玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

息子、娘の誕生祝い

2016年08月15日 | アトランタ便り

8月をアトランタで過ごす様になって5度目になるだろうか?2人の我が子の誕生日は、幸運にもと言うか丁度その時期に当たる。先週は長男の、今週は長女の誕生日だ。所帯をもった息子との音信は、何かと気を遣う事も多く配慮を要する。その点誕生祝いのメールは何の遠慮もいらない。専用外のPC だから、届くかどうか気がかりで乞う返信としてメールした。そして即日手短な返信を得た。その返信に、謝意の言葉と午後は毎日手術が入るようになったとあった。

 

息子は40才で大学病院を辞しクリニックを開院したいと念願していた。腎臓内科で透析用に、静脈血と動脈血を連結させるシャントの手術を得意としていたのだ。相談があった際、午前は一般診療に当て午後は検査と手術としていた。オープン当初からそれは無理があるし、診療は午前のみというのは如何にも高飛車な印象を与えると強く懸念し意見した。様子を見つつ手術が増えたら切り替えた方がいい、という私の見解に従ってオープンし3年目を迎えたのだった。3年目にして当初の目標に近づけているとは嬉しい。

 

今週は娘の誕生日。普段は家事援助で訪米中の身ゆえ、自宅での夕食だがこの日だけは2人だけでの外食だ。特別の御馳走でなくたって娘との会食は胸が弾む。昨年のその日は孫娘の口唇裂傷事件が発生してお流れになっていた。シングルマザーは朝に夕に忙しい。日々接していると目につくことは多々あり、こんな??と思わずもないが皆が元気で機嫌よく暮らせておればヨシとしよう。そろそろ作り置き料理の量産体制に入らねば・・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プールサイド

2016年08月08日 | アトランタ便り

当初の予報の通り、8月になった途端日本は夏本番の猛暑に見舞われているらしい。というのも、7月に入って数日暑い日はあったけれど、例年の様に孫娘たちが暑さで真っ赤な顔をして下校することは殆どなかったからだ。そんな筈はないと思いつつ彼女らと共に訪米して間もなくその報に接した。だが当地アトランタの夏も暑いのだという。とはいえ冷房下での生活は長袖がちょうどいい。

珍しく今夏ハイキング中熱中症様の症状を呈した娘が、いつになく水分補給の助言をしてくれた。久方ぶりの常備薬を持参した私を労わってか、初老の匂いをかぎとってか気遣ってくれる。私が訪米する度に引越し先がが変わっていたのが常だったが、この3年はそれもなく、私のアトランタ生活も落ち着いている。毎朝7時20分に慌ただしく3人を送り出すと、帰宅する18時迄全て私の時間となる。

昨日は日中バスタブにたっぷりのお湯を張り、日本式の入浴を楽しんだ。帰国して何が楽しみ?問われればこれに勝ものはない。在日中孫達も、浴槽でプール張りに回転を繰り返してはしゃぎ、真っ赤なほっぺになっていて上がる様急かしたものだ。入浴後は人影の少ないプールサイドの木陰で、本を読んだりうたた寝したり。日本ではホテルでもない限りプールサイドという環境はないし、旅行にでも行かなければこの時間帯での入浴すらもない。非日常なればこそ可能な事だろう。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア料理を御馳走になる

2015年08月27日 | アトランタ便り

 娘は昨年の春、日系企業の帝人から東京鋲金に変わった。リクルーターをしていた彼女の知人が、自分の最後のリクルーターの仕事として勧めてくれたという。サラリーは上がるのだけど、とても地味な小じんまりした会社だと言い、日本人の常として大会社指向の私には不安の残る選択だった。事実訪米時、双方の会社見学の機会はあったが事務所の構えが全く違った。賃貸ビルとはいえ、総ガラス張りに近い所から各種の螺子釘を常備する倉庫に事務所が付いているという変化であった。

 その会社の社長さんと3人で去年、今年と夕食を共にした。普段より娘から、会社の業績は好調で社長との会食も少なくない、と聞かされていたので甘んじて受けさせてもらう事にした。10名弱の職員達は職位で呼ばず、まるで同僚を呼ぶように姓で呼んでいるらしい。彼は日本で働いたのは3年で、以来外国勤務という。外国で生まれ育った子供達も、長じるにつれ帰国し単身赴任歴は10年来という。たまの滞在で戸惑うばかりの私には、長年外地にあって、日本の得意分野である企業の責任者の方と夕食を共に出来る事自体が嬉しい。限られた3時間ばかりの中で、その方の店員や私達に示される振舞や言葉に「グローバルな‥‥」と感じたと言えば大げさ過ぎようか。

 そこで土曜日夕はブレーブスとヤンキースとの試合を、全社員で応援に行く話になった。田中将大投手の登板を期待しているらしい。前もって聞かされていた私は留守番(12才以下の子供だけはダメ)と決め込んでいた。それが私の帰宅前夜に相当すると知った社長は、娘に「それはよくない。そんな大事な日は家族全員が一緒に居るべきだ。私もさんざん妻に言われてきた。そんなもんだ」と言われた。当初言葉を返していた娘も遂にはその言葉に従うことになった。さてさてその夕とは明晩である。出前母親(祖母)の役割も最終盤を迎えている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日にハプニング

2015年08月25日 | アトランタ便り

 一昨年だったか、当地で孫世代の誕生会に参加したことがある。遊技場があってパーティの開ける会場へナビに従って参集した。一遊びした後誕生会となった。親子合わせて20人位いたろうか。招待者が注文し置いたハンバーグ?だったかを食べ、カード、プレゼントの交換をしていた。娘宅では家庭やプールサイドで簡単にやっているらしい。今時と違い私の子育て時代には、誕生会等という洒落た物とは無縁だった。8月を当地で過ごすようになって以来、8月生まれの長男にはアトランタ発のメールを打ち、おなじく8月生まれの娘とは2人だけで外食の誕生会が恒例となった。今年もその筈であった。

 仕事から帰宅した娘を待って夕食に出かける手筈になっていた。そこへ学童から電話。「男の子の投げたフリスビーが唇に当たり出血している。縫う必要がありそうだ」。急いで学校に戻り連れ帰る。口元を血の滲んだちり紙で抑え腫れていた。至急にPCで営業中の外科を探し訪ねた。60代後半か70代前半と思える女医さんだった。日本で息子の真新しい診察室をみなれている私には、物品棚が目立って倉庫のようにすら見えた。即、面麻酔のゼリーがぬられ麻酔下で5,6針縫った。本人は勿論、母親もこわごわながら必死で我が子の手を握りしめ針元を見つめていた。孫は時にうめき声を発したけれど泣くことはなかった。泣きたいのは娘の方だったかもしれない。抗生剤の処方もなく返されたので、日本の息子のクリニックで処方してもらい持ち帰っていた抗生剤を念のため服用させた。20時半に帰宅し、安堵した娘は孫「Good Job」と褒め、私に「母さん有難う。母さんが居る時で良かったよ」と心からの謝意を述べた。

 我家はだいぶ前に私の脳貧血事件で大騒ぎを経験していた。その経験が娘には大きな教訓となったようだ。かつて長男の中学受験を終えた後、入浴中に風呂場で脳貧血を起こし、そのまま浴槽のヘリで顎をを強打したらしい。私が気づいたときは浴室の床には血が流れ口元が裂けていた。何せ入浴中の事故だから流血が派手なのだ。その夜は騒ぐ家人を制し、口元をバンドエイドで修復して翌日縫ったのだった。あの時は歯全体が浮いて、顎全体が腫れてしまい入学式の記念写真はマスクでも隠せなかった。暫く粥食と軟采作りが手間だった。さて口元を縫ったばかりの孫は、その日は神妙にしていたけれど、翌日からやんちゃぶりもスッカリ元にもどった。この土曜日に晴れて抜糸したら、浮き輪ナシでプールを泳ぎ回れる事になる。そして翌日にはバイバイだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アトランタ‥‥レノックス発

2015年08月19日 | アトランタ便り

 一年ぶりにブログに向かっている。この間ブロバイダーがグーグルに変わった。然も普段使い慣れているPCとは異なり、PC事情はかなり悪い。というのも、アトランタの娘宅から発信しているからだ。当の娘すらもPCのご機嫌を伺いながら使っている。何とかして欲しいのだけど、大方はアイフォンで間にあってるらしい。そんな訳で途中から改行されたり、とんでもない所に文字が入り込んだり、突然消えてしまったり。従って私の忍耐がどこまで持つかとんと分からない。加えて写真挿入‥‥これはとんでもない相談だ。

 実は昨日時間を持て余し、ソウダ‥‥‥ブログでも書いてみるかとPCに向かった。所が改行したら途端にその段落全てがぶっ飛んだ。数回繰り返してみたが結果は同じ。そこでエイとばかりかなり勝手の違う街並へ散歩に出た。30分近くかかる道すがら、広い土地を天幕で囲い中では何台もの作業車が唸っていた。物好きな私は、建物に関する設計や価格に興味があり傍らでそんな物件に遭遇すると決まって立ち寄った。昨年廃屋同然だった建物がそのまま残っていたり、大改修中であった立派な家屋が、今回も再度セールの立札が点てられ再度改修中であった。ということは再度売りにかけられた?

 10時に家を出て16時に帰宅した。途中喫茶店や、なだらかな傾斜のある木立の下で何度か休息を取った。昨年はよく歩き、迷子になって遭遇した警官に電話を頼み帰宅途中の娘に拾って貰った。娘は私に事アラバ即電話する様にと心配してくれる。当地での私のモットーは娘に余分な負担を掛けない事だ。昨年に比し方向感覚はかなりシッカリしてきた。直進、右折、左折とその度に方角や高層ビルの位置関係を確認した。昨年歩いた場所や、車で通り抜けた道、迷子になった所、新しく建築されたビルやマンション等々。そして今年のハプニングは、とある立ち寄った軽食店でトイレに閉じ込められたのでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静かな暮らしに戻る

2014年09月08日 | アトランタ便り

P1110481

 数年前グアムの海中でオコゼに刺されて以来、私の皮膚は虫に刺されると大きく腫れ易い。滞米中何度か蚊には刺されたが、ある日腕がやたらと痒く見たら腫れつつあった。翌日には腫れはさらに拡大し痒みも増してきた。外国でヤバッツ!娘がつい先般の来日中、今春開業に踏み切った息子から、処方を受けていた軟膏や抗生物質を内服し、冷やしに冷やし5日目に完治した。ちなみにこの処方は、医療費の高い米国ゆえ、娘の希望に沿って長期海外滞在として3け月分処方を受けた代物だった。

P1110642

 アメリカのキッチン台の高さも毎度苦労しているから、出発前古くなった靴をヒールが高めの物に変えた。室内は靴を脱ぐ生活にしているのだが、台所だけは履いた。靴を履かないと台所仕事に支障を来す。包丁は日本から持参したものだが、うっかり手でも切ると後が面倒だし、ガス台だって危ない。それなのに・・・今度のアパートときたらIHながらゴトクが乗ってその分嵩高だった。それでも事無きを得てホッと安堵しのだった。そして最終日、冷蔵庫の野菜全てを使いきる料理を作り、パッキングも済ませ、ゴミも出し終えて一服せんとコーヒー作りに事務所へ向かった。紙コップも嵩高だから充分気をつけていたのに・・うっかり肘が当り、太腿に熱いコーヒーを浴びてしまった。あァ~ツ!。急いで帰室し今度も冷やしに冷やし患部を冷やし切った。真っ赤でヒリヒリしていた太腿はそのまま鎮まってくれた。

P1110662

 翌日の帰国便はスムーズで1ヶ月ぶりに自宅に帰り1週間たった。例によって私の体重は落ちていた。2ヶ月東京で、1ヶ月アトランタで喧騒に紛れていた私は、丸でエアーポケットに陥ったような気分だ。小学低学年の子供達の言動は、そうそう私の体力を奪う訳ではないが、静かな暮らしに慣れ切っている私を揺さぶるのだろう。時差や環境の変化に対応すべく体調や睡眠管理に気をつけてるし、マダ大丈夫だと思ってはいるのだが、それでも体重は減る。そうやって体重が戻り切らない内に年が明け、また同じ事を繰り返している。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近くのAT&T社を覗く

2014年08月28日 | アトランタ便り

P1110648

いつも、散歩は午前中の用事を終えた後している。近くの「AT&T」社は、ガラス窓が張り巡らされているが特別仕様なのか中は一切見えない。本社?と思える程に広~い敷地に何棟もの同じマークが記された建物が見える。その日思い切って、エイッとばかり主棟風の重い表玄関のドアーを開けた。ドアは重厚で重く体ごと押し、内ドアを更に一枚開けた。丁度ランチ時で、出入り口の横手にあるダイニングルームに多くの人が行き交っていた。

P1110649

私は天井の高いエントランスホール内や、眺望のいい外を眺め回した。ジーンズの人はいたが皆ビジネス向きの服装だった。館内で10人程度のグループに何やら説明をしており、終わると派手な拍手が湧いた。その会社が扱っている機器の陳列室も見えた。ドアーを押してみたが開かない。人々は働き盛りの年代層で、肥満傾向の人は見かけたが、超肥満の人は皆無だ。女性は街行く人々と同程度に可成り際どく胸を露出させていた。最後に興味深いダイニングルームに入った。

P1110643

何処に行っても、食に関する場所は見るだけでも楽しい。そこはバイキング形式になっていて、3方の囲いは内側に料理人や店員がいて注文に従っていた。中央2列はバイキング式のコーナーで、各自がかなり大きなパックに、好みに応じて食べ物やドリンク等取っていた。そこで働いている人達ばかりでなく、研修や見学など訪れている人もいるような雰囲気で、多様な食物も用意されていた。握りずしと書かれたメニューがあり、簡素ながらそれらしく設えられ、日本人のコックさんが立っていたが、生憎並んでいる客は少なかった。これだけの人が車で集まる出勤風景が見たくて、昨朝時間を見計らって外に出た。どの車も、信号の少ない道路を、ビュ~ンとスピードを出して走る。歩行者なんていやしない。会社の前でややスピードを落とし、次々と駐車場に吸い込まれて行く。スピーディな流れはまるで映画のシーンさながらだった。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語を話し読み書く

2014年08月26日 | アトランタ便り

P1110558_2

昨夜、娘の会社の社長氏と再度夕食を共にさせて頂いた。事情が重なって子供連れになり、それでもいらっしゃいと言って頂いた。帰国されて間もなくで、広島の惨事や元野球部だったという彼は、甲子園がらみの高校野球を熱く語られた。甲子園物語が、日本の一つの風物詩と読んだことがあるが正にそうで、夏休暇をこの時期に合わせ帰国される心情が、私の心を又熱くさせた。3人のお子さんは米国生まれだが、夫々の受験の都合で帰国され10年近く単身赴任だという。外国で日本語学習を継続する困難さも重々語られた。

P1110561

過日私がちょっとだけシッターをしたお子さんは現在小学2年生。年中の妹や母親との日常会話は父親不在の時間は全て日本語だとその知人は言っていた。我が家の場合日本にいる姉妹間は日本語にしてと言ってはみたがすぐ英語に戻っていたし、ひらがながやっとの孫には漢字はいいから平仮名を覚える様に言ってもいた。当のお子さんは週末には日本語学校に通っているといい、ここで宿題の漢字を書いていた。書順も間違わない。うちの場合平仮名でさえ書順は怪しい。言い過ぎても返って苦手意識に通じそうだし、一度覚えてしまっている物の訂正は難しい。上記の社長も、滞米中の奥様の学校に関する苦労は、奥様に任せるしかない中で大変だったと述懐し、妻は6才年下だが私の方が「今も全てハイですよ」と笑われた。

P1110564

娘が来米した際、最初の職場がノースカロライナの週末の日本語学校だった。そこは週末だけの為現地校の一部を間借りしていたし、かなり広範囲から時間をかけて親子で通学していた。娘には大学在学中に教員免許だけは取っとくように言い置いたのだが、本人には母親の思いは伝わらなかった。教員は勤務時間数も少なく、事務職の方がいいのだと強がったりもした。兎も角当時から私も、週末日本語学級やそこでの運動会を訪ねており、当事者の負担度を感じさせられてもいたので、専業主婦でない娘に今以上望むのはムリと観念している。かって物を書き始めた岸恵子さんが、翻訳した絵本の読み語りを私の居住地でなさったことがある。自分が書いたものは誰よりも娘に読んで欲しいのだけど、喋る事は出来ても、読む事が出来ないのは何とも悲しいと洩らされていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乗ー降ー待ー乗ーヤット着く

2014年08月23日 | アトランタ便り

P1110604

残すは6日、そろそろ帰り支度をせねばならない。来た時もそうだった様に、娘は朝私を空港に送り届けそのまま勤務に向かうはずだ。休暇は貴重でシングルマザーだから、子供の学校行事や登校不能に備え確保しておかねばならない。思えば私も随分逞しくなった。ろくに喋る事もできないのに、場所の移動だけは娘に頼らざるを得ないが、他の多くは何とかするしかないとすっかり覚悟しているからだ。先日我が家で夕食を共にした娘の友人は、孫2人を連れて飛行機を乗り継いで来た話に驚いていた。上の孫は必ずと言っていい程まごつく私に不安げで、私が人に物を尋ねると必死に聞いて協力してくれた。

P1110611

乗り継ぎで困るのは、同じ航空会社でも、最初の入国地点で荷物を一端引き取り再度預けなければならないからだ。帰国便はその必要がない分とても気楽だが、ロスでの乗り継ぎは来た時と同じとはいえ逆方向で少々心配。「ババ どうして間違うの?」と聞く孫にいつも同じ空港だったら覚えられるのだけどと答える。それに米大陸は宏大だから、同じ国でも東西で4時間の時間差があることも難儀さに拍車をかける。 今迄の中継地点は、デトロイト、シカゴ、トロントだったが、今回初めて西海岸のロスだ。会社もアメリカン、エアーカナダ、デルタだった。今後はマイレージのこともあってデルタ一本にするという。

P1110577

出発前旅行カバンを買い換えた。以前のは何しろ30年前初海外旅行時購入した代物だった。キャスターがすり減り取っ手もない。その際今後使うであろう頻度、帯同し移動に耐えられる容量等検討しながら求めたのだが、もう一回り小さくて良かった?。というのも、来る際は孫の物は夫々のリュックに詰めたが、ついつい日本からの買い出しが多くなり制限の23kg一杯になった。しかし帰りは自分の衣服は最小限だったし、ご近所や勤務先への土産以外に当地で求めたくなるものは何もないからだ。娘はこの春、一流企業の帝人から聞きなれない日本のアメリカ支社に変わった。日本人の陥る思考が抜けず少なからず不安視していたのだが、社長氏からご招待を受け食事をご一緒させて頂いた。その後夏休暇を日本で過ごされた社長の「糠床」を2週間かき回し、明日再度お食事を御一緒させて頂く事になっている。加えて買い物に行った際、特徴の傷を持つ娘の車を見つけた前会社の社長氏にも会い挨拶出来た。何というオマケ付のアメリカ滞在であったことか。

写真は週末のプール。街角(生ガキ食べに)。娘の友人は夫が改造したキッチンバスで弁当を売る。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初秋を思わせる日に

2014年08月20日 | アトランタ便り

P1110623_2

プールから上ると即座に夕食にありつける小一の孫娘は「ババがいるとレストランみたい」と言い、小三が「それはズ~とはムリだよ」と諭す。(日本では下が早生まれで1年と2年生の年子扱い)せめて私の滞米中はと朝夕忙しい皆を手伝い、今がその時と年に一度は訪米している。所で片づけの最後に残るのは本類。子供の本は出したが、作り付けの本立てを失った娘の本類は段ボールのまま。引越しの度に目も通さない本?を持ち運ぶテマが思いやられ不要と思える十数冊は捨てた。直ちに捨て兼ねる数冊は私が読んでからと取り置く。いつもは空港で求める分厚い月刊紙に変わり、今回初めて読書の時間が持てているのは、孫娘の成長がもたらした時間でもある。

P1110626

手作り冷凍食品の作り置きの合間、アパート周辺の内外を1~2時間、時に半日散歩する。アパートの周辺は当然として、道路沿いも整然と植樹され、なだらかにカーブを作って連なる手入れの届いた街路は、その先迄もっとその先迄と私を誘いいざなう。ここを出ると「AT&T」と表示された日本でも見かけた事のある会社が道路向かいにある。どこでもそうだが、会社や公園続で外に向かって開放されている芝生は、いづれも綺麗に刈り込まれ、植栽された立木は木陰を作って優しく人を誘う。少しばかりの用を終えた私には、今限りなく時間が用意されおり他の用事や憂いは何もない。街路から刈り込まれた芝生を分け入ってドンドン進み木陰に座る。視野の先には車が微かな音を立て走り、犬の散歩やジョッギングをする人が見える。カメラ、本、メガネ、おやつ、水を順次取り出して贅沢な時間を過ごす。昨日はつい転寝をしてしまった。

P1110627

当地の気候は日本程の厳しさは感じない。コントロールされた自室にあっては時に肌寒く薄手のカーデガンを羽織る。朝夕の温度差もあり、朝方には外気が冷めているから熱帯夜という概念はあるのかしら?街路の樹木は夏色だけど、雲一つない時の青空や木立を縫って肌にそよぐ風は初秋を思わせる時すらある。さて今夕、子供の保育園が同じだった娘の友達の子供2人を2時間ばかり預かることになった。新学期の為夕刻父兄が学校に参集する必要があるが、大学教授をなさっている夫がその時間に帰れないという。車で2~3分の所に住み、そちらも夏休みは家族中で日本の小学校に通学され私も知っている。共に夕食をしながら待つ事になった。ご飯、野菜の肉巻、味噌汁としよう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする