夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 二十五〔宗教の意義について〕

2020年03月09日 | ヘーゲル『哲学入門』
 
§25
 
Der moralische Wille in Rücksicht auf die Gesinnung ist unvollkommen. Er ist ein Wille, der das Ziel der Vollkommenheit  hat, aber: 1) wird er zur Erreichung desselben auch durch die Trieb­feder der Sinnlichkeit und Einzelheit getrieben; 2) hat er die Mittel nicht in seiner Macht und ist daher, das Wohl Anderer zu Stande zu bringen, beschränkt. 
 
二十五〔宗教の意義について〕
 
道徳的な意志は心情の面においては不完全である。道徳的な意志は完全であることを目的とする意志である。しかし、1)また、感覚の原動力と主体性を通して、道徳的な意志は自己自らを達成すべく駆り立てられる。;2)道徳的な意志は自分の実力のうちに手段をもたない。だから、道徳的な意志が他者の福利を成し遂げることには限界がある。
 
In der Religion hingegen be­trachtet man das göttliche Wesen, die Vollendung des Willens, nach seinen beiden Seiten, nämlich nach der Vollkommenheit der Gesinnung, die keine fremdartigen Triebfedern mehr in sich hat, und alsdann nach der Vollkommenheit der Macht, die heili­gen Zwecke zu erreichen.(※1)
 
これに対して、宗教においては、人々は神的な存在を、意志の完遂を、その神的存在の両面から考える。すなわち、もはやなんらの不純な動機を自分のなかにもつことのない心情の完璧さによって、それに次いで、神聖な目的を実現する威力の完璧さによって。
 
 
(※1)
先の§23〔法と道徳について〕において、人間については次のように語られていた。
「そもそも生まれついて人間は思慮の欠いたその自然の傾向から、あるいは、なお一方的で歪んだ、正しくない感性に自ら隷属した反省に追従する。」
 
人々は道徳において、人間関係においても自ら良心的に善であろうと欲する。彼は自ら道徳的にも完全であることを目的とする。そのことは彼の個性と感性が自ずからに要求するものである。

しかし、人々はそれを実現するだけの手段を、十分な意志と実力をもたない。ただ宗教においてのみ、不純な動機のない心情の完璧さと、その目的を実現する威力の完全性を目の当たりにすることができる。
ここには、カント哲学の「Sollen の立場」に対する批判が含まれている。
 
 
 
 

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