もう三十年以上昔、間中喜雄先生が北里研究所附属東洋医学総合研究所客員部長の要職にあった頃、上司であった医道の日本社専務の戸部雄一郎氏に連れられ、白銀台にあるその研究所に、お話を伺いに行ったことがあった(当時、私は針灸学校へ行く傍ら、医道の日本社でアルバイトしていた)。
昼休み中だったので、患者はいなかった。診療室脇には引出したくさんついた棚があった。棚の一つには、手書きで「経絡手品のタネ アケルナ」と書いてあって、思わず苦笑してしまった。おそらく、助手の板谷和子先生の仕業だろう。板谷先生は、心底から間中先生を尊敬していて、間中先生の前では無邪気に振る舞う。
そういえば板谷先生は、カルテを鉛筆書きしていた。ペンで書くと間違いを修正できないというのがその理由。
当時、間中先生はオーリングテストに凝っておられたようで、被験者の左手にいろいな物を持たせ、右手の母指と示指でつくるオーリングの開き加減をテストしていた。
私も被験者になった。左手にタバコ一本を持ち、右手でオーリングテストをしたが、簡単にリングは開いてしまった。次に漢方薬の柴胡を持ち右手のオーリングテストをした。すると今度はなかなか輪が開かないよう‥‥だった。前回と比べ今回のテストでは間中先生の輪を開かそうとする力加減がまったく弱くなっているのに私は唖然とした。本当ですか?と問うと、間中先生は今度は力を込めた顔つきをする一方、指先には力を入れず、再びオーリングテストをやり、「同じ力でやっている!」と強弁したのだった。
ずいぶん無邪気な人だと思った。一方、一針灸学生を相手に、真面目に対応して下さる気さくな先生の態度に驚き、間中先生に大いに好感をもった次第であった。