夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

渚の院の七夕

2005年07月07日 | 芸術・文化

今日は七夕の日。子供の頃、笹飾りを作って、近所の人たちと淀川にまで流しに行った時の記憶が懐かしくよみがえる。子供の心の世界は分裂を知らず、この世で天国を生きている。思春期を過ぎて、心は二つに分裂し、人は悪を知りエデンの園から追放される。
 

残念ながら、夕方から雷をともなったかなり激しい雨。六時ごろには止んだが、天の川は眺められそうにもない。七夕という言葉から、伊勢物語の中で業平が、昔、交野で詠んだ歌を思い出した。今の枚方市に「天の河」という地名があるらしい。つい眼と鼻の先に暮らしていながら全く疎い。


狩り暮らし、たなばたつめに、宿からむ、天の河原に、我は来にけり


八十二段の渚の院の桜に因む七夕の歌。

渚の院とは、水無瀬にあった惟喬の親王の離宮で、惟喬の親王はよくここに出掛けて狩をされたことが伊勢物語に記されている。皇子は業平をつねに伴われた。今も阪急京都線に水無瀬駅があり、我が家からも近い。

曇り空の今宵、部屋の中で、業平のこの「たなばたの歌」についての小論を書いて、七夕の記憶にする。

水無瀬に惟喬の親王の離宮があった関係で毎年、桜の花の盛りの頃には皇子は御幸せられた。その際にはいつも右の馬の頭をお連れになられた。ある春の出来事でした。交野の原での狩はいいかげんにし、お酒を飲み交わしお楽しみになった。そのとき、離宮は渚の院と呼ばれていましたが、そこに咲いていた桜があまりに美しかったので、その桜の樹の許にすわって、桜の枝を折ってかんざしに刺して、身分の高い者も低い者もすべて和歌を詠んだ。 そのとき馬の頭は、この世の中に桜という花が、全く無かったとすれば、春も物思いにふけることもなく、どんなにのどかだろうと思って、

 世の中に、たえて桜のなかりせば、春の心は、のどけからまし

 と、こんな歌を詠んだ。この右の馬の頭がどんな名前だったのか、もう遠い昔のことになってしまったので忘れてしまいました。

そうすると、お側でお仕えしていた他のもう一人が、次のような歌を詠んで反論しました。

散ればこそ、いとど桜は、めでたけれ、うき世になにか、久しかるべき

 桜の花は、はかなく散るからこそ、すばらしいのですよ。このつらく悲しい世の中に、桜と同じように散りもしないで、いつまでも永らえるものが一体あるとでも言うのですか。

 こうして歌を詠んだりして、やがて、みんなは桜の樹の下から離れ、立って帰って行きます。すっかり日も暮れてしまったとき、御神酒を下げたお供の人が野原から出てきました。そして、このお酒を飲んでしまおうということになり、よい場所を探して行くと、天の河というところに来ました。業平が親王に御酒を差し上げると、皇子は「交野を狩りしてきて天の河のほとりに来てしまった」という題で、歌を詠んでから杯を注ぎなさいと言われた。そこで、業平が詠んだ歌、

狩り暮らし、たなばたつめに、宿からむ、天の河原に、我は来にけり

一日中狩り暮らしていて、とうとう天の河原のほとりにまで来てしまいました。今宵はこの近くにおられるはずの織姫さまに宿を借りることにしよう

 親王はこの歌を繰り返し繰り返し朗誦されましたが、歌がすばらしくて、返歌なさることができませんでした。それで、いっしょにお供してきた紀の有常という人が、この人は業平の舅にあたる人でしたが、代わって次のような歌を詠みました。

 一年に、ひとたび来ます、君待てば、宿貸す人も、あらじとぞ思ふ

織姫さまは、一年にただ一度だけ訪れる愛しい牽牛さまを待っていますから、 今宵、宿を貸してくれる人はいないと思いますよ

 こんな歌を詠みながら業平に反論します。こうして皆は渚の院にお帰りになった。

これらは、過ぎ去った昔の、惟喬親王と業平らのまだ若かった日々の楽しい思い出で話である。もちろん、伊勢物語の読者は、後年、惟喬親王の、雪深い小野の里に隠棲しなければならなかった運命を知っている。

そして、業平の時代からほぼ七〇年後に、まだ彼らの記憶も生なましいとき、土佐での勤めを終えて京に帰る途上にあった紀貫之が、渚の院の傍らを船で行き過ぎる時、惟喬の皇子と業平の故事を思い出して、

千代経たる、松にはあれど、いにしえの、声の寒さは、変わらざりけり

 千年という歳月を経た松ではあるけれども、その梢を吹き抜ける、松風の荒涼とした騒ぎは、今も昔も変わりません

 という歌を詠んで、時間と自然の非情の中に生きざるをえない人間と、悲運の生涯を生きた惟喬親王や業平たちを懐古すると供に、

  君恋ひて、世を経る宿の、梅の花、昔の香にぞ、猶匂ひける

かって主君のそばで美しく咲いていた梅の花は、その主人がいなくなってからも、長い歳月を経て朽ちつつある屋敷の庭にあっても昔と同じままに、今も猶あなたを慕って美しく咲き匂っていますよ

 という歌を詠んで、不如意に生きざるをえなかった惟喬親王の魂を鎮めようとした。

皇后高子や業平とはゆかりの深い大原野神社は、我が家とはつい眼と鼻の先にある。今度訪れる折があれば、伊勢物語の世界を思い出しながらゆっくり歩いてみたいと思っている。

 

 

 

 

さん

 

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