§92
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 11:39
これらの規定が概念の契機として互いに区別されるように、またそれに応じて異なった内容を持つ概念が区別され、普遍的なもの、特殊的なもの、個別的なものについての概念という区別が生ずる。
植物⎯バラ⎯プリンセス・ミチコ
[image]upload.wikimedia.org/wikipedia/comm…
§93
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 11:50
普遍は特殊と個別とを自己の下に含んでいるか、あるいは、捉えられている(subsumiert oder befasst)。個別は特殊や普遍と同じ規定を持つのみでなく、なおそれ以上に多くの規定を持つ。特殊の普遍に対する関係もまたこれと同じである。だから、
普遍について当てはまることは、特殊と個別についてもまた当てはまる。また、特殊について当てはまることについては個別についても当てはまる。しかしその逆ではない。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 11:55
※
個別は無数の規定を持った或るものである。特殊は個別に共通する規定をもとに区別される概念である。
普遍とは、個別と特殊の全てに共通する規定であるところの概念である。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 12:02
§94
同じ普遍の下にある特殊な規定は互いに同格(coordinirt)である。同じように、同じ個別の中に含まれる特殊な規定も同格と呼ばれる。しかし普遍の中で同格である規定は個別の中では同格ではありえない。
同格(coordinirt)⎯⎯同じ座標、メルクマールが同じ。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 12:28
§95(判断について)
判断において、概念の中に含まれているさまざまな要素は絶対的に統一されて止揚されている。判断とは概念のさまざまな規定の関係である。というのも、
それぞれの規定は同時にそれぞれに固有の別々に独立して存在している規定とみられ、したがって特殊な概念とみられるからである。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 12:32
※精神現象学では塩を例に取り上げられている。「例えばこの塩は同じここにありながら、同時に多様でもあって、白くあるとともに辛くもあり、
また、その結晶は立方体であり、また一定の比重をもつものでもある、などである。」「それぞれの性質は他の性質に影響することなく、それぞれ単純におのれに関係するものであるから、他の様々な性質は明らかにそのままにされて、単に「また」として他に関係するだけである。」
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 12:33
「こうして、この「また」が純粋に普遍的なものそのものであり、すなわち、媒体であり、こうして様々な性質をまとめたものが、「物そのもの」であることなのである。」
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 12:40
§96
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 12:55
判断には三つの要素がある。(1)個別性または特殊性の側面としての主語(das Subjekt )、(2)普遍の側面としての述語(das Prädikat )。もっとも、それは規定された普遍性であるから、特殊性でもある。
(3)主語の述語に対する単純な内容のない関係を示すものは、接続語「である」(die Copula)である。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 13:04
§97
判断の種類はさまざまな段階を表すものである。すなわち、その段階を通して主語と述語との外面的な関係が、概念の内的関係にまで展開される。
⎯⎯⎯主語はまず最初に述語と直接的に同じ形である。ここでは両者の内的な内容としての規定は同じである。しかし次に両者は区別される。主語は抽象的な述語よりもより複雑な内容を持つ。したがって、主語は述語に対して偶然的である。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 13:13
※
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 13:13
カントの形式的論理学における判断の種類を、概念の動的な展開としてとらえるところにヘーゲルの判断論の意義がある。
§98(推理について)
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 14:04
判断において概念は二つの規定が互いに直接に関係している。推理(Der Schluss)は根拠(Grunde)を持った判断である。二つの規定は推理において、それらの統一である第三の規定を通じて結び付けられる。推理はしたがって概念の完成された定在である。
§99
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 22:36
定式からいえば、推論の両項は個別と普遍である。これに反して、特殊はこの両項を統一するものであるから、両項の媒介(die Mitte derselben)である。一つの規定Aが一つの規定Bに属し、⎯⎯⎯または属さず、しかも規定Bが一つの規定Cに属すると、
規定AもまたCに属す。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 22:44
個別⎯特殊⎯普遍
普遍⎯特殊⎯個別
※
概念と判断、推理についてのさらに詳しい説明は、小論理学の§160以降にある。
「悟性的論理学(カント哲学)においては、概念は思考の単なる形式、あるいは一般的な表象と考えられている。
概念は生命のない、空虚な、抽象的なものだという、感情や心情の側からしばしばなされる主張は、概念に関するこうした低い理解にのみ当てはまる。実際においては事情はまさに逆であって、概念はむしろあらゆる生命の原理であり、したがって同時に絶対的に具体的なものである。」
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 22:44
§100
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 23:21
推理の媒介する両項(termini extreml)の関係は二重のものである。したがって、二つの判断(前提命題propositiones praemissae)が生じる。すなわち、二つの判断はいずれも特殊性の要素、すなわち媒介
(terminus medius )を含んでいる。一方の前提は、さらに普遍の項(terminus major)を、それも述語(大前提propositio major, Obersatz)としてもつ。他方は個別性の項を、しかも主語
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 23:22
(propositio minor, Untersatz)としてもつ。両項の関係は第三の判断である。こうして断定(conclusio)は媒介されているのである。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 23:23
※
複雑難解に記述されているけれども、内容はむずかしいものではない。
三段論法の基本的な推理による判断、断定について述べられている。
— review (@myenzyklo) 2016年7月2日 - 23:23
①人間は死ぬ。特⎯普
②ソクラテスは人間である。個⎯特
③ゆえに、ソクラテスは死ぬ。個⎯特⎯普