夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

6月7日(金)のTW : 小論理学§31§42

2013年06月08日 | 小論理学

思考には何事かを証明する力があると言うのなら、そして論理学は証明するべきであると要求するのであれば、そして論理学が証明の仕方を教えると主張するのであれば、論理学は何よりもまず、もっとも独自の自己自身の内容を証明して、その必然性を洞察する力がなければならない。§42


§31
心、世界、神の表象は、さしあたって思考のために、しっかりとした足場を提供しているように見える。しかしながら、それらの表象には特殊な主観性の性格が入り混じっている。そして、そのことによって、それらは非常に異なった意味を持ちうる。


いずれにしても、表象はまず思考を通じて確固たる規定を得ることを必要としている、ということである。

このことは全ての命題が言い現している。述語を通じてはじめて(つまり、哲学において思考規定を通して)主語が何であるか、すなわち初めの表象が何であるか、が示されるということである。


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