夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

野バラと撫子

2005年07月28日 | 芸術・文化




野バラと撫子

ゲーテの有名な詩で、日本でも広く知られている『野バラ』という詩がある。原文と訳文は次のようなものである。シューベルトやウェルナーの歌曲としても知られている。

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  Heidenroslein      野薔薇
Rose blossom on the heath

Sah ein Knab’ ein Roslein stehn,  少年は小さな薔薇の      
     
[za ain  kna p ain ’ro z・lain te n]       咲いているのを見つけた。

Saw a boy a little-rose standing,

Roslein auf der Heiden,                 荒れ野に咲いていた小さな薔薇。
 
[’ro z・lain  auf  de ’hai・d n]
     

little-rose on the heath,

War so jung und morgenschon,  朝露のようにみずみずしく咲き初めたばかり。
                                              
[va zo jnt’  m r・ n・, o n]   
was so young and morning-beautiful,

Lief er schnell, es nah zu sehn, 少年は急いで近くに走りより、

[li f e nl s na tsu zen]       見つめた。
 
Ran he fast it near to stand,
 
Sah’s mit vielen Freuden.  とってもうれしそうに見つめた。
 
[za s mt ’fi ・l n ’fr・d n]
  
Saw-it with much joy.

 
Roslein, Roslein, Roslein rot,  小さな薔薇、小さな薔薇、              
[’ro z・lain ’ro z・lain ’ro z・lain ro t]  小さな赤い薔薇。
 
Little-rose, little-rose, little-rose red,    

Roslein auf der Heiden.            荒れ野に咲く小さな薔薇。
[’ro  z・lain auf de ’hai・d n]

little-rose on the heath.

Knabe sprach: Ich breche dich,   少年は言った。        
     
[’kna ・b pra x ’br・d]                        君を摘んでしまおう。
 
Boy said: I will-pick you, 
 
Roslein auf der Heiden!            荒れ野に咲いている小さな薔薇さん。  
      
[’ro z・lain auf de ’hai・d n]
  
little-rose on the heath!
 
Roslein sprach: Ich steche dich,    小さな薔薇は言った。

[’ro z・lain pra x ’t・d]                  私はあなたを刺します。
 
Little-rose said: I  will-stick you,

Das du ewig denkst an mich,        いつまでも私を忘れないように。
 
[das du ’e ・v dkst an m]
 that 
you forever will-think of me,

 Und ich will’s nicht leiden.        そして、私はあなたの            
    [ ntvls nt ’lai・d n]               思うようにはなりません。          
 
and I will-from-it not suffer.  

(I won’t put up with it.)
 
Roslein, Roslein, Roslein rot,          小さな薔薇、小さな薔薇、                        
[’ro z・lain ’ro z・lain ’ro z・lain ro t]    小さな赤い薔薇。
 
Little-rose, little-rose, little-rose red,  

 

Roslein auf der Heiden.      荒れ野に咲く小さな薔薇。

 [’ro z・lain auf de ’hai・d n]
 
little-rose on the heath.

Und der wilde Knabe brach   そして、その野育ちの少年は

[ nt  de ’vl・d ’kna ・b brax]   摘み取った。
  
And the wild boy picked

‘s Roslein auf der Heiden;         荒れ野に咲いていた小さな薔薇を。

[’s ro z・lain auf de ’hai・d n]   
 
the  little-rose on the heath;

 
Roslein wehrte sich und stach,  小さな薔薇は争い、

[’ro z・lain ’ve ・t z nt tax]           そして刺したが

little-rose defended itself and stuck,
 
Half ihm doch kein Weh und Ach,    どんな嘆きも叫びも助けにならず、               
[ halfimd x kain ve nt ax]                       少年は摘み取った。
 
helped it though no woe and ah,
 
Mußt  es  eben  leiden.         野薔薇はただ苦しみ
 
[msts’e ・b n’lai・d n]
                    忍ばねばならなかった。
must it just  endure.

Röslein,  Röslein,  Röslein rot,     小さな薔薇、小さな薔薇、                    
[’ro z・lain’ro z・lain’ro z・lainro t]           小さな赤い薔薇。

Little-rose,little-rose, little-rosered,

Roslein auf der Heiden.       荒れ野に咲く小さな薔薇。

[’ro z・lain aufde’hai・d n]  

little-rose on the heath.
 
            Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)
 
この詩は、後年の『ファウスト』のモチーフにもなった。少年をゲーテ、ファウストに、そして、野薔薇をグレートヘンに置き換えれば、若き日に女性を不幸に陥れたことが、ゲーテにとって深い精神的な傷として生涯残ったことが容易に見て取れる。これが、ゲーテの実体験に基づくのか否かは分からない。文学にとってそれが作者の体験を背景にしているかどうかは本質的なことではない。
 
しかし、いずれにせよ男女関係が、男性にとっても切実な倫理的問題であることは、ゲーテの例をみるまでもなく、古今東西を問わず普遍的である。日本の『源氏物語』も、主人公光源氏の若き日の過失を宿命として生涯背負って行く物語としても読める。ただ、同じ倫理的な、罪を問題にしても、仏教とキリスト教では、若干その意識内容に相違があるし、民族によって、また、時代によって倫理観にも相異はある。
 
日本にも、このゲーテと同じ苦悩を歌った和歌がいくつかある。平安時代の貴族たちは、女性との出会いを求めて徘徊することも多かった。その際に、築地や垣の間から美しい姫君と垣間見る機会を望み、そこから恋の発展することを期待していた。源氏物語では、主人公の光源氏が、侍者惟光と下町あたりをこっそりしのび歩いているとき、桧垣の間に見出したのが夕顔だった。



草径集に収められている、大隈言道の「なでしこ」と題される次ような歌もある。しかし、あたかも平安貴族の恋歌を思わせるこの歌だけからは、大隈言道の心情の内容を読み取るには限界がある。この歌で歌われている、なでしこの花が、言道の垣間見歩きで出会った女性を象徴し、その花を見出して摘み取り手折ったことに、この女性と何らかの関係が芽生えたことを暗示していると読めないこともない。作者がそれを寓意していたと考えることもできる。

だが、その男女関係について、言道がどのような感慨を持っていたのか、この歌からだけでは読み取れない。後悔か、懺悔か、自慢か、虚栄か。あるいは、この歌に象徴や寓意を読み取るべきではなく、ただ、淡々と事実をのみを叙述した歌としても、この和歌の価値は損なわれない。作者が何らかの寓意を意図していたかどうかは証明はできない。いずれにせよ、この歌のモチーフも、可憐な花を摘み取ることの感慨にある。このモチーフから何をどう連想するかは鑑賞者の自由であるだろう。
              
     放つ矢に、ゆくへたずぬる草むらに、見いでて折れる、なでしこの花
 
ただ、西行にも次のような和歌があることを考えると、作者にそのような象徴を寓意していたと想像してもそれほどに的外れではないと思う。

234   かき分けて、折らば露こそ、こぼれけれ、浅茅にまじる、なでしこの花
 
茅に混ざって咲いているなでしこの花を見つけ、草かき分けて手折ると花から露が零れ落ちました。
これは恋の歌である。恋に付きものの涙を歌っている。

235   露おもみ、園のなでしこ、いかならん、あらく見えつる、夕立の空

激しく降った夕立の空の下で、どうなっていることでしょうか。庭のなでしこの花も、露の重みにもしっかり耐えて咲いているでしょうか、心配です。

西行はなでしこの花に、都に残してきた妻子を連想し気にかけている。ここでも、西行の心は痛んでいて、癒されていない。

ドイツではゲーテが野ばらに少女を託し、わが国では歌人たちが撫子に妻女の面影を託し、それぞれの時代を生きた男たちが、自身の行為によってきたるその思いを歌に残している。

 
※202405026追記
Heidenröslein [German folk song][+English translation]
 
 
 

コメント
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