夕暮れのフクロウ

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ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 十七〔古代と現代における責任概念の違いについて(行動と行為)〕

2020年01月14日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§17

In dem Unterschied von Tat und Handlung liegt der Unter­schied der Begriffe von Schuld, wie sie vorkommen  den tra­gischen Darstellungen der Alten und   unsern Begriffen.(※1)  den ersteren wird Tat nach ihrem ganzen Umfang dem Men­schen zugeschrieben. Er hat für das Ganze zu büßen und es wird nicht der Unterschied gemacht, dass er nur eine Seite der Tat gewusst habe, die anderen aber nicht.

十七〔古代と現代における責任概念の違いについて(行動と行為)〕

責任についての概念の区別は、悲劇における古代の描写と、私たちの時代の責任の概念の違いに現れているように、行動(Tat)と行為(Handlung)との区別との中にある。前者にとって行動(の責任)は人間に全面的に帰せられる。人間は完全に償わなければならず、彼が行動の一部のみを意識していたのみで、その他面については知らなかったといった区別は行われない。

Er wird hier darge­stellt als ein absolutes Wissen überhaupt, nicht bloß als ein relatives und zufälliges oder das, was er tut, wird überhaupt als seine Tat betrachtet. Es wird nicht ein Teil von ihm ab und auf ein anderes Wesen gewälzt; z. B. Ajax~(※a)(※2); als er die Rinder und Schafe der Griechen im Wahnsinn des Zorns, dass er die Waffen Achills nicht erhalten hatte, tötete, schob nicht die Schuld auf seinen Wahnsinn, als ob er darin ein anderes Wesen gewesen wäre, sondern er nahm die ganze Handlung auf sich als den Täter und entleibte sich aus Scham.

ここでは人間は絶対的な知識一般として描き出され、単に相対的な、かつ偶然的な知識としては表現されず、あるいは、彼が行動したことは彼自らの行動として一般的にみなされる。彼の行動の一部分が切り取られて、それが他の人間に押し付けられるということはない。例えばアイヤスがアキレスの武器を勝ち取れなかったことから怒り狂って、ギリシャ人の牛と羊を殺したときに、彼がそこであたかも別の人間であるかのように怒り狂った彼の狂気に責任を帰することなく、むしろ、彼は加害者として全ての行為を彼自身が引き受けて、恥じて自決したのだった。

(※a)Bei Homer der tapferste Grieche des Trojanischen Krieges nach Achilleus. Die er­wähnte Geschichte findet sich erst  der Kleinen Ilias des Lesches (7. Jh.), ferner bei Aischylos, Sophokles und Ovid, Met. 13.

 Ajax(アイアス)について:ホメロスによれば、アキレス後のトロイ戦争のもっとも勇敢なギリシャ人。言及された物語は、レスキス(B.C.7世紀の古代ギリシャの詩人)の「小イリアッド」の中でのみ見出される。詳しくは、アイスキュロス、ソフォクレス と オビディウス(古代ローマの詩人B.C.43〜A.D.17)のMetamorphoses  Book 13  を参照のこと。

※1
人間に責任の帰せられる根拠は、人間の意志の自由にあるが、この17節において、人間に責任を帰するとしても、全責任を担うのか、責任の一部を担うのか、を問題にする。古代ギリシャ悲劇に見られるように、古代人の責任の取りかたと現代人の責任の取り方の違いが、行動(Tat)と行為(Handlung)のちがいにあり、古代ギリシャ人においては、行動を彼の人格から分離させることなく、意識的であれ、無自覚的であれ、彼の行動の責任はすべて彼の全人格が担った。それに対して現代人においては、「未必の故意」などに見られるように、行動における主観的な意志の有無が責任の有無の前提とされる。

行動には狂気や酩酊など無自覚、無意識的な行いも含まれるが、行為はとくに意志や目的をもった社会的な行いをいう。

またここでは特にヘーゲルは取り上げてはいないが、近代以前では、個人の罪責が広く親族や郎等などにも及ばされる縁坐、連坐制がとられた。

 ※2
(ギリシャ神話から)

アイアスは、アキレウスの戦死後、遺骸がイーリオス勢に奪われないよう、オデュッセウスなどとともに奮戦した。戦いが一段落した後、アキレウスの母テティスが、アキレウスの霊を慰めるための競技会を開催した。その際、アイアスはアキレウスの鎧を賭けた争いにオデュッセウスとともに参加した。争いの判定はネストール、アガメムノーン、イードメネウスに託された。どちらに軍配を上げても、後々どちらかの怒りを買うことになるため、彼らはイリオスの捕虜に判定を託すことにした。どのような判定が下るにしても、怨みがイリオスに向かうので都合が良いと考えたのである。アイアスとオデュッセウスは接戦を繰り広げ、イーリオスの捕虜は、オデュッセウスに軍配を上げた。

アイアスは逆上し、怒りのあまりオデュッセウスなどの味方の諸将を殺そうとした。しかし、アテナはオデュッセウスを救うためにアイアスを狂わせ、羊を諸将と思わせるようにした。アイアースは羊を殺戮したが、ふと自分が殺したのが羊であったことに気がついた。神にあざむかれたアイアスは神に嫌われ、ギリシアの諸将も自分を評価しないことを嘆き、彼らのために戦うことの虚しさから自害して果てた。この顛末はスミュルナのクイントゥスの『トロイア戦記』やソフォクレスの悲劇『アイアス』に描かれている。なお、ソフォクレスはアテナがアイアスを狂わせた原因を、戦場でアテナの庇護をアイアスが拒んだ高慢への罰であるとしている。 


アイアスの自害

出典

アイアス - Wikipedia

https://is.gd/p3liN0

 


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