玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*夏野菜の植え付け

2021年04月22日 | 玉川上水の四季

 新聞の折り込みに「農協」の夏野菜苗の予約票があった。来客の蜜を避けるためである。書き込んで直接申し込めばその場で日時が指定され、後日受け取りに行くことになる。接木の苗は実生のそれより2倍の価格だ。例年より早く4月17日に植え付けた。(苗の記念写真と人気のキンラン)

 

 ところがカボチャ実生220円、小玉スイカ接木290円の、それぞれ数量1が申し込まれていた。これらは育てた経験のないものだし、狭い場所でツルが伸びて大変なことになりそうだ。深呼吸して新しい事態に対処してゆくしかない。

 便利なものでパソコンは、接木と実生のメリットとデメリットをすぐに教えてくれる。接木はそれなりの技術と手間が必要というから素人には苗づくりは無理のようだ。接木の場合は、台木から出てきた腋芽をすぐに取り除くことが肝要だという。

 夏野菜を育てる一番の楽しみは、孫たちが来て共に手入れしそして収穫することだった。それは失われた。ペットを慈しむ代わりに野菜作りにいそしむ。昨年の初めてのニンジンは収穫ゼロに終わった。6月半ばの収穫を予定している初めての玉ねぎはどうか。

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*清明の頃

2021年04月12日 | 玉川上水の四季

 4月4日は二十四節気の清明でした。沖縄では清明に、先祖供養のシーミーが行なわれます。親戚が集まり墓の前で、重箱の料理をいただき、泡盛を飲み、三線を弾き、歌い踊って楽しむ行事です。聞いただけでも心が伸びやかになる祝祭です。

 清明の若葉の頃の玉川上水では、コナラやクヌギの長さ6~9㎝ほどの尾状の雄花があちこちに垂れ下がります。玉川上水でこの風景を初めて見上げた時には、命の息ぶきに感動したものです。そのうちぶら下がっていた無数の雄花は緑道に落ち、あたかもオリーブイエローの絨毯を敷きつめたような景観に変わります。

 つぎにコナラやクヌギの若葉に包まれたトンネルができ、玉川上水は日一日とその姿を変えていきます。しばらく後に踏みしだかれた雄花は毛玉のようなものになり、緑道のあちこちで風に吹かれてころがるのが見られます。(庭のヒメウツギ)

 

 昆虫がコナラなどの幹の中で菌を繁殖させ「ナラ枯れ」という病気が多数発生しているようです。幹から粉を噴き出しているコナラの木を緑道でも何度か見かけました。2014年には植物ウイルス感染で、青梅市の吉野梅郷ですべての梅の木が伐採されたことを思い出しました。

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*読み応えあるタウン紙

2020年05月11日 | 玉川上水の四季

 月に二回朝日新聞と共に多摩地域で配達されるタウン紙がある。その5月8日号の一面トップに「生き物の多様性を実感」という見出しで鈴木忠司さん(79歳)の記事が出ていた。2009年のオープンギャラリー開始の時もあれこれのタウン紙が取り上げていた。記事は鈴木さんが撮影した4枚の写真および玉川上水で鉛筆画を描いている鈴木さんの後姿の写真と顔写真で囲まれている。 

 武蔵美の油絵科を卒業、小平市の職員時代も油絵を描いてきたが、定年後はもっとも手軽な鉛筆画を描くようになった。記事の最後は「鉛筆画20年、これからがスタート」という言葉で締めくくられている。あれだけの写真をものにしている人が、鉛筆画にも情熱を傾けているのには私は日頃から驚いていた。記事の中で「どんどん宅地化が進んで」などの後ろ向きの発言が全くなかったのは、いかにも鈴木さんらしいと感じた。(写真はクリックで拡大)

 

 4面にある元国立感染症研究所研究主任で、現在は「住宅地にバイオ施設(病原体実験施設)を作ってはいけない」という信念のもとに科学者として市民運動に協力している新井秀雄さん(78歳)の記事も興味深い。新型コロナウイルスは人工的に作られたものかという質問に新井さんが答える。「新型コロナウイルスの出現については様々な説がある。エイズウイルスの発見者で、ノーベル賞受賞者・フランスのモンターニエによれば、武漢にある研究施設ではコウモリから採取したコロナウイルスをたくさん持っていたとの情報があり、ここでエイズのワクチンを作る過程で出来たものではないかとされています」

 PCR検査が進んでいるとは思えないのですがという問いに。「かつてチフスなどの感染症の際には感染研では総力を挙げて検査をした経緯があります。国立の施設である感染研と衛生研の他、各自治体の衛生研究所や公立の大学、研究所にも豊富な人材・機器が揃っているはずだが、それらを総動員しているという情報が聞こえてこないのが疑問です。決断するリーダーが不在なのか、個々の意識の問題なのか。公務員としての役割を果たしてほしい」

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*22日の薬用植物園

2019年09月26日 | 玉川上水の四季

 ある実験のことを読んだ。アルバイトの学生を被験者として外界からの刺激を遮断した状態を二日続けたところ、被験者は三日目にはきわめて暗示にかかりやすくなり、2+2=5と教えられるとすぐに自分の正答をひるがえして誤答を信じ込んだという。これは外界から切り離された意識がどれほどもろいものかを示すものだ。退屈で、しかも何をする気にもなれないときは外へ飛び出すに限る。外からの刺激で意識は活性化される。

 22日は台風17号で西日本は大荒れだったが、東京地方は日中は平穏だった。大相撲の千秋楽の中継が始まる前に薬用植物園に出かけた。自転車で15分かかる。つぎの日は「春分」と同じく昼夜の長さが同じになる日の「秋分」である。これからしだいに日が短くなり秋が深まる。あちこちで彼岸花が姿を見せている。(里芋の花と紫苑)

 

 秋に収穫される里芋は稲作より古く日本に入ってきていたという。そこで芋煮会というのは、そもそもは豊作に感謝する行事で各地で催されてきたものという。この日の植物園の入り口には「サトイモの花開花中」のお知らせがあった。仏炎苞とは肉穂花序をとり巻くラッパ状の大型の総苞のこと。玉川上水緑道で初夏になると見かけるウラシマソウとか、写真でよく見るミズバショウのあれである。(ナタマメ)

 

 背の高い2m近くにもなる草から紫の花びらに中心が黄色い花を咲かせるシオン(紫苑)が大きく風にゆれていた。平安時代から薬用や鑑賞に親しまれてきたという。キンモクセイと違って、街中で見かけることが少ないギンモクセイが甘い香りを漂わせていた。そのほかにはハギ、オミナエシ、スイフヨウが咲き、クズの花はしおれていた。ナタマメが実りその花も見ることができた。暗くなってから雨が落ちてきた。明日は強い風が吹くという。

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*ヤブガラシ

2019年08月22日 | 玉川上水の四季

 囲碁棋士の坂井秀至(46)が医師に転身する。ただし引退とはせずに復帰に含みを持たせている。坂井八段は「休場は断腸の思いだが、20年、30年単位で人生を考え判断した」と話した。これを聞いて数学者の森毅の「人生20年説」を思い出した。自分の一生に見当がついてしまったようなことを言う若者に対する苦言だった。八十までなら、人生を四度生きられる。

 我が家の北側は都営住宅の駐車場になっている。フェンスに沿って都営住宅の敷地にはベニカナメの植え込みがある。今年になってヤブガラシがベニカナメを覆うように繁っているのに気付いた。驚くほどの繁茂ぶりなのだ。数は少ないが、ところどころにはかわいそうな名のヘクソカズラの花が可憐な姿を見せている。ヤブガラシとは別に、名も知らぬつる植物が知らぬ間に雨どい(縦)に絡みついて屋根まで高く伸びていた。(ヤブガラシ、?、ヘクソカズラ)

 

 鈴木さんの「立秋」の冊子にヤブガラシの解説があった。蝶にとって一番大切なのが食草(食樹)だ。アオスジアゲハの幼虫の食草はクスノキで、成虫となってヤブガラシの蜜を吸います。ヤブガラシはつる植物で、梅雨の頃につるを伸ばして、他の植物の上に覆いかぶさって、枯らしてしまうのが名の由来です。子どもの頃にアオスジアゲハを追いかけて捕まらないのであきらめかけた時にヤブガラシに止まっている姿に出会って、そこで待っていて何匹も捕まえたものです。だからアオスジアゲハを撮るときはヤブガラシのところで待ちます。

 作家・梨木香歩の「植物と仲良くなり、ときどき食べる」という毎日新聞日曜版の連載記事にヤブガラシの蜂蜜のことが出ていた。ヤブガラシの蜜は軽やかでフルーティーで華やか、上品ですらあるという。一つ一つ、小さな花の真ん中に珊瑚色の花盤があって、その中央に白っぽい花柱が小さなロウソクのように立っている。これをさらにミニチュアの燭台のように見せているのは、花盤に溜まった蜜である。

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*クズの花

2019年08月15日 | 玉川上水の四季

 鈴木さんの自宅の隣にある「花のアトリエ」の前を通ると、鈴木さんがその庭先でスケッチをしている姿を見かけた。孫が帰国する前のことだ。上の孫を連れていた私は、鈴木さんの作業が中断することを承知で声をかけた。鈴木さんは庭先のオニユリの開花のいくつかの瞬間をとらえて一枚の絵の中に描き止めようとしていた。孫たちが来日する前に、五日市街道近くで鈴木さんを見かけた時のスケッチはノカンゾウだった。

 上の孫は鈴木さんとは顔なじみである。ギャラリーの展示を手伝ったこともある。「いや~大きくなったね」と驚き、喜んでくれた。「大学を卒業したら日本で働くといいね」などとけしかけるが、日本語能力がそれほどの水準にないこと知る保護者としては忸怩たるものがある。そのうち何ごとかと、母屋から奥様も姿を見せた。鈴木さんは新たにアトリエ前に植えたクズの葉を手に取り、これはウラギンシジミの観察のためと教えてくれた。

 鈴木さんご夫婦は、二世帯住宅の同じ屋根の下に住んでいた息子さんに先立たれた。オープンギャラリーを閉じたのもそれが原因だった。以前と違い六畳一間のアトリエは雑然としていた。薄暗いアトリエの部屋から数枚の鉛筆画を持ち出してきながら、そのうちここも片づけて皆さんにこのようなものの展示を見てもらおう。そして昔と同じように集まって「うどん会」を開こうと自らを鼓舞するように話されるのだった。

 繁り始めたハギの周りを小さな黄色の蝶が飛んでいる。その名を思い出したいときには鈴木さんの冊子を見ればよい。そしてキタキチョウであることを確認する。毎年更新されていたので同じ節気のものが何冊もある。それは私の貴重な図鑑である。キタキチョウの横のページには「ウラギンシジミを観察するには、クズの花が咲く処暑(今年は8・23)が一番良いようです。時間帯は午前11時ごろ」とあった。図鑑以上の冊子である。

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*鉛筆画

2019年06月17日 | 玉川上水の四季

 5月4日の午後に短時間のうちに降った激しい雹は庭木にかなりの打撃を与えている。松の葉が一部枯れて、その枯れた葉を摘み取る作業が続いている。これまでに経験したことのない事態だ。せっかく萌え出た金木犀の苗木の葉が傷んだ。柿もよく見ると半分ちぎれたままの葉が多い。親指の先ほどの青い小さな柿の実が毎日のように落下している。

 先日の朝8時過ぎ、平櫛田中館のあたり玉川上水の右岸にある野草観察ゾーンで鈴木さんの姿を見かけた。まずは大きなイーゼルが目に入り、こちらは五日市街道を自転車で下流に向かっていた。すれ違いざまイーゼルの向こうに鈴木さんの姿を見た。写生に集中している鈴木さんには通行人などは眼中にない。私は時間が決められていたので、すれちがいざま声もかけずにそのまま目的地に向かった。

 

 正午前に用をすませて戻ると、鈴木さんは 同じ場所で写生を続けていた。陽射しも弱く写生に適した日だった。鈴木さんの後姿を撮影したりして写生のようすを拝見する。色鉛筆でたんねんに描いているのはノカンゾウだった。一区切ついたころを見計らい背後から声をかけた。話し込むといつも30分ほどは作業が中断してしまうのが常である。(タチアオイとムラサキシキブ)

 

 安定した椅子にどっかり腰をおろし、右足を左足の上にのせて鈴木さんは話し始めた。朝早く下見し朝食をすませて7時半に来てみるともう花が開いていたという。一枚の絵の中に蕾から花開き枯れるまでを描きたいのだという。しっかり観察することを具体的に熱心に説明する。明日は陽射しが強いからクヌギの樹液に集まるヒカゲチョウなどの観察だという。私は孫娘の日本での滞在期間などをお知らせした。 

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*寒露から霜降へ

2018年10月29日 | 玉川上水の四季

 去る14日の正午ごろ、玉川上水の緑道で顔見知りの一団とばったり出会った。かつて私もそうだったが、オープンギャラリーの観察会に参加していた人たちだ。鈴木さん不在でも継続している人たちである。二十四節気の寒露の最初の日曜日の観察会だった。私は鈴木さんの復帰がないのでいつのまにか観察会から遠のいたままである。そのことで四季の移り変わりに鈍感になりつつあることは否めない。

 鈴木さんが毎年節気ごとに発行していた小冊子がある。いまとなっては貴重なものだ。ところが生活の雑事にまぎれて、読まずに過ごすことが多い。そんな反省もあって、さっそく寒露と霜降の小冊子をひらいて外を歩いた。あちこちで柿が色づいている。庭の柿も多く実をつけている。最初は脚立の届く範囲で一部をもぎ、大部分は小鳥たちにさし上げるつもりでいた。

 近所の人たちに配っているうちに欲が出た。大型の三脚梯子を持ち出して据えた。これで小鳥たちの分は大幅に少なくなりそうである。それにしても今年の庭の柿からは大玉の実が大量に採れる。一般に樹木には一年おきに成り年と不作の年があると言われている。通説と異なり、庭の柿はこれまでずっと低調だったが今年だけは爆発的である。(左は小平市民祭り・鈴木囃子屋台)

 

 庭の柿は種なしではなく、ガクの部分がどれも黒ずんでいてとても商品にはならない。寒露から霜降までに柿の実に集まるのは留鳥のメジロ、ヒヨドリ、オナガにムクドリという。メジロを心待ちしているのだが庭にはヒヨドリやシジュウカラしか姿を見せてくれない。秋から冬にかけて緑道は黄色に染まる。しかし今年は台風による倒木の残骸がいつまでもあちこちに残っている。新堀用水では折れ枝でせき止められて流れが悪くなっている個所もある。

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*ひさしぶり!

2018年07月05日 | 玉川上水の四季

 正体不明の一株をプランターに移植しておいたところ、カボチャだったようだ。花が咲き赤ん坊の握りこぶし大の実を一個つけている。そして孫たちが観察していた玉川上水のヤマユリは、すでに朽ち果てた。庭の鉄砲ユリはまもなく咲きそうだ。数は少ないが、今年もおいらん草とたいまつ草が片隅で咲いている。ゴーヤの収穫は孫の帰国までに、間に合いそうもない。(おいらん草とたいまつ草)

 

 サッカーのワールドカップで日本がベルギーに敗れた日、私が朝の10時ごろに緑道を歩いていると前方に二人の人影がある。暑さはすでにその日のピークに達したと思われるほどだった。枝ぶりは悪く、木肌の一部が剥がれ落ちたクヌギの樹液に蝶やカナブンが群がっている。そこに近づくと望遠レンズのカメラをかかえて、説明しているのは鈴木さんだった。

 あれがアカボシゴマダラそしてゴマダラですよと丁寧に説明している。私もさりげなくその場に参加した。通行人が立ち去ると鈴木さんは視線をこちらに向けて「やあ、ひさしぶり」と言う。相変わらずの日焼けした顔で、お変わりなさそうである。夏場に入って、筋肉が落ち体重の減少がみられる私よりもお元気のように思われた。

 30分ほどの立ち話になった。このクヌギの木は以前から鈴木さんの観察ポイントという。観察には時間が重要でここに蝶が集まるのは10時前後だ。最近は自宅の庭に食草を植えて蝶の観察に専念している。特にモンシロチョウについては、年間を通して観察しその世代交代の実態を見極めたいと話す。ここのところ親戚縁者に弔事が続き、さらに自身もこの10月には手術の予定だという。なにはともあれ暑さの中をウォークに出て、鈴木さんに会えてよかった。

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*立夏の頃

2018年05月14日 | 玉川上水の四季

 四月中旬に小型重機が入り、6基の展示パネルが撤去されて鈴木さんのオープンギャラリーは完全に消滅した。常なるもの無しだ。狭い跡地は掘り返されて放置されている。連休中にキュウリとゴーヤのための土作りをした。近いうちにシュンギクを処分して、そこにはトマトを植える。

 市役所の五月の企画で身近なものはつぎのとおり。10日に環境家計簿登録者に緑のカーテン用の苗と堆肥の無料配布、13日は中央公園で、野菜市、園芸市、舞台イベントなど盛りだくさんのグリーンフェスティバル、17日から20日までは、沼さらいのため全部の用水路の水が止まる。

  

 立夏のある日に、片道1時間ウォークで玉川上水の上流に向った。法面にはウツギの白い花が垂れ下がっている。ある木の下が小さな白い落花で埋めつくされた光景に出会う。そのエゴノキについて、鈴木さんはつぎのように解説していた。大暑の頃にゾウムシがエゴノキの実に産卵し、秋の彼岸を過ぎるとヤマガラが実を叩いて中の幼虫を食べる。また冬の非常食として実を運んで蓄えるという。

 

 ウォークの折り返し地点の金毘羅橋で、春分の頃に確認したヒトリシズカ群生地の辺りは夏草が生い茂っていた。何度か柵の中を覗いたが、埋もれるように咲くあれはどう見てもフタリシズカだ。この日の歩きではスイカズラの甘い香りに気付いた。夜になると香りは強くなるという。花は最初は白色だが、その後黄色になり、全体として白色と黄色が混在する。この頃のクチナシやミカンの白い花の香りもいい。

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