝、天下布武は頼朝と関東武士団のもとで一度完成されていたと思います。公家衆や朝廷に翻弄された源平時代を終わらせるべく頼朝は知恵をしぼり、鎌倉に幕府を開き征夷大将軍になったのだと思います。そして鎌倉の「一所懸命」は天正の「天下布武」で新時代の合言葉だったと。京都から離れることは本当に大きな意味があったはずです。
室町幕府は北条家憎しで出来た鎌倉武士団の内紛の結果の政権で、頼朝が何故京都から離れたか、その意味を全く理解しない足利家が数百年歴史を戻してしまったのだと。そこでそれを再度壊して時間を進めるため、戦国を終わらせるために信長が登場して、お役目を負ったのでしょう。
吾妻鏡の愛読者だった家康は自らと境遇の似ている頼朝を学び、注意深く鎌倉幕府のしたことをバージョンアップさせたように思います。
10年くらい前になりますが、アメリカで1000年の歴史を変えた人物として日本から唯一源頼朝が選ばれたというニュースを見ました。その時は感動しました。朝廷政治を終わらせ、1000年の武家社会をつっくた本当の立役者は頼朝だと私も思うからです。頼朝のお母さんは熱田神宮の宮司の娘です。
時代の転換点、そしてお役目を背負った者の後ろにスサノオ様の息吹を感じることが多いのは何故でしょうか。
記事の写真。私は神様がamenouzmetさんとTさんに「感謝」の気持ちをこめて、目に見える形で神劒で大空に仁義を切ってくれたように見えます。写真からは神様からの感謝の声が聞こえてくるように思います。キリッとして清々しさを感じます。amenouzmetさん、今回も大活躍ですね。本当にすごいです。私が言うのも変ですが、amenouzmetさん、本当に有難う。今回もまたお役目を全うされましたね。素晴らしと思います。
それから次回の富士にリンクですね。以前に、こんな話を聞いたことがあります。富士山の地底深くに大神様が封印されていらっしゃると。その大神様を封印するためにコノハナサクヤヒメを山頂にお祀りしているのだと。そして、その大神様の大復活が近いということも。amenouzmetさんはもう全てわかっていらっしゃるのでしょうね。このブログに書くことのできない沢山のことがあるのでしょう。神様から公表を止められていることもきっとあるのだと思います。申し訳ありません。今日は興奮して無茶苦茶書き込んで長くなってしまいました。
確かに書けないことも多く、悲し、悔し、さみちい時もありますが、ソレすらもわかってくれる人達が何処かにいるであろうことが何時もとても嬉しくもあります。ありがとうございます。
個人的にはスサノオさんは「朝廷や天皇家を破壊.....」などとということはないと思います。
「青き炎 4」に記している通り、僕にとってスサノオさんというのは「仁慈の名君」。
悲しまれることは常に、血縁者、身内同士などで争うことではないのかな、と。
仲間や家族がいがみ合う様なことに、殊更強く違を唱えるのかな、、と。
僕にはそんな風に伝わっています(^^)