玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*戦間期と現在④

2024年10月15日 | 捨て猫の独り言

 つぎは9月24日の朝日新聞から。早稲田大学の篠原初枝教授が国際連盟の教訓について語る。「ロシアのウクライナ侵攻が始まった時、私はすぐに満州事変を思い浮かべた。国際連盟は何とか妥協へ導こうとするが、連盟へのコミットを捨て満州を選んだ日本の決意の前には無力だった。結局国際組織というのは加盟国がその目的を理解してどれだけコミットできるかにかかっている。近年の安全保障理事会は機能不全で、建て直しは難しいだろう。しかし国際連盟の失敗を繰り返すべきでない。ロシアや中国、米国といった大国が国際連合を抜けるような事態は防ぐべきだろう。異なる考えを持った国が組織の中にいることは重要だ」

 東京大学の遠藤乾教授は今の情勢と戦間期の類似点と相違点を語る。「類似点①現状変更を求める勢力の武力による実力行使②民主主義国が自滅・自壊し自由から逃走してゆく③国際社会のブロック化が広がる。相違点①超大国アメリカの民主主義が傷つき右傾化が見られる(戦間期の大国イギリスは極右化には至らなかった)②ブロック化にしても、中国の経済力は並外れており封じ込めの対象とならない(戦間期には日本に石油や鉄の輸出規制・禁輸したABCD包囲網があった)そして輝かしい歴史を持つ穏健保守が、票欲しさに極右におもねる動きが顕著になるなど、政治が不安定になっている」

 米国の政治学者ハル・ブランズ氏はアジアで戦争が起きれば米中が互いに対抗し大惨事になる。この悪夢のようなシナリオを避けるには我々はどう対応すべきかについて語る。「中国が経済停滞の時代に入り、攻撃的な状況を乗り切るには〈決意〉と〈自制〉の両方が必要だ。決意とは、侵略には非常に厳しい制裁を加え、迅速に行動し、台湾進攻や海上封鎖は成功しないと説得することだ。同時に米国や他の国々が中国の政権を転覆させたり、台湾独立を支援したり、限界を迎えつつある中国が直面する課題を利用したりしないという、一定の保証を中国に与えなければならない」

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*新首相誕生

2024年10月10日 | 捨て猫の独り言

 石破新首相に関する、二者のコメントを記録しておきたいと思う。まず保守の立場から様々な事象を論じる佐伯啓思氏の10月2日の「異論のススメ」より。『今回の総裁選は安倍派内部の不適切な政治資金処理からはじまり、やがて「政治とカネ」および「派閥」という自民党の体質が問われ、党改革や政治改革がひとつの論点となった。その意味では、従来の派閥に属さずに自民党のなかで「異端」の立場にあった石破氏の当選もこの流れに乗ったものだろう。石破氏が知られるようになったのは、1993年に政治改革法案に賛同して、自民党を離党したあたりからである。中略。しかし政治の中心的な場所で「改革」が叫ばれて30年というのはいささか異常であろう。

 他方で、今回の自民党総裁選では、当初、多くの候補者が「保守」という言葉を使った。確かに「自民党とは何か」と問えば、まずは「保守政党」である。では「保守とは何か」と問えばどうか。答えは決して容易ではない。しかも、平成に入って以降、「改革」の旗振り役が自民党であったとなれば、果たして自民党にとって保守とは何なのだろう。中略。もしも自民党が「保守政党」たらんとするなら、なすべきは、今日の急激な「変化」のさなかにあって、この打ち寄せる荒波から「守るべきものは何か」と問うことでなければならない』

 つぎは、編集委員の高橋純子氏の10月5日の「多事奏論」より。『「軍事オタク」タカ派として存在感は示していたけれど、あくまでサブ&変人キャラ。それが、世の中および、自民党がぐっと右ブレするなかでいつしか「穏健保守」くらいの位置づけとなり「一強」の安倍氏と距離をおいて野にあり続けたからこそ、5回目の挑戦で今回、自民党総裁=首相の座を射止めた。推薦人20人のうち13人が「裏金議員」だった高市早苗氏が、党員票で1位になったことにはうなった。そして高市氏の敗戦の弁、「今日が安倍総理の国葬儀から2年目の日だ。いいご報告ができなかったことを申し訳なく思っている」にはうめいた。

 新首相としてやるべきは、「自由」「真実」「公平公正」「謙虚」をないがしろにし、政治の荒廃をもたらした安倍政治との真の意味での決別だ。その初手として、裏金問題で処分された議員は次の選挙で公認しない。当初は前向きな姿を見せていたからこそのイシバシガマシだったのに、早をくも腰抜けぶりを露呈させている。予算委員会を開いてから解散総選挙という従来の言も翻し、それで「納得と共感内閣」だなんて・・・寝言?イシバシガダマシ。野花を摘んで花瓶に挿したら即しおれてしまいましたとさ。さあいやがおうでも総選挙だ。主権者こそこの国のあるじ。ゆめゆめ忘れることなかれ』

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*ポストシーズン

2024年10月07日 | 捨て猫の独り言

 巨人軍の長嶋茂雄選手が17年間の選手生活に別れを告げたのは1974年だから、ちょうど50年前のことになる。その頃に、長嶋氏があの甲高い声でレギュラーシーズンとかポストシーズンとか話すのを聞いた。それが今でも耳に残っている。大リーグのことだなと気づいたが、その詳細は知る由もなかった。

 そのうち衛星放送が始まり、日本からも大リーグで活躍する選手が数多く出て、日本の野球ファンにもMLBが身近になってゆく。このところのOHTANIの活躍でそれはピークに達した感がある。今後このような選手が出てくるとは想像できないほどだ。彼の夢が叶いポストシーズンに臨むことになり、その影響を受けて私も学習し、ポストシーズンの仕組みを明確に知ることになった。

 まずレギュラーシーズンについて、MLBとNPBとの違いを見てみる。球団数は30と12、アメリカンリーグ(東中西・各5)とナショナルリーグ(東中西・各5)、セリーグ(6)とパリーグ(6)、試合数は162試合と143試合、延長戦は前者は10回から無死2塁からのタイブレーク制(2023年から恒久化)、後者は12回までに決着つかない場合は引き分けとなる。

 ポストシーズンの組み合わせは強いチームには特権を与えるシード制だ。まず地区優勝したチームから勝率によって第1~3のシードが決まる。つぎに地区優勝チーム以外(ワイルドカード)から勝率によって第4~6のシードが決まる。まずシード1位と2位を除いた4チームによるワイルドカードシリーズは3試合制、ここで2チームが敗退し残り4チ―ムによる地区シリーズは5試合制(3勝)、そのつぎのリーグチャンピオンシリーズは7試合制(4勝)、そして最後のワールドシリーズも7試合制(4勝)となる。ドジャースの監督が、地区優勝後にあと11試合を勝ちにゆこうといったのは、3+4+4のことだった。

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*気がかりなこと

2024年10月03日 | 捨て猫の独り言

 体を張って辺野古新基建設に反対している目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」が、8月22日を最後に更新されずにいる。中断がこのように一カ月以上になることはこれまで無かったことだ。体調を崩されたのではないか。あり得ないことだが警察権力の何らかの介入があったのか。海外旅行中か、それとも作家としての創作活動に没頭しているのか。

 何の情報も得られないので不安は増すばかりだ。8月22日以降で目取真俊さんに関することとしては、9月3日に「銃撃によって安倍首相が亡くなってから2年。安倍氏はいま、どのように人々の記憶に刻まれ、その存在はどう位置づけられているのか。安倍氏の記憶の現在地を考える」というテーマのインタビュー記事を読んだきりである。

 その紙面では、他にノンフィクション作家の梯(かけはし)久美子さん、政治学者の具裕珍(クユジン)さんが答えている。目取真俊さんにインタビューしたのは高橋純子・編集委員だ。「安倍晋三氏の記憶?とくにありませんね。あれほど権勢をふるい、沖縄にむち打った人でも、亡くなれば忘れ去られる。それが政治のリアルでしょう。憲政史上最も長く首相を務めたとはいえ、安倍氏は役者としては凡庸だったということでは。賞賛する側も批判する側も、過大評価の印象が拭えません」と努めて冷静に答えている。

 「ただ、第1次安倍政権下の2007年3月、高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の集団自決が軒並み修正を求められました。日本軍に強いられた という趣旨の記述に対して、文部科学省が 軍が命令したかどうか明らかとは言えない と待ったをかけたのです。これは沖縄県民の記憶に対する一種の暴力です。ではなぜそのような記憶の書き換えが必要だったのか?《軍隊は住民を守らない》沖縄戦が残した教訓を無化するためでしょう」目取真俊さんは安倍の記憶を沖縄の記憶に巧妙にすり替えたようだ。ブログ再開の日が一日でも早いことを願っています。

 

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*2024年秋

2024年09月28日 | 捨て猫の独り言

 猛暑が過ぎて朝晩は肌寒さを感じるほどだ。ところが長期予報によるとこの秋は長続きせず、10月には暑さがぶり返すという。予報が的中しないことを願う。ゴーヤの緑のカーテンはすでに撤去した。紅要や椿の木を覆いつくしていた雲南百薬の蔓を引きはがした。同居人は庭の植え込みを思い切って刈り込んだ。

 今年はナスだけは畑に残り、まだ収穫が続いている。これほど大きな枝ぶり葉ぶりになるまで育ったのはこれまで経験したことがなかった。なるほど近くの市民農園を覗くと、どの区画にも背丈以上の高さにナスの実がぶら下がっていた。畑は土を掘り返し、1年経過した生ごみを混ぜ苦土石灰をまいて養生中だ。

 彼岸花が庭のあちこちにゲリラ的に姿を見せた。すこし小さいがムラサキシキブも淡い紫の実をつけている。まもなくしたら街中に金木犀の香りが漂うだろう。つい先日のこと、酒場でサンマを食した。昨年は一匹千円近くした記憶がある。そして稲作よりも古く日本に入ってきたという里芋も秋の味覚のひとつだ。

  

 政治の季節でもある。9月27日に、自民党の総裁に石破氏が決まった。まずは良識ある選択がなされたと思う。石破氏には、旧統一教会問題などを抱えていた安倍路線からの転換を期待したい。岸田政権にそれを期待していたのだが叶わなかった。今回の総裁選挙の最後の最後の場面で、岸田派が決断したと感じている。

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*ベースボール

2024年09月23日 | 捨て猫の独り言

 花巻東高校出身の佐々木麟太郎(19)はスタンフォード大学に進学し、米大学リーグを経てメジャーリーガーを目指している。今年のドラフト有力候補の桐朋高校の森井翔太郎(17)は、9月上旬に家族で渡米して6日間の視察の後で直接のMLB挑戦に決めた。現在米4球団からオファーがあり、絞り込みを経てマイナー契約を結ぶ見通しだ。マイナーからはい上がるのは並大抵のことではないと覚悟を語る。

 大谷選手の破格の活躍で、日本におけるMLB中継の視聴者数が増大しつつあることは間違いないだろう。我が家でも、ベースボールに見向きもしなかった人が、今では長年のMLBファンである私よりも熱心に大谷選手のプレーを見守っている。日本のプロ野球には見向きもせず、ただただ「大谷くん」なのだ。大谷選手は計り知れないものをもたらしている。

 先日、ドジャースがアトランタに遠征してブレーブスとの4連戦があった。さっそく、アトランタに住む娘に「日本は猛暑続きだけど、大谷くんの活躍で暑さを忘れられている」と連絡。すると4連戦の3試合目に娘はトゥルイスト・パークに出かけたようだ。一塁ベースに近い内野スタンドから撮影した大谷の画像が送られてきた。ドジャース2連敗後のこの試合は、大谷の2打点のよる2対2の同点のまま9回を迎え、なんと2死から31セーブのイグレシアスを打ち込みドジャースが勝利している。

  

 日本時間9月20日、マイアミでのマーリンズ戦で大谷は6回に49号2ラン、7回に2ランと2打席連発で前人未到の「50-50」を決め、9回にも51号3ランを放ち、この日は6打数6安打10打点と大暴れ、初回と2回に2盗塁を決めて「51-51」に到達した。この日、ドジャースのベンチそばの観客席で、黒い帽子をかぶった米国人の少女が掲げるボードがネットで話題になった。それにはつぎのように書かれていた。「I SKIPPED MATH TO WATCH HISTORY ! OHTANI 50-50」

 

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*ナショナルチーム

2024年09月16日 | 捨て猫の独り言

 日本囲碁界がビッグニュースに湧いた。囲碁の世界メジャー棋戦の応氏杯・決勝五番勝負の第3局が9月8日に中国の上海で打たれ、日本の一力遼棋聖(27)が中国の謝科九段(24)に3連勝して、みごと世界一となった。日本の棋士が国際戦で優勝するのは、2005年にLG杯の張栩九段以来、19年ぶりの悲願達成となった。

  

 中国の応昌期杯は1988年に始まり、4年に一度オリンピックの年に開催される。主催は応昌期教育基金会で優勝賞金は40万米ドル(5700万円)で、囲碁世界一を決める棋戦だ。他に囲碁の世界戦は2年に一度開催の中国の春蘭杯(2100万円)、韓国には毎年開催の農振杯(550万円)、三星杯(330万円)、LG杯(330万円)などがある。ちなみに日本国内の棋聖戦優勝賞金は4300万円である。

 これまで世界戦で日本は韓国や中国になかなか勝てずにいた。そこで日本棋院では2013年にナショナルチームを発足させる。「世界戦で勝つ」をスローガンに研究会や強化合宿が行われている。2024年のチーム編成は、監督とコーチ計5名、選手枠はタイトルホルダー並びに2023年ナショナルチーム研究会リーグ上位者、および監督コーチによる推薦の計16名、女子選手枠が5名、育成選手枠が7名(男5女2)となっている。

 このチームの監督は、私が日頃から注目している高尾紳路九段だ。そのブログ「たかお日記」でナショナルチームの活動の様子を詳しく知ることができる。今回の一力遼棋聖の快挙の翌日のブログには「一力棋聖は対局終了後のインタービューで《自分だけでなく日本勢が上位にこれるよう日本全体で盛り上げていきたい》とコメントしていました。彼はナショナルチームの研究会や合宿にも積極的に参加してくれています。研究会の方針なども、僕より考えてくれています。《自分だけでなく、みんなで強くなりたい》この姿勢には頭が下がります」とあった。

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*「無思想の発見」

2024年09月12日 | 捨て猫の独り言

 岩波新書の吉田洋一の名著「零の発見」を意識した養老先生の著作に、ちくま新書の「無思想の発見」がある。日本人は無宗教・無思想・無哲学だと言われる。ならばと養老先生は、日本には「無思想という思想がある」と開き直った。

 ゼロには二つの意味がある。一つは数字としてのゼロである。他方ゼロは数量が空っぽ(何もない状態)ということも意味している。そこで養老先生は「無思想」とは「思想についてのゼロ」だと考えた。つまり、「無思想という思想」はそれ自体が一つの思想であるとともに「とりあえずそこには思想はない」ということを同時に意味している。

 かくして養老節が炸裂する。「俺は思想なんて持ってない」という思想は欠点が見えにくい思想である。そもそもそれを「思想だなどと夢にも思ってない」んだから、訂正する必要もないし、それについて他人の批判を聞き入れる必要もない。歴史的に日本の急速な近代化が可能だったについては、この省エネ思想が与って力があった。「思想なんかない」そう思っていれば臨機応変、必要なときには必要な手が打てる。昨日まで鬼畜米英、一億玉砕であっても、今日からは民主主義、反米なんか非国民、マッカーサー万歳という具合である。

  

 養老語録によく「相互に補完しあう」が出てくる。意識と無意識や概念世界(思想)と感覚世界(現実)などである。「言葉に表現されなければ思想ではない」それはもっともだが、それをいうのは欧米社会である。「思想なんかない」という原理は言葉による思想を抑圧する。それなら思想表現は、言語以外の他のさまざまな形をとるしかない。禅には不立文字(真の教えは言葉ではなく心で伝えられる)という教えがある。とりあえず思想がないと、それを補完するものとしての現実が発生する。思想と現実(世間)は補完しあう。

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*群馬みなかみ町②

2024年09月09日 | 捨て猫の独り言

 宿泊した「松乃井」は敷地面積が一万坪を誇る。三つの高い客室ビル前の日本庭園に平屋の「湯めぐり回廊」があり、庭園を鑑賞しながら2つの露天風呂に行くことができる。大浴場はビルの中だ。とくに露天風呂はこれまでに経験したことがないほど快適だった。みごとな石組、名も知らぬ感じのいい草々が間近に生えて、すんだ空気の中で、 清らかな湯につかる。

 

 2日めは雨の心配は全くなかった。計画通り、水上温泉よりさらに利根川最上部にある「宝川温泉」に行くことにした。そこは映画撮影が行われたことがあり、巨石をふんだんに使った3つの混浴と、1つの女性専用の大露天風呂(摩耶の湯)があるというふれこみだ。ホテルのバスで近くの在来線の水上駅へ行き、そこから日に3本しかない路線バスに乗り換える。 バスは利根川の源流を目指して、藤原ダムを横切り30分かけてバス停「宝川入り口」に着いた。

 

 行きも帰りも同じ運転手で、乗客も同じく私たちだけだった。事前の電話連絡でバス停には迎えの車が待っていた。帰りのバスの時刻に合わせて入浴時間はおのずと2時間と決まる。宝川の急流をはさんで両岸に野趣あふれる露天風呂があった。男女それぞれ異なる浴衣を身につけて湯に入る。「虻に注意」の張り紙がある。この日出会った入浴客は5人だけだった。映画というのは漫画家ヤマザキマリ原作の「テルマエ・ロマエ」(ローマの浴場の意)で、10年ほど前の作品という。(了)

 

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*群馬みなかみ町①

2024年09月05日 | 捨て猫の独り言

 群馬県は450を超える源泉のある「温泉王国」と言われている。かなり昔に職場の一泊バス旅行で伊香保温泉、最近では2年前に2泊3日で草津温泉を経験した。このたび9月1日に群馬の温泉としては私にとって3番目となる水上温泉を訪ねた。台風10号は8月29日に薩摩川内市付近に上陸、その後ゆっくりと九州を縦断しながら瀬戸内海を抜け、四国を通過し太平洋へと進んだあと、9月1日に熱帯性低気圧と変わった。

 台風の影響で上越新幹線が運休し旅行が中止にならないかと直前までやきもきした。ところが奇跡的にも、重装備の雨具は一度の出番もなく旅行を終えることができた。初日のホテルでの夕食中に激しい雨に見舞われた。出発は自宅から駅まで傘なしで行き、しばらくすると乗った電車の車窓に雨が流れた。さらに3日目に帰宅してまもなく雨が落ちてくるという具合だった。

 群馬県早わかりMAPを見ると北部には「利根沼田エリア」と「吾妻エリア」がある。みなかみ町は2005年に月夜野町、水上町、新治村が対等合併し「みなかみ町」となった。群馬県の最北端に位置し、新潟県と県境を接し、水上温泉郷や猿ヶ京温泉などふくむ「みなかみ十八湯」と称される温泉群がある。山奥の大水上山(おおみなかみやま)が利根川の源流とされる。町では「奥利根」の看板を見かける。

 

 利根川は日本の河川の長男として「坂東太郎」の愛称がある。九州の筑後川が「筑紫次郎」で、四国の吉野川が「四国三郎」これらが日本三大暴れ川である。利根川と聞いて、私が思い浮べるのは、徳川家康による60年の長い歳月をかけた「利根川東遷事業」だ。その昔、利根川は江戸湾に流れ込んでいた。江戸を洪水から守り、銚子から江戸までの交通路を開き、関東平野の新田開発を行うという大工事だった。

 

 

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