§134
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 01:09
行為という働きは明らかに一個の特殊な内容と一定の目的を要求するが、義務という抽象概念はまだ何らこのような内容や目的を含んではいないから、義務とは何ぞや?という疑問が生じる。義務に対する規定としてはさしあたり、正義をなすこと、かつ福祉、
自分自身の福祉と普遍的な規定による福祉、すなわち他人の福祉のために尽くすこと、というより他にまだ何もない。(法)
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 01:10
憲法草案要綱 憲法研究會案(テキスト) | 日本国憲法の誕生 ndl.go.jp/constitution/s…
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 11:16
日本國憲法(テキスト) | 日本国憲法の誕生 ndl.go.jp/constitution/s…
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 11:34
Constitution of Japan(テキスト) | 日本国憲法の誕生 ndl.go.jp/constitution/s…
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 11:34
Memorandum for Chief of Staff. Subject: Comments on Constitutional Revision proposed by Private Group(テキスト) | 日 (続く) tl.gd/nobrc2
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 11:40
書斎の窓 2017年11月号 日本国憲法のお誕生⑩ 東京大学法学部系の出版物 江橋 崇 yuhikaku.co.jp/static/shosai_…
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 11:47
§4
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 18:09
法の基盤は一般的に精神的なものである。そのさらに詳しい場所と出発点は意思であり、それは自由である。そうであるから自由が法の実体と使命を構成する。法的制度とは、現実にもたらされた自由の領域であり、第二の自然として、精神の世界がそれ自身から産み出したものである。
補註
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 20:34
意志の自由は、物理的な自然との比較を通じて最もよく説明される。というのも、自由が意思の根本的な規定でもあるように、重力が物体の根本的な規定でもあるからです。
物質は重い、と私たちが言うとき、この述語は偶然であると考えるかもしれない。しかしそうではなく、物質については重くないものは何もない。むしろ、物質とは重力そのものです。
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 20:34
重力は物体を構成するものであり、そして物体そのもである。
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 20:34
自由と意志についても同じことが言えます。なぜなら、自由は意志であるからです。
自由のない意志とは空虚な言葉です。それと同じように、自由はただ意志として、主観としてのみ現実的です。
意志と思考との関係については、以下のことに注意すべきです。
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 20:40
精神とは、一般的には思考のことです。そして、人間は思考を通じて自らを動物と区別します。といっても、人間は、ある面では思考し、他の面では意欲するとか、
また、あるポケットには思考を持ち、他のポケットには意欲を持っているとかいったように、考えるべきではありません。というのも、これらは空虚な考えだからです。
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 20:44
思考と意志との違いは、ただ、理論的なふるまいと行動的なふるまいとの間の区別に過ぎません。しかし、それは何か二つの能力であるとかではなく、そうではなくて、意志は思考の一つの特殊なあり方に過ぎません。
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 20:45
意志とは自らをそこにあるものに置き換えようとするものとしての思考であり、自らをそこにあるものにしようとする衝動としての思考です。
— review (@myenzyklo) 2018年2月10日 - 20:46
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