新聞の二つの意見広告に注目した。2日は沖縄意見広告運動(九期)の「あきらめない!命の海を壊すな!」は2面ぶち抜きだ。カンパしていたので拡大鏡で自分の名を確認する。3日には「ウソだらけの政治を変えよう」「6・10国会前大行動」だ。これは画版に画鋲で止めて、通りに面した生け垣に吊るした。こんなこと初めて試みる。
養老孟子の「真っ赤なウソ」は宗教について述べた本だ。宗教とは「ウソから出たマコト」が私の答え。「真っ赤なウソ」をついてそれを一か所に凝縮してしまうと、残りは全部本当。見事に残りはリアリティーというものに変わっていく。これは別に悪いことではない。人間がそこから真実を知ることができるかどうかという話だ。
キリスト教の教義の根本は「最後の審判」です。「霊魂の不滅」がないとキリスト教は成り立たない。変わらない私があると思う。これに仏教の立場から「それはおかしい」と声が出ないのはおかしい。「諸行無常」であって「無我の境地」なのだから。考えている自分はただいま現在はあるが、絶えず変わっていくものです。どれがお前だよという話になる。
「自分とは何か」と言ったら「今座っている自分だけが私だ」という考えはあまりにも真っ当だから昔から言わないことにしているんですよ。人間の欲の中で一番大きなものは権力欲でしょう。人間は何事であれ自分の思うようにしたいという気持ちが非常に強いですから。その権力欲をほどほどに抑えなければいけませんよというのが仏教の本質だと私は思います。