夕刊に「惜別」というコーナーがある。2月1日のそれに北の富士勝昭さんが掲載されていた。2024年11月12日死去(急性心不全)本名・竹沢勝昭82歳。文責は北の富士担当記者のN氏だ。N氏は初場所が始まった頃の朝刊の「角界余話」にも北の富士さんについて5回連載の特集記事を書いている。「北の富士さん師匠譲りの粋」「大関昇進横綱に紋付拝借」「師匠と一緒に独立破門に」「ハガミは餞別ごっつあんです」「《みえと突っ張り》引き際でも」
師匠とは41横綱・千代の山。大関への直近3場所の勝ち星は計28勝。紋付を拝借したのは出羽の海部屋の兄弟子の横綱佐田の山。解説者になってからも大関昇進の話になると言葉を濁した。「俺は人のこと言えねえからな」と。出羽海部屋から九重親方(元横綱千代の山)が独立し九重部屋を興して破門。師弟そろって破門された九重部屋は高砂一門に拾われた。
相撲界で「端紙(はがみ)」といったら、借用書のこと。力士から「ハガミ、ごっつあんです」と言われたら「金を貸してくれ」という意味だ。出羽海部屋から分家独立して部屋を出ることになった北の富士さん、この頃は出羽海親方に繰り返し遊興費を無心し、端紙が積み上がっていた。「必ずお返ししますので」だが親方はこういった。「餞別だ」。生前「ああいう一言がいえる大きな男になりたいと思ったんだよ」と語っていた。
元横綱に許される国技館の土俵での「還暦土俵入り」を辞退し、ホテルで披露した。「みっともないケツを見せたくなかったんだよ。年を取ると、どこから肉が落ちるか知ってるか?まず尻、次に肩口の筋肉。最後に残るのが腹。そんな姿を四方八方から見られたくなかったんだ。みえと突っ張りで生きてきたから」そしてN氏は「惜別」の記事の冒頭を「NHKの大相撲中継で実況のアナウンサーから、たった今の一番をを問われ、《あ、ごめん。見てなかった》。そんなコメントが許される解説者は、もう現れないだろう」と書き起こしている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます