夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

夏が来る

2010年06月24日 | 日記・紀行

 

夏が来る

昨年は少し忙しくて、作ることに手が回らなかった夏野菜も、今年は何とか実り始めた。茄子が紫の美しい花をつけ始め、キュウリも小さな黄色の花の下に実を付け始めた。

いつ見ても、自然の造形と色彩の美には眼を見張る。あえてそこに創造の主体としての「神」のことを言うなら、神の創造の御業は私たちの理解を超えている。私が自然を見ると言うことは、神が私を見ることである。その「存在」を「認識」するのは、また、その由来を問うのも言語を持つ人間のみの特権である。単なる動物にその能力はない。

自然は回帰する。むろん、それは太陽系という宇宙の構造に由来する。しかし、この回帰も、太陽に寿命の存在することを知っている以上、未来永劫の回帰ではあり得ない。

とはいえ、太陽系の存在自体とその再生の必然性のことを考えれば、私たちの生命体を含む存在の「永劫回帰」は、その意味では復活としても認めることはできるのかもしれない。こうした問題の論証は、いずれにしても、もっと厳密に行われるべきだろうけれども。小さな自然の中に宇宙を見る。

                                        

 

 

 

 

 

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