こんばんは
今日もそれなりに病棟は落ち着いていました
なんだかんだ言っても、僕が座って本を読む時間があるというのは落ち着いているということです。
同時多発でイベントが起こっているときは一人で複数の患者さんの状況を把握しながら指示を飛ばさないといけないし。
今日もいろいろイベントはあったのですが・・まだ手のうち、手のうち・・・。
微生物検査室より
「先生、昨日の血液培養陽性です。グラム陽性球菌です。ただ、MRSAやCNSではなさそうです」
「そうするとエンテロ(腸球菌)とかですかね」
「そ~ですね」
「腹部所見とかあるから、そっちから(Bacterial translocation)はいってきたかな?(腸球菌は腸内細菌:常在菌)」
使っている薬の関係もあり・・・・さらに腸球菌なら「通性嫌気性」なのでアミノグリコシドは効かないから加えるならVCM(バンコマイシン)だな~ と思ってサクッと変更。
夕方にはVCMとMINOのみ感受性のある腸球菌が出てきました。
好中球のない人にMINOは効かないでしょうから、VCMのみですね。
これでVREになったら終わりだけど・・・今は・・・・。
とか、このくらいのイベントは毎日起きているようなものです。
そういう診療科ですからw
あとは週末に少し発表する演題の準備をしながら病棟で患者さん対応しておりました。それで22時くらいですね。
さて、今日は朝日新聞の記事を紹介します。僕も結構ウェットなところがあって、こういう話が嫌いではないのです。
骨肉腫全身に 少女は聴衆に問う「本当の幸せって」
2009年2月8日12時0分
http://www.asahi.com/health/news/SEB200901310017.html
「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」 制服姿の中学2年生の少女が、聴衆に問いかけた。
「それは『今、生きている』ということなんです」
04年7月2日、福岡県大牟田市で開かれた小中学生らの弁論大会。少女は続けた。
「生き続けることが、これほど困難で、これほど偉大かと思い知らされました」
「家族や友達と当たり前のように、毎日を過ごせるということが、どれほど幸せか」
2カ月半後の9月16日、少女は亡くなった。小学6年で骨肉腫を患い、全身に転移していた。弁論大会で読んだ作文「命を見つめて」の1419文字が残った。 猿渡瞳さん。13歳だった。
■ ■
福岡市のピアノ講師、福島由美子さん(56)は06年末、瞳さんのメッセージに出会った。長女が通う高校のPTA行事で、2年半前の弁論大会の録音を聞いた。
胸に響く言葉の数々に励まされた。公務員だった夫(65)のことで悩んでいた。次々に困難なことが降りかかっていた。
03年、悪性リンパ腫で胃を摘出。がんは治ったが、軽いうつになった。きまじめな夫だったが、06年春の退職後は急に酒量が増えた。焼酎の一升瓶が1日で空いた。酒を探す夫が部屋のドアを開け閉めする音におびえ、福島さんの体重は2週間で6キロ減った。
退職から2カ月後に病院に連れて行った。アルコール依存症。医師に「廃人になる」と言われた。泣き崩れると、夫は大声で言った。「酒をやめればいいんだろ」。飲まなくなったが、うつは治っていない。苦しいとき、福島さんは瞳さんが死の2日前に残した言葉を思い起こす。
「骨はがんに侵されているけど、心はがんに侵されていない。心は自由で幸せ」
■ ■
瞳さんを知ったときから思っていた。彼女のメッセージを、苦しんでいる多くの人たちに伝えたい。音楽とともに届ければ、もっと心に響くのではないか――。
1カ月後、人づてに連絡をとって母親の直美さん(40)に会えた。「作文の朗読にBGMをつけさせてほしい」。喜んで賛成してくれた。瞳さんが好きだった曲を教えてもらって驚いた。一青(ひとと)窈(よう)の「ハナミズキ」。楽譜を手に入れ、練習していた曲だった。
07年春から音楽仲間と一緒に、生演奏をBGMにした作文の朗読会を開く。昨年11月には、仲間の吹奏楽団が朗読を盛り込んだ演奏会を催した。直美さんも客席にいた。
瞳さんの作文は全国コンテストで入賞し、闘病生活はドラマや漫画になった。直美さんは講演に招かれるようになった。そのたび、瞳さんの言葉を無我夢中で伝えてきた。涙を流す余裕はなかった。でも、この日は号泣した。
「今もこんなに多くの人が瞳の思いを伝えてくれている。何て幸せな母親だろう」 隣に座る福島さんは、そっと直美さんにハンカチを渡した。自分も泣いていた。夫が「死にたい」と繰り返したとき、瞳さんの言葉を自分なりに言い換えて伝えてきた。「生きているだけでいいの」
夫は最近、小さな笑みで応えてくれることがある。また瞳さんの言葉を思い出す。 「命さえあれば、必ず前に進んで行けるんです」
(金子元希)
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患者さんたちの中に、特に若いというよりも小児科の研修や小児科実習をしていた時に合った少年少女たちの中に、非常に高潔な考えを持つ子供たちがいたのを思い出します。
もちろん・・年齢に比して・・ですけどね。
逆に中には70~80になっても「子供かこの人たちは?」と思うことも多々あります。
生き続けることの偉大さ、それは本当だと思います。
たとえどうあろうと生き続ける限り終わりではないと僕も思います。
また、体の自由がきかなくても心は自由であるというのも同じ気持ちです。
例えどのような立場であろうとも「心」は縛ることはできませんし、自分自身が物事に対して起こす反応は「自分の心」によるものであり、他人や出来事によって起こるものではないからです
http://blog.with2.net/link.php?602868
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そういったことをこの年で感じて、それを多くの人たちに伝えるということは素晴らしいことだと思います
そういう友人を持った人たちは・・・さらに幸せなのだと思います。
僕も何かを感じてもらえるようなBlogを書きたいものです。
それでは、また。