最近気付いたのだが新聞の朝刊第2面に詩歌コラムがある。担当は俳人の長谷川櫂氏である。先日河野裕子氏の「美しく歳を取りたいと言う人をアホかと思ひ寝るまへも思ふ」の歌が紹介されていた。アホかと思うという強烈な表現がとても小気味よくて何度か歌を読み返していた。ところがそれに続く長谷川氏のコメントを読んで痛快感はどこかに雲散霧消してしまった。
「美しく年をとるとはどういうことなのか。それはともかく今の日本にはその夢のために日夜、努力する多くの人々がいる。産業界も夢の恩恵をうけている。この歌への感想はさまざまだろうが、人生の実相をとらえた歌として紹介したい」というのがそのコメントだ。これは歌の心をつかんでいるとはとても言えない。作者は実相などというものをとらえようとしたのではなく、かなり強硬な主張あるいは心の叫びを歌にしたのではないか。
07年春にこの世を去った池田昌子はこの問題に対してつぎのように述べていた。人生相談への回答という肩の凝らない場面である。「悩んでもしょうがないことは、悩んでもしょうがない。悩むことでどうにかなることなら、いくらでも悩むが得ですが、悩んだところでどうにもならないことは、悩むだけ損です。年をとることについて悩むなんてのは、その損の悩みの最たるものですね。
きょうびは世を挙げて、年をとることを否定しようとしている。人生というのは、年をとってゆく過程以外のなにものでもない。だとすると、年をとることを否定するとは、人生そのものを、反価値として否定することになる。若さを価値とし、年をとることを反価値として生きる人の人生は、必ず苦しいものであるはずです。だって本来不可能なことを遂行しようとているのだから。年をとることを反価値とするのは、肉体にしか価値を置いていないからです。だけど精神の側、心や気持ちや知恵の側を価値とするなら、年をとることはそれ自体で価値となります」