昨日、Google検索のトップページロゴが
「ニールス・ボーア」になってました。
なんでも、ボーアの誕生日で、
「生誕127周年記念」という事だったらしいのですが、
流石グーグルというか。
マニアックというか。
彼は現代物理学の核となっている「量子論」の父として有名な方で、
勿論、ノーベル賞もとっています。
僕個人としては、
ボーアの考え方や生き方にはとても影響を受けていて、
その事は散逸構造論という記事の中でも触れていました。
「量子」というのは、
宇宙に存在する物質を小さく小さくして行って......
これ以上分けることは出来まへんなぁ......
といった「物質の最小単位」のことをいいます。
一般に言う「原子」などは、
この量子を組み合わせた物質であって、
量子に比べると、実はかなりの大きさになります。
現代を牽引する情報処理技術にコンピューターは欠かせませんが、
そのコンピューターを構成する主要部品である
半導体やICチップといったものは、
「電子」という
「これ以上小さく出来ない物質の一つ=量子」
の振る舞いに関する知識や理論から作られています。
当然、携帯電話やスマホなども同じです。
Googleは勿論、ITに携わる人々や会社にとっては......
それは今や社会的生活者の全てなのかもしれませんが......
ボーアの功績というのは計り知れないくらい大きな偉業なのだ、と。
そういうことで祝っていたのだと思います。
量子論の根底をなす定理の一つに
「不確定性原理」
というものがあります。
最近原理から定理に変更されたようですが、
呼称は依然原理です。
「物質......量子は、
その運動量と位置とを同時に測定することは出来ない」
という定理で、
そこから導かれる不思議な宇宙像というのは
「量子......物質や我々がそこに存在しているということは
確率でしか表せない」
という事実や、
「観測される前の物質は、
あらゆる状態の可能性を持って
“雲”の様に拡がって存在している」
ということや、
「物質は観測されて始めて状態が確定される」
「一方の量子の状態が決まれば、
もう一方の量子の状態も同時に決まる」
「その伝達速度は光速も超える......
即ち、距離も時間も超越して決まる」
最近では
「宇宙は沢山の次元で同時に複数存在している」
という「多次元宇宙論」に至るまで展開されている
重要かつ不思議な定理です。
一般的な概念ではまるで「お化けの世界」のような話。
しかしながら僕らは、
この物理理論の世界で生きているのです。
ウォシャウスキー兄弟......いや、今は姉弟か......監督の大ヒット映画
「マトリックス」などは、この量子論を元に
脚本が起こされている部分などがかなり多い様に思われもします。
そして、そんな、
「宇宙の全ては確率論的な曖昧さの範疇にある......」
とする量子論に対して、
「そんな馬鹿げた、非科学的な話があるか!」
と、かの偉大なるアインシュタインは、
物理学者としての誇りも込めて、
友人に宛てた手紙の中でこう言いました。
「神はサイコロをふらない」
いや......シビれる言葉!(><)最高!
......しかしながら、2012年現在。
世界はボーアの理論の方向に発展進化を遂げていて、
この状況を、
この時のアインシュタインの言葉で表現するのであれば
「神もサイコロをふる」
「神すらも不確定性の中で生きている」
という事になるのでしょうか。
この量子論や相対性理論、神智学もからむような話は、
書き出すとご飯6杯ぐらい食べれそうな長編になる気がするので、
またの機会に記せればと。
ただ、一つだけ、
敬愛するアインシュタインの、
この言葉の「真意」をフォローするのであれば、彼は
「量子論的確率という事の中にも、
必ず何らかの定理が含まれているはずだ、、」
と言ったのだと、僕は思います。
それを裏付けるような物理学の研究も、
現在引き続きなされていますし。
100年近く続いているボーアとの論争は、
未だ決着がついていないというのが真実なのでしょうか。
そんな、アインシュタインを一度ならずも幾度も論破し、
現代物理を牽引する量子論や量子力学を打ち立てたボーアは、
その後、自らが纏めあげていった理論や力学の考え方が、
東洋の精神世界の書物に、既に数千年も前から記されている......
という事実を知り衝撃を受けることになります。
特に「チベット密教」や「易」の書に衝撃を受けたようです。
その衝撃からなのか?
ある日、彼は物理学界の最前線基地である、自らが開き、
自らの名を冠した研究所を研究員達に譲り、
田舎で畑を耕すような生活を選びます。
晩年、学会からの強力な要請もあり、
所長としてその研究所に復帰はしましたが、
現在も物理学の最先端を牽引する、
その研究所の紋章には、
東洋の有名な紋章がデザインされています。
それは......
太極図。
陰陽の紋章です。
最先端の物理学を研究する機関のロゴマークの真ん中に、
東洋の英知の象徴が組み込まれているのです。
量子論と太極図の間に広がる世界......
そこに思いを馳せると、
ボーアの見ていた宇宙が少し見えてくるように思えます。
それは何だか、
僕にはとても浪漫チックなことに感じられるのです(´ε` )…
太極図とDVD。マトリックスの脚本は深淵です。
映像とともに感服しちゃいます。
ラナ・ウォシャウスキー......
やはりただのオネエではありませんな。。
「ニールス・ボーア」になってました。
なんでも、ボーアの誕生日で、
「生誕127周年記念」という事だったらしいのですが、
流石グーグルというか。
マニアックというか。
彼は現代物理学の核となっている「量子論」の父として有名な方で、
勿論、ノーベル賞もとっています。
僕個人としては、
ボーアの考え方や生き方にはとても影響を受けていて、
その事は散逸構造論という記事の中でも触れていました。
「量子」というのは、
宇宙に存在する物質を小さく小さくして行って......
これ以上分けることは出来まへんなぁ......
といった「物質の最小単位」のことをいいます。
一般に言う「原子」などは、
この量子を組み合わせた物質であって、
量子に比べると、実はかなりの大きさになります。
現代を牽引する情報処理技術にコンピューターは欠かせませんが、
そのコンピューターを構成する主要部品である
半導体やICチップといったものは、
「電子」という
「これ以上小さく出来ない物質の一つ=量子」
の振る舞いに関する知識や理論から作られています。
当然、携帯電話やスマホなども同じです。
Googleは勿論、ITに携わる人々や会社にとっては......
それは今や社会的生活者の全てなのかもしれませんが......
ボーアの功績というのは計り知れないくらい大きな偉業なのだ、と。
そういうことで祝っていたのだと思います。
量子論の根底をなす定理の一つに
「不確定性原理」
というものがあります。
最近原理から定理に変更されたようですが、
呼称は依然原理です。
「物質......量子は、
その運動量と位置とを同時に測定することは出来ない」
という定理で、
そこから導かれる不思議な宇宙像というのは
「量子......物質や我々がそこに存在しているということは
確率でしか表せない」
という事実や、
「観測される前の物質は、
あらゆる状態の可能性を持って
“雲”の様に拡がって存在している」
ということや、
「物質は観測されて始めて状態が確定される」
「一方の量子の状態が決まれば、
もう一方の量子の状態も同時に決まる」
「その伝達速度は光速も超える......
即ち、距離も時間も超越して決まる」
最近では
「宇宙は沢山の次元で同時に複数存在している」
という「多次元宇宙論」に至るまで展開されている
重要かつ不思議な定理です。
一般的な概念ではまるで「お化けの世界」のような話。
しかしながら僕らは、
この物理理論の世界で生きているのです。
ウォシャウスキー兄弟......いや、今は姉弟か......監督の大ヒット映画
「マトリックス」などは、この量子論を元に
脚本が起こされている部分などがかなり多い様に思われもします。
そして、そんな、
「宇宙の全ては確率論的な曖昧さの範疇にある......」
とする量子論に対して、
「そんな馬鹿げた、非科学的な話があるか!」
と、かの偉大なるアインシュタインは、
物理学者としての誇りも込めて、
友人に宛てた手紙の中でこう言いました。
「神はサイコロをふらない」
いや......シビれる言葉!(><)最高!
......しかしながら、2012年現在。
世界はボーアの理論の方向に発展進化を遂げていて、
この状況を、
この時のアインシュタインの言葉で表現するのであれば
「神もサイコロをふる」
「神すらも不確定性の中で生きている」
という事になるのでしょうか。
この量子論や相対性理論、神智学もからむような話は、
書き出すとご飯6杯ぐらい食べれそうな長編になる気がするので、
またの機会に記せればと。
ただ、一つだけ、
敬愛するアインシュタインの、
この言葉の「真意」をフォローするのであれば、彼は
「量子論的確率という事の中にも、
必ず何らかの定理が含まれているはずだ、、」
と言ったのだと、僕は思います。
それを裏付けるような物理学の研究も、
現在引き続きなされていますし。
100年近く続いているボーアとの論争は、
未だ決着がついていないというのが真実なのでしょうか。
そんな、アインシュタインを一度ならずも幾度も論破し、
現代物理を牽引する量子論や量子力学を打ち立てたボーアは、
その後、自らが纏めあげていった理論や力学の考え方が、
東洋の精神世界の書物に、既に数千年も前から記されている......
という事実を知り衝撃を受けることになります。
特に「チベット密教」や「易」の書に衝撃を受けたようです。
その衝撃からなのか?
ある日、彼は物理学界の最前線基地である、自らが開き、
自らの名を冠した研究所を研究員達に譲り、
田舎で畑を耕すような生活を選びます。
晩年、学会からの強力な要請もあり、
所長としてその研究所に復帰はしましたが、
現在も物理学の最先端を牽引する、
その研究所の紋章には、
東洋の有名な紋章がデザインされています。
それは......
太極図。
陰陽の紋章です。
最先端の物理学を研究する機関のロゴマークの真ん中に、
東洋の英知の象徴が組み込まれているのです。
量子論と太極図の間に広がる世界......
そこに思いを馳せると、
ボーアの見ていた宇宙が少し見えてくるように思えます。
それは何だか、
僕にはとても浪漫チックなことに感じられるのです(´ε` )…
太極図とDVD。マトリックスの脚本は深淵です。
映像とともに感服しちゃいます。
ラナ・ウォシャウスキー......
やはりただのオネエではありませんな。。
この記事は何回か読んでいるのですが
自分の中に漠然とあったものが
3年にしてやっと、、
少し理解できましたぁ・・・・・・
「一方の量子の状態が決まれば、
もう一方の量子の状態も同時に決まる」
陰陽やマトリックスの世界は難しいですー(>_<)
コレまでも幾度か記してきましたが、多くの記事には複数の意味合いや意図を重ねたり、
隠喩的に含ませて来たりもしています。
時々メッポウキツイ世の中!?だったりもするので......
過去に遡って記事を見て頂いたり、同じ記事を何度も読んで頂いたり、意味合いを探求や想像して頂いたり......
記事の深い部分に触れて頂けた様な言葉というのは本当に有難く思えるのです。感謝なのです(*´ω`*)