夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

短歌と哲学(1)

2008年10月09日 | 芸術・文化

 

1507    雲につきてうかれのみゆく心をば山にかけてをとめんとぞ思ふ

西行は山の麓に流れ行く雲を見ている。と同時にその雲に誘われるように自分の心に漂泊への思いの兆し始めているのを自覚している。もちろん私たちには西行がどのような場所でこの歌を詠じたのか知るよしもない。

峠を上りつめたところ正面にその山容を眺めたのか。しかし、この歌は、時の過ぎゆくままに流れゆく雲と、その一方で時間を超越したかのごとくに泰然自若として不動の姿を見せている山との、その静と動のコントラストをしっかりと捉えているのであるから、この和歌を詠じた主体である西行自身が動いていてはその対比は捉えきることはできない。

おそらく、隠棲していた庵の窓から、流れゆく雲と、それを遮りつなぎ止めるような大きな山を西行は眺めていたのかもしれない。この歌から読みとる情景は私たちに自由に想像できるし、またそうするしかない。けれども、ただ、この歌から確実に読みとれるのは、流れ行く雲が旅や漂泊に対するやむにやまれぬ憧憬に西行を誘うその一方で、その心を押さえ殺そうとしている西行自身の矛盾した心である。

雲に付き従って行こうとする心、それは旅に出ること、また歌を詠じることであったが、それを「うかれのみゆく」と詠うことによって、仏道修行の真摯さや信心の堅固さを象徴する山と比較している。そして西行は自らを責めているのである。

1508    捨てて後はまぎれし方はおぼえぬを心のみをば世にあらせける

世間を捨てて出家してからは、世俗の煩わしい出来事や執着に思い乱れることはなくなったけれど、ただそれでも、わが心は妻と娘を置き去りにしてきた世の中にいつまでも残されたままである。

このような中古の和歌を深く正当に鑑賞するためには、西行の生きた平安末期という世紀末的な時代の転換期の背景を知っておくことも必要なことだろう。出世間の願望は、すでに平安の貴族である光源氏に象徴的に見られたように、仏教思想の流布とともにまず支配層から浸透していった。そして貴族の社会から武士の時代に移行するとともに禅仏教の思潮が色濃くなってくる。

西行も聖と俗の二律背反をよく自覚し、西方浄土への悟りへの道程の中で、出家と漂泊の間に揺れ動く矛盾する自らの心を詠うことを和歌の主題としていた。だから西行の時代においては、和歌はすでに古今、万葉の時代の伝統的な自然美や単なる恋愛感情の詠唱の段階から、宗教的な感情や表象を主題とする、いわば形而上的な対象を和歌の主題にするという段階に入っていたのである。

[短歌日誌]②2008/10/09

ふたたび「マディソン郡の橋」をDVDに見て

アイオワの夏の宵に深南部米国人の熱き情語りたる

 

 


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