⎯⎯旧憲法の復活という民会がもつ唯一にして単純な要求を主張するために、民会が錦の御旗としたものは、選挙に際して、また多くの提出された陳情書のうちにはっきりと表現されたところの国民の意思 Wille des Volkes という言葉である。⎯⎯これは偉大な言葉である。
— review (@myenzyklo) 2017年10月10日 - 21:59
すなわち、国民の代表者たちはこの言葉を冒涜しないように、ないしは、この言葉を軽々しく使用しないように、できうる限り自戒しなければならない。・・・人がある人間について、彼の意思しているところのものがなんであるかを知っている、ということができる事は、至難のわざに属し、
— review (@myenzyklo) 2017年10月10日 - 22:03
それゆえに偉大なわざに属することである。国民が現実にもっている真実の意思が一体どういうものであるのか、国民にとって本当に大切なことが何であるのか、について国民自身は多くの場合知っておらず、一方で国民の代表者はこれを知っていなければならないのであるから、
— review (@myenzyklo) 2017年10月10日 - 22:09
国民の代表者には、ただ最良の人々が選出されるにとどまらず、最も賢明な人々が選出されなければならない。ところで民会が憲法、憲法と大きな、しかも、ひからびた叫び声を立てるとき、そればかりか、この場合に請願書や陳情書を錦の御旗にするとき、いかに民会の価値と使命とを見誤っていることか。
— review (@myenzyklo) 2017年10月10日 - 22:14
⎯⎯国民が自分たちに与えられた憲法を自分たちで検討しなければならず、国民が自分たちの意思と洞察にもとづいて憲法を承認しないかぎり、憲法には何の妥当性も与えられるべきではない、ということは、だだ単に正当なことであるばかりでなく、絶対的に正義にかなったことであるように思われる。
— review (@myenzyklo) 2017年10月10日 - 22:24
もしそうでなかったならば、⎯⎯専制政治、 僭主政治、悪行が国民を勝手な鎖で縛りつけることになるだろう。⎯⎯しかし、確かにそうではあるけれども、事態を経験に即して考察し、経験以外のいかなる側面からも考察しないとすれば、人は次のような経験を引き合いに出すことができるだろう。
— review (@myenzyklo) 2017年10月10日 - 22:36
その第一は、国民自身は、そして最も自由な精神に富んだ国民でさえも、自分では憲法を作ることができないことを承認して、そして、ソロンやリュクルゴス、そして誰であれ、憲法に対して国民がもつ意思や意思の表明を、
— review (@myenzyklo) 2017年10月10日 - 22:37
きちんと処理できる智恵を用いうる人々に、この仕事を任せているということである。 (ibid.,s. 92)
— review (@myenzyklo) 2017年10月10日 - 22:38
ガスマスクは放射性のチリが肺の中に入るのを防いでくれる。一番近い避難所や身を隠すものがどこにあるか確認しておきなさい。戸外では身体のあらゆる部分がむき出しにならないように覆いなさい。核爆発への防護には明るい色のウール地が効果的。燃えやすい化繊は避けて。(スイス政府『民間防衛』)
— スイス政府『民間防衛』 非公式bot (@minkan_bouei) 2017年10月10日 - 22:36